Silent Majorityの実声
第一声はニクソン大統領
「Silent Majority」というフレーズを最初に使ったのは,1969(昭和44)年,1期目の当選まもないアメリカのニクソン大統領だそうだ。
ベトナムからの「名誉ある撤退」を公約にして当選したニクソン大統領に対し,当時,一部の学生などによる「即時全面撤退」を求める反戦運動が過激化。「Silent Majority」は,徴兵逃れしながら反戦運動に没頭する学生などに反感を持つ一般国民を言い表したもの。
語源は日本か
一説では,「Silent Majority」の語源は,日本にあったのではないかとも言われる。
日本国憲法に基づく条約における衆院の優越
日米安全保障条約を含む条約の締結には,政府間での調印に加え,国会の承認が必要とされている(日本国憲法第61条)。
この国会の承認については,日本国憲法第61条が準用する同法第60条2項が,いわゆる衆議院の優越を定めている。すなわち「条約の承認」については,衆議院による可決後30日以内に参議院が議決しないときは,衆議院の議決を国会の議決となるというのが,日本国憲法における条約承認のルールである。
新日米安保条約の「国会の承認」
「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(新日米安保条約)」は,昭和35(1960)年1月19日,ワシントンにて締結された。日本側で署名したのは,故安倍晋三元首相の祖父に当たる岸信介首相ら。
前述のように,条約の締結には「国会の承認」が必要である(日本国憲法第61条)。
新日米安保条約については,同年5月20日,まず衆議院で承認の決議がなされた。
岸内閣は,敢えて参議院での審議・決議は行わず,日本国憲法第60条2項が規定する条約承認に関する「衆議院の優越」に委ねた。当時,自民党は参議院でも単独過半数を有していたが,審議を経ての決議よりも「国会の承認」までの時間を優先したようだ。
こうして,同年6月19日午前0時の到来をもって,衆議院での可決から30日が経過した。
以上の経緯を経て,昭和35(1960)年6月19日,憲法第61条及び同60条2項に基づき,衆議院における承認決議が国会の決議となり,新日米安保条約は国会により承認されたのである。
大声に対し「声なき国民の声に我々が謙虚に耳を傾けて」
この間,ご承知のように,国会議事堂前では安保改定に反対する学生らによる大規模な騒動のごときデモが繰り返されていた。
しかし,岸信介首相は,「声なき国民の声に我々が謙虚に耳を傾けて」と述べて,ただただ30日が経過し,「国会の承認」がなされるのを待った。
こうして,新日米安保条約は承認された。
ただし,この安保騒動なかで学生に死者が出たことを重くみた岸内閣は,日米間で批准書が交換され新日米安保条約が発効した同年6月23日,退陣を表明した。
「声なき声」の音量
その年(昭和35)年の11月20日,第29回衆議院議員総選挙が執行された。
「世論の反発を押し切って安保改定を強行」した与党自民党は,大敗…
ではなく,全467議席のうち3分の2に近づく296議席を獲得し,大勝利を収めたた。
他方,冒頭で記したように「Silent Majority」への支持を求めたニクソン大統領も,1972(昭和47)年11月の大統領選挙で大差で再選を果たした。その「声なき声」の後押しを受け,翌1973(昭和48)年1月27日,北ベトナムなどとパリ和平協定を締結,当該和平協定に基づく形で,同年3月29日までにベトナムからの「名誉ある撤退」を実現したのである。