親切心とエゴの微妙な関係について
ナマステ(-人ー)
皆さんこんにちは、さちです。
ここインドネシアに住んでいると
色々思う事が沢山あります。
例えば・・・
●子供たちの食べているお菓子が身体に悪いこと
●大人も食べ物に一切気を使わない
●犬や猫を大事にする割にはご飯の質が酷い
●貯金を一切しない
など、数え上げればきりがないけれど、
「日本人」の私から見ると苦言を呈したくなることが
本当に沢山あります。
時々はもちろん言うけれど、強制はできないな
とよく思います。
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なぜなら強制する事は私のエゴだと思うから。
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私は彼らの健康を思って「こうした方が良い」と
アドバイスをするけれども、彼らにとっては
必ずしもそれが幸せとは限らないと思うんです。
残念だとは思うけれども、それもその人の人生だし
その人の学びを奪う事になってしまうから
誰に対しても強制はできないですよね。
だから私にできることは、
それでもひたすらその情報を投げ続ければ
いいと私は思っています。
これは対インドネシア人だけに限らず
日本人でも誰でも一緒だと思うんです。
私から見たら、瞑想して、自分と向き合って
これを学べば、こんなにも楽になるのになと
思っていたとしても、それが相手に伝わらないのであれば
その人にとってはまだ、苦しんで悩まなければいけない
そのプロセスを経験する必要があるわけです。
そしていつか、適切なタイミングになった時に
その人が「あっ!そういえば!」と思い出して
くれたらいい、そう思っているので情報を
発信し続けています。
それを、首根っこ捕まえて(笑)
これがいいから絶対これをしなさい!!
というのはできないんですよね。
それが愛する人だったとしても、
失いたくない大事な人だったとしても
自分の声が届かなければそれまでなのです。
その人の今世での学びはそれなのかもしれません。
私が10階から「ここだよー!!」って
大声で叫んだところで、
3階にいるその人には聞こえないのです。
でもある時ふと、あれ?声が聞こえる氣がする、と
声の方へ進んでみようと思える人たちがいたら
声をかけた意味がありますよね。
私が行っている事はそういう事なんだと思っています。
そしてその声に早く氣付かないと、
これからますます苦しくて、八方塞がりな
精神的に辛い時代がやってきます。
人間はエゴ(自我)を持っている生き物です。
エゴって、悪いイメージでよく言われていますが、
必ずしもそういう事ではありません。
皆さんがよく言っているエゴは、
わがままとか、自己中心的とか、利己主義という
意味で使われていますね。
そうではなくて、エゴ=自我、
すなわち自分であるという事の主張、
自分を認めて欲しいという承認欲求
それらを全てエゴと言います。
私たちは、エゴが大きくなりすぎないように
自分が自分を認めてあげることが必要なのです。
自分が自分を認めてあげられないと、
他人に認めてもらいたい、自分の存在意義を誇示したい
そういう思いが強くなり、自分の意見を相手に押し付ける
ようなことをしてしまいがちです。
さあ、あなたのエゴはどうですか?
そんなエゴに目を向けて、きちんと自分と対話を
していく必要がありますよね。
瞑想レッスンではそういうお話もしています。
気になった方は公式LINEからお気軽に
声をかけてみてくださいね。