佐伯紅緒
短い小説を綴るコーナーです。
本人に面と向かって言ったことはないけれど、私がひそかに「令和のナウシカ」と呼んでいる女性がいる。 女優のサヘル・ローズである。 彼女の特殊な生い立ちとその壮絶な人生については、テレビを見ない私よりも今これを読んでいるみなさんの方がよほど詳しいと思うのだが、初めて彼女に会ったのは一年前の夏の北海道、私が企画の段階から関わっていた、今東宝系で公開中の映画『シサム』の撮影現場だった。 復讐に囚われた孤独な女、という難しい役どころだったせいだろう、彼女は撮影中ほとんど他の演者と
ことの起こりは5年前、一通のメールでした。 「僕今度映画のプロデューサーをやることになりました。つきましては脚本で是非ご協力いただきたく」 メールの主は、私がユタの取材で訪れて以来、ひとりでよくフラリと行くようになった、奄美群島のとある離島の宿で紹介された編集者の男の子です。 私が良く行くその島の宿というのは不思議な女将が経営していて、彼女はいわゆる「見える人」で、その彼を紹介される時も、 「もうじき東の方からなんか若い面白いのがやって来る。だから尾崎ちゃん(私の本名
私の文章を初めて認めてくれた師匠的な人物は、作家の故・見沢知廉(みさわ・ちれん (1959-2005))さんでした。 見沢さんは1990年代後半から2000年代にかけて純文学及びサブカルチャー界隈で活躍した人で、私はこの人を題材に小説を一冊出しています。 見沢さんは10代の頃から左翼活動に参加、まもなく右翼に転向。新右翼の統一戦線義勇軍でイギリス大使館火炎瓶ゲリラ事件やスパイ粛清事件(殺人事件)を起こし、実刑判決を受けて12年の獄中生活を送る... という、生涯が超絶にハ
今年は稽古に明け暮れる中、いつの間にか終戦記念日が過ぎてしまいました。 なので、台風で休みになった今日、遅ればせながらそのことに思いを馳せようと思います。 昔はこの時期になるともっと戦争をテーマにした特番やドラマ、映画などが放映されていた気がします。 『火垂るの墓』は今年はやらないのでしょうか。 戦争をリアルに経験した人はみんな口を揃えて言います、 「アレだけは絶対にもう2度とやっちゃダメ」と。 ですが、最近は観念だけで戦争を肯定する人が増えてきている気がします。
おはようございます。 前からずっと描きたかった猫漫画を始めました。 主にうちのネコズのことを描いていこうと思ってます。 よろしくお願い致します! よろしくお願い致します!
賛否両論あるみたいですが、私は、面白かったです。 なんといってもジェニファー・ロペスの説得力。 かつて映画『タイタニック』で、当時体重60キロを超えていたというケイト・ウィンスレットの堂々たる体躯も氷の海で生き延びたというラストの設定に真実味を与えていましたが、映画『アトラス』のジェニファー・ロペスもまた、宇宙の果てまで暴走したAIテロリストをやっつけに行く女伊達という設定に納得感を与えておりました。 これはかつて口の悪い知人の美容家が言っていたことですが、 「紅緒さん
(多少ネタバレを含みます) 京都アニメーション放火事件から今日で5年。 あの事件を知った時、私はいろんな意味で凍りつきました。 あの日たまたま伏見にいたこと、京都アニメーション制作の作品のファンだったこと、そして何より、何の罪もないクリエイターの人たちが一瞬にして理不尽な暴力で命を奪われたという事実に対する底知れぬ恐怖です。 そして一昨日、今公開中の映画『ルックバック』を観てきました。 誰が見ても明らかな、あの事件についての話です。 主人公の藤野は作者の藤本タツキ
若い頃、歌舞伎のどこが面白いのかと思っていました。 歌舞伎好きの友人に「絶対泣くから」と連れて行かれても、子別れの場面に号泣する友人を尻目に、いったいなにをどうすればこんな見ず知らずの他人の悲劇にここまで共感できるのかと思っていました。 これは危ない、こんな共感の安売りをしてたら、ゆくゆくこの人は絶対悪い人にだまされるに決まってる、と友人の心配までしていたほどです。 それが今、なぜこの文章を書き始めているかというと、上の現象、つまり歌舞伎で号泣、が先日、他ならぬ自分の身に
今日は珍しく風邪でダウンして床に伏せっているのですが、そういえば今日は父の命日だったな、とふと思い出しました。 2011年5月9日の朝、私は、がんセンターのホスピスの藤棚の下で父が死ぬのを待っていました。 とはいっても別に父が死ぬのを待ち望んでいたわけじゃなく、その数日前に病院側からいよいよです、と引導を渡され、家族交代で病院に泊まり込んでいたのです。 父の死に関してはとっくに覚悟はできていました。 人は全員死ぬものだし、人を見送る側のマナーとしては、泣かず騒がずなるべ
大衆演劇にハマって早くも一年が過ぎようとしている。 詳しい経緯は今月末配信予定の漫画家の大井詩織ちゃんが描いてくれたエッセイ漫画を読んでくれれば早いとして、そもそも大衆演劇ってなに? という問いに対しては次の写真を挙げておく。 コレです。 温泉地でこういうの、見かけたことないでしょうか。 これは私が9年前、たまたま別府温泉に行った時に撮った写真なんだけど、このときはただ温泉地の情緒溢れる風景として撮っただけで、もちろん観には行ってない。 俗にいうスコトーマ、「目には映っ
話題のヴィム・ヴェンダース監督映画『パーフェクト・デイズ』を観てきました。 主人公の役所広司扮するトイレ清掃員平山は、仕事の合間に毎日木漏れ日の写真をフィルムカメラで撮影するという趣味を持っていて、気に入った写真を年代別にコレクションしています。 その平山がシャッターを切った瞬間、木漏れ日に向かって一礼するのを見たとき、私は思わずあっと映画館の中で叫びそうになりました。 昔、これと同じ感覚を持った人がすぐ身近にいたからです。 その人はベンチの隣で、木漏れ日を見上げなが
前回の記事はこちら その人は私がよく行く青山の珈琲店の常連だった。 そこは就職に失敗した大学の友人がアルバイトで働いて、当時デパートの店員だった私は勤め帰りによくそこに寄っていた。 東京の夜の酒場には、それを叫べばハリーポッターの呪文のごとく人が振り返るマジックワードというのがある。 その言葉とは「ギョーカイ」だ。 私が25才の時に出会ったその人もまた、「ギョーカイ」の人だった。 ジャンルは音楽。作曲家である。 とはいえ、富士山でいえば坂本龍一あたりを頂上にいる人
前投稿はこちらです その女子大きってのボディコン集団「タワーズ」さえもが一目置く、学内三大美女のひとり、さゆりちゃんは誰もが認める桁外れの美少女だった。 イケイケのタワーズと違って、その見た目は「清楚」の一言。すらりとした細身の身体、腰まで伸びた薄茶色の髪、抜けるように真っ白な肌、色素の薄い大きな瞳。まさに、私の思う「美少女」の概念を体現したような姿をしていた。 私は再び考えた。 どうすれば、あのような美しい人と友達になれるのか。 私はラファエル前派の絵画から抜け出し
私はコミュ障である。 正確にいうと「だった」のかも知れない。 なぜなら、今も本質は変わってないけど、少なくとも自分から人に話しかけられるようにはなったからだ。 こんなこと書くと「え?」と今の私しか知らない人にはものすごく驚かれるけど、幼少の頃の私を知っている人はうんうん、と深く頷いてくれる。 なにしろ、まず受け答えが変だった、らしい。 何をたずねてもオウム返ししかしない。人と全く交流しないばかりか、いきなり庭中の土を掘り返してミミズの養殖を始めたりする。あんたなにやって
仏映画監督ピエール・フォルデさん来日。 お初にお目にかかりました。 事の起こりは去年の秋、友人の逸見愛ちゃんが演技レッスンの稽古場で放った一言でした。 「ねえ紅ちゃん、フランスにいる友達のダンナがひとりでアニメ映画作ったんだけど、日本での売り方がわからないんだって。いちど見てやってくれない?」 「いいよ。友達のダンナさんて何やってる人」 「さあ。音楽関係だったかな」 そんな言い方されたらふつう、素人の自主映画と思うじゃないですか。 まあじゃとりあえずウチで上映会やろう
私は常々、目にうつるものはみんな自分の心の中の反映だと思っている。 それでいうと今、私は稽古場で目にしてるものを見ながら、いま自分の中は一体どうなっているんだろうと思ってます。 言うなれば、極彩色の闇鍋の中にでも放り込まれたような感じ。 座組も座長の高橋俊次君の意向でしょうか、キレイな女の子たち、イケメンの男の子たち、演技派の人たちとその面子はいろいろですが。 全員、個性が強いという点では見事に一致しています。 ヒロイン・咲役のはるかぜちゃんこと春名風花ちゃんのこと