伊藤博文公暗殺事件の裁判管轄
この事件の「裁判管轄」がテーマ
明治42(1909)年10月26日は,伊藤博文が暗殺された日。
清国満洲の哈爾浜(ハルビン)で発生したこの事件,犯人は韓国籍。ロシアの警察がこれを現行犯逮捕したものの,その裁判は,旅順にあった日本の裁判所において日本の法律に基づいて行われた。
この結末に至った経緯について,裁判管轄という観点から書いてみた。
罪となるべき事実
この事件について,翌明治43(1910)年2月14日に言い渡された判決(全文は末尾に掲載)のうち,被告人安重根に関する「罪となるべき事実」は,次のとおり。
証拠
被告人の供述
被告人安重根は,概要,次のように犯行状況を自供しており,上記事実認定の証拠の一つとされている。
彼は,「右後方」から拳銃を連射したという。やはり後方からのようだ。
証人ロシア東清鉄道警察署長の供述
ハルビン駅に降り立った伊藤博文ら日本要人とこれを出迎えたロシア要人を警護し,伊藤博文を狙撃した安重根の身柄を拘束したのは,ロシアの警察官である。
なぜ,清国領の哈爾濱(ハルビン)において,伊藤博文がロシア要人の出迎えを受け,彼らをロシアの警察が警護し,犯人をロシアの警察が逮捕するに至ったかは,本稿のテーマの一つであり,後述する。
証人ロシア大蔵大臣官房長リウオーフの供述
参考までに。
法令の適用と量刑の理由
被告人安重根に対する法令の適用と量刑の理由は,以下のとおり。
適用された「帝国刑法」
現行刑法との比較
ここに「帝国刑法」とは,事件前年の明治41(1908)年10月1日に施行されたばかりの刑法(明治40年法律第45号)。現在の刑法もこの「帝国刑法」に改正を重ねたもので,その意味では同じもの。実際,条文番号は殆ど同一である。
殺人罪は,当時も現在も刑法199条に規定されているが,現行刑法は「人を殺した者は,死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。」とされ,有期懲役についてむしろ現行法が重くなっている。
刑法43条と44条は未遂に関する規定。刑法203条は殺人未遂を処罰する旨の規定。刑法46条1項は「併合罪のうちの一個の罪について死刑に処するときは,他の刑を科さない。」と規定するものである。被告人安重根は,伊藤博文に対する犯罪行為のみで殺人罪となったため,同条項に基づき他の殺人未遂3件については刑を科さないとされた。
要するに,安重根は日本の法律によって裁かれ死刑に処されることになった。適用された法律も現在と同じ刑法であり,適用された罪も通常の通常の殺人罪(199条)であった。
被告人の国籍
明治42(1909)年10月26日という犯行が行われた日は,日清戦争(明治27/1894年)及び日露戦争(明治37/1904年)の後年であるが,明治43(1910)年8月29日に日本が大韓帝国を併合する前である。
日清戦争の勝利を受け,明治28(1895)年4月17日,日本と清国との間で締結された日清講和条約(下関条約)は,台湾の割譲や賠償金などではなく,以下のように朝鮮国の清国からの独立で始まる(第1条)。
これにより清国から独立した朝鮮李王朝は,明治30(1897)年10月12日から「大韓帝国」と号していた。大韓帝国が日本に併合されるのは明治43(1910)年8月29日以降のこと。
要するに,安重根の国籍は,大韓帝国だった。
犯行の場所~ロシア鉄道附属地ハルビンという特殊性
本件の犯行場所であり安重根が逮捕された地は,満洲の哈爾濱(ハルビン)である。
当時のハルビンは,清国の領土である。というより清国を建国した女真族の原郷である。日本あるいは満洲国がここを支配するに至るのは,遥か後年の昭和6(1931)年9月18日以降。
日清戦争(明治27/1894年)の直後,ロシアは,いわゆる三国干渉により遼東半島の清国への返還を日本に強いた上で,自ら満洲へ進出してくる。
実際,明治29(1896)年9月8日,ロシア(厳密には露清銀行)は,清国(代表の許景澄)との間で東清鉄道の敷設に関する契約を結んでいる。この契約により設立されたのが東清鉄道株式会社で,同社が設営したのが東清鉄道(辛亥革命後の東支鉄道)。東清鉄道は,明治34(1901)年に完成している。
当該契約でロシアは,鉄道附属地という権益を獲得している。
後掲の本件に関する判決にも「露国東清鉄道附属地」との記述があるが,安重根による犯行は,露国東清鉄道附属地たるハルビンで行われたのである。
鉄道附属地は,鉄道に「附属」する地をロシアが収用できるとするもので,日露戦争までに,ロシアはハルビンなど東清鉄道沿いの地所を収用し,ロシア風の街並みや施設を建設していた。「収用」なので対価は支払ったものの,当該地の所有権だけでなく,行政権も認められていた。行政権の中には道路や橋梁の敷設などに加え,警察権も認められていた。判決に「清国の領土なりといえども,露国東清鉄道附属地にして露国政府の行政治下にあり」とあるのは,その表れである。
そのため,本件が清国領ハルビンで発生したにも関わらず,安重根を逮捕したのは,清国ではなく,ロシアの警察なのである。
なお,東清鉄道の南満洲支線のうち長春から旅順まで(後の満鉄こと南満洲鉄道)はその鉄道附属地(奉天など)とともに,日露戦争後のポーツマス条約(明治38/1905年)により,既に日本に譲渡されていたが,ハルビンを中心とする東清鉄道(本線)及びその鉄道附属地については,ロシアに維持されていた。
複雑な条約関係
裁判管轄の問題が浮上
安重根を逮捕したのはロシア警察で,この地を視察のために来訪した外国要人(伊藤博文公爵)に対する警備もロシア警察が当っていた。判決にもその時の状況が記されている。
しかし,逮捕された安重根は,大韓帝国の国籍を有する韓国人。
ロシアの鉄道附属地とはいえ,ロシアに司法権までは認められていない。つまり主権国家として外国人をも裁く権利まではない。当時,ロシアも清国に対し治外法権(領事裁判権)を獲得していたが,治外法権(領事裁判権)は,自国人(ロシア人)が居留する外国(清国)の裁判に服さず,自国(ロシア)の領事が裁判を行うという権益。逆にいえば,それに止まり,ロシアが外国人(日本人や韓国人)を裁判に服させるまでの権利ではない。
それでは,ハルビンが清国領であるという原則に戻り,韓国人の安重根は清国によって裁かれることになったのだろうか。
大韓帝国の清国に対する治外法権
日清講和条約(下関条約)によって清国から独立した大韓帝国は,明治32(1899)年9月11日,清国との間で清韓通商条約を締結している。
同条約第5条1項は,下記のとおり韓国と清国が互いに治外法権(領事裁判権)を認め合うもの(その意味で不平等ではない)。同項第2号は「中国で犯罪を行った韓国の臣民は,韓国の法律に従って韓国領事官によって裁判にかけられ,罰せられる。」と規定していた。
これにより清国内で犯罪を行った韓国人は,日本人やロシア人など欧米列強国民と同様,清国によって裁かれることはない特権(治外法権/領事裁判権)を得ていた。
要するに,韓国人の安重根は,清国の裁判に服することもなかった。
第二次日韓協約に基づく日本による”保護”
上記明治32(1899)年締結の清韓通商条約第5条1項2号では,清国内で犯罪を行った韓国人に対しては,清国ではなく,韓国法に基づいて韓国領事官が裁判を行うことになっていた。
では,大韓帝国の在ハルビン領事官が安重根の裁判を行ったかというと,やはりそうではなかった。
ここで本件の裁判管轄を決する意義を持つことになるのが,明治38(1905)年11月17日,日本と大韓帝国との間で締結されていた第二次日韓協約である。
本件に限らず「朝鮮を保護国化した」として日韓間の歴史認識で問題とされることが多い当該条約ではあるが,その第1条は下記のとおり規定している。
第二次日韓協約第1条は,清国などの外国における韓国人の保護については,韓国政府ではなく,日本政府がこれに当るとするものである。
この規定により,外国における臣民保護の極致が治外法権(領事裁判権)であることから,清国で罪を犯した韓国人については,”野蛮”な清国官憲からこれを保護するため,近代法制下の日本領事の裁判に服させるという解釈が導かれる。なお,本条が定められた経緯については,現在でも日韓で争いがあるところであり,ここでは,本件の判決が引用する弁護人の「日本政府が前掲日韓協約第1条により外国にある韓国臣民を保護するは,固と(もと)韓国政府の委任によるもの」という主張を紹介するに留める。
ロシア当局も,第二次日韓協約第1条の意義を理解し,安重根の身柄を在ハルビン日本領事官に引き渡している。
日本への身柄引渡しまでの総括
満洲の哈爾濱(ハルビン)は清国領。ロシアは,ハルビンに行政権(警察権)を有しており,犯人の安重根を逮捕したのはロシア警察。
しかし,ロシアは,ロシア人に対する治外法権(領事裁判権)に基づく裁判は別にして,外国人(大韓民国人も含む。)に対しては,ハルビンで裁判を行う権利はない。他方,大韓帝国人は,清国と大韓帝国との間の条約により清国内において治外法権(領事裁判権)が認められており,韓国籍の安重根が,清国により裁かれることもなかった。
それでは,安重根は,自国すなわち大韓帝国の裁判所・刑法により裁かれたか?というとそうではない。
その法的な根拠が第二次日韓協約。この日本と大韓帝国との間の協約により,日本領事は,大韓帝国から外国(当然に清国を含む)における韓国民の保護の任を委ねられていた。この協約を根拠に,日本が本件の裁判を行うことになったのである。ロシアも,当該協約を根拠として,争うことなく安重根の身柄を日本に引き渡している。
ただし,本件において,裁判管轄について法的疑義が生じる可能性があるとすれば,この第二次日韓協約の解釈であるともいえる。
在ハルビン日本領事に裁判管轄権
日清通商航海条約による領事裁判権(治外法権)
日本は,下関条約から1年3ヶ月後の明治29(1896)年7月21日,清国との間で日清通商航海条約を締結し,清国に対し一方的な治外法権(領事裁判権)を認めさせていた。
前述の清韓通商条約が相互に治外法権(領事裁判権)を認めるものなのに対し,日清間では日本にのみ治外法権を認めるもので,その意味で清国にとって不平等なもの。
領事官の職務に関する法律
この治外法権(領事裁判権)を前提に,明治32(1899)年3月18日,領事官の職務に関する法律(明治32年法律第70号)を施行,領事官が処理する事件などを具体化している。
この法律により,哈爾浜(ハルビン)で発生した伊藤博文暗殺事件については,明治40(1907)年3月3日に設置されたばかりの在ハルビン総領事館(官)に裁判管轄権が付与されていた。
関東都督府法院で裁判
「租借地」たる旅順
日露戦争後の日露講和条約(ポーツマス条約)によって日本が獲得し,清国がこれを承認したのは,大連及び旅順のいわゆる関東州である。
このあたりの経緯については,下掲の拙稿をご覧ください。
関東州は,日本の鉄道附属地に過ぎない奉天などとは違う「租借地」。「租借地」の関東州では,主権は清国に留保されながら,警察を含めた行政権だけでなく,司法権も日本に認められていた。
関東都督府法院
この権益に基づいて関東州の旅順に設置された裁判所が関東都督府法院である。
同法院は,日露戦争終結の翌年たる明治39(1906)年9月1日に施行された関東都督府法院令(明治39年勅令第198号)により設置された。
明治41(1908)年10月1日には,早くも関東都督府法院令(明治39年勅令第198号)が廃止され,新たに関東州裁判令(明治41年勅令第112号)を施行された。
関東州裁判令は,関東都督府法院と関東都督府民政署長に,関東州における民事・刑事の裁判を行わせるとしたもの(第1条)。その上で,軽微な民事・刑事裁判を民政署長の管轄とし,関東都督府法院は,重大な民事・刑事事件を扱うものとされた。
実は,日本の租借地たる関東州(旅順・大連)ではない,事実上のロシア領であった哈爾濱(ハルビン)で発生した伊藤博文暗殺事件の裁判は,ハルビン領事館(領事官)ではなく,旅順にある関東都督府法院で行われているのである。
それはなぜか。
関東都督府地方法院への移送
その法的根拠は,明治41(1908)年4月14日に制定された満洲に於ける領事裁判に関する法律(明治41年法律第52号)にある。
本件のような刑事事件について,仮に満洲(ハルビンや奉天など)にある日本領事が裁判管轄を有する場合であっても,外務大臣が「国交上必要あるとき」すなわち外交上の問題が生じると判断する場合には,各領事ではなく,租借地関東州(旅順)にある関東都督府地方法院にて裁判させることができる旨が規定されているのである(同法3条)。
外務大臣の小村寿太郎は,この規定に基づいて,早くも事件翌日の明治42(1909)年10月27日,関東都督府地方法院への移送を命じていた。
こうして本件は,事実上のロシア領であった哈爾濱(ハルビン)で発生したが,日本の租借地に置かれていた関東都督府地方法院という裁判所で裁かれることになったのである。
判決要旨
判決の言渡・確定・執行
明治43(1910)年2月14日,関東都督府地方法院にて判決が言渡された。
その判官(裁判官)は眞鍋十藏。
本件に関与した検察官は溝淵孝雄。
被告人らの弁護人は,水野吉太郎弁護士と鎌田正治弁護士が務めていた。
主文は以下のとおりで,被告人禹徳淳,曹道先及び劉東夏は,いずれも殺人の幇助とされているが(刑法62条,63条,199条及び68条),言い渡された刑は意外に軽いという印象を受ける。
当時の刑事訴訟法(明治23年法律第96号)は,控訴期間について「判決言渡ありたる日より5日とする」としていた(252条)。ちなみに上告期間は判決言渡日から3日であった(271条)。
いずれも現行法からすると短期ではあるが,本件のような地方法院の判決に対しては,関東州裁判令第6条においても,満洲に於ける領事裁判に関する法律第4条においても,高等法院に対して上訴(控訴)できる旨が明記されていた。
安重根は上訴したが,後に上訴を取下げたため,この地方法院の判決が確定した。
死刑は明治42(1910)年3月26日に執行された。
裁判管轄に関する判示
以上,結論を述べれば,伊藤博文暗殺事件は,清国領内ではあるがロシアが行政権を有する哈爾濱(哈爾濱)で起きた。犯人の国籍は大韓帝国。ロシアの警察が逮捕,数本の条約が適用された結果,日本の法律に基づいて日本の裁判所によって裁判が行われた。
本件の弁護人は「日本政府が前掲日韓協約第1条により外国にある韓国臣民を保護するは,固と(もと)韓国政府の委任によるものなるをもって,領事官は韓国臣民の犯したる犯罪を処罰するにあたりても,よろしくこれに韓国政府の発布したる刑法を適用すべく,帝国刑法を適用すべきものにあらず」と,日本領事官への裁判管轄は認めた上で,適用されるべき法律について,日本の刑法ではなく,韓国の刑法が適用されるべきと争ったにとどまるようである。
関東都督府地方法院は,自身の裁判管轄権について,以下のように詳細に判示している。