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終戦記念日に思う



今年は稽古に明け暮れる中、いつの間にか終戦記念日が過ぎてしまいました。
なので、台風で休みになった今日、遅ればせながらそのことに思いを馳せようと思います。

昔はこの時期になるともっと戦争をテーマにした特番やドラマ、映画などが放映されていた気がします。

『火垂るの墓』は今年はやらないのでしょうか。

戦争をリアルに経験した人はみんな口を揃えて言います、
「アレだけは絶対にもう2度とやっちゃダメ」と。

ですが、最近は観念だけで戦争を肯定する人が増えてきている気がします。

恐ろしいことです。

ただ、今この瞬間でも世界のどこかでは戦争の火の手があがっていますが、

戦争はきっとなくならないだろうな、と個人的には思います。

なぜなら、今まで生きてきて人の本性を見るたびに、そのことを強く感じるからです。

ただ、だからといって何もしないというのは、すでに良くないものへ加担を自らすすんでしてしまうのと同じなので、

私は個人的にできることは何か、と考え、気づいたことを数年前からなんとなく実行しています。

それは、自分も相手も大事にするということ。

たとえば、誰かが私のありようが気に入らない、と攻撃してきたとします。

私は普段からなるべく人とは仲良くして生きていきたいと思っていますが、そこは人間ですから欠点もあるし、中には私にさしたる非はなくとも、ただ私がいるだけで気に入らない、というような人も存在します。

そういう人から攻撃を受けた場合はどうするか。

私はこれ、戦争の縮図だな、と最近つくづく思うのです。

自分を国と考えたら、相手は他国に違いなく、それが「お前気に入らねえ」とちょいちょい攻撃を仕掛けてきたら、さすがにこれはやられっぱなしでは国の存亡に関わります。

人には生きる権利があるので、やられたらそれなりの仕返しをして構わないと思います。

ですが、だからといって、相手を完膚なきまでに叩きのめし、子々孫々まで根絶やしにするというのはやはりいきすぎる気がします。

では、そうやって身の振り方がわからなくなった時はどうするか。

私はそういう時、他国(相手)の事情を知るようにしています。

この人どうしてこうなのか、どんなDNAを持ち、家庭環境はどうだったのか、何を大事に考え、何にコンプレックスを持っているのか、経済状態はどうなのか、どんな交友関係を持っているのか、等など。

それで自分の側で正せることがあるならすぐに正し、相手の側の問題とわかればただそっと距離を置きます。

私は常日頃から、国であったら自分はスイスのようでありたい、といつも思ってます。

スイスは「うちは戦争はやりません」と決めた永世中立国ですが、そのために世界最強の軍隊を持ち、国民には常に2ヶ月分もの食糧の備蓄を義務づけています。

大地震注意報が出たからといって、次の日トイレットペーパーや米の買い占めに走ったりするようなことはないみたいです。

そういう大人な国を見ると、戦争を拒否するにも強さがなければいけないのだな、とつくづく感じます。

面白いことに、生きているとたまに同じように自分はスイスのようでありたい、と考えている人に遭遇します。

そういう人は見たらすぐわかるので、こちらから話しかけて仲良くなるようにしています。  

いわゆる「ジュネーブ協定」です。

そうやって仲良くなった人との「ジュネーブ飲み」はけっこう面白いです。

話したところで何も解決しやしないけど、「困ったね」「どうしようね」とだらだら何時間か互いの案件を話し、気が済んだら「じゃあね」と手を振り右左にパッと別れる。

そういう時間があるだけで、人はけっこう、健やかに生きていける気がするのです。

そんなわけで、私は今日も「ジュネーブ友達」の募集中です。
あと美味しいものをリーズナブルに食べられるお店もあったら教えてください。


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佐伯紅緒
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