おばあちゃんの味は、あんドーナツ
おばあちゃんの味、
というとどんなものを思い浮かべますか?
母の味はいろいろあれど、おばあちゃんの味です。
夫の場合は、なめこの味噌汁。
食べる度、「これを食べると、おばあちゃんの家を思い出すなぁ」と言います。
都会暮らしの夫の家では、なめこはなかなかお目にかからない食材だったようで、その素朴な味をおばあちゃんの味として覚えているみたいです。
私の場合は、あんドーナツ。
一口かじると顔がほころぶ、甘い甘いあんドーナツです。そんな思い出話を、今日も少し。
✴︎
遠くだった電車の通過音が、
だんだん鮮明に届くようになり、
もう朝か、と薄目を開けます。
ここは祖母の家。
今は休日の朝。
階段をゆっくり降りていくと、
母と祖母がおしゃべりする声が聞こえます。
二人の声は本当に楽しそうで、朝の陽の光みたいに、キラキラ輝いて聞こえます。毎日のように、電話で話している二人、何をそんな話すことがあるんだろうと、無口な私は不思議で仕方ありません。
私に気づいて、
「おはよう」
「よく眠れたか?」
かわるがわる聞いてくれます。
「うん」
「おばあちゃんが、今日も自転車漕いで、
買ってきてくれたわぁ。好きなん、選びぃ」
母が、沢山のパンの包みを差し出します。
クリームパン
ソーセージ入りのパン
あんドーナツ
ドーナツ
コーンとマヨネーズのパン
サンドイッチ
昔ながらのパンばかり。
どこか懐かしい、ふんわり優しい生地のパン。
どれも美味しそうです。
私の父は農家だったので、家では3食米を食べるのですが、祖母の家に行く日だけは、朝は祖母が買ってきてくれるパンを食べます。
どんなに早く起きても、いつもちゃんとパンが置いてあるのです。祖母は、一体、朝何時に起きて買いに行ってるんだろうと思っていました。
冬の朝、まだ暗い中、一人軋む自転車を漕いでいる祖母の姿を想像し、子供ながらになんだか申し訳ないやら、パンが食べられて嬉しいやら変な気持ちになったものです。
どれにしよう?と沢山のパンを見て悩むのですが、結局いつもあんドーナツを選んでしまいます。
どこからか現れた祖父が、
「奇遇やな、ワシもあんドーナツや」
と言います。
「うちの家系は、甘いもの大好きやからな。」
と言って、嬉しそうにガハハと笑います。
私も笑って、一口かじります。
粒のたったあんこがのぞき、
生地はしっとり柔らかい。
周りには細かい砂糖が、振りかけられています。
んー甘い!
ここまで甘いものは、普段はなかなか口にしないものです。それがこの時だけの特別に感じ、大好きでした。
粉砂糖やあんこを、口の周り一杯につけながら、食べました。
私や弟、祖父、母、父がパンを選び、
残りを祖母が取って、パンはきれいに売り切れます。祖母はいつだって、「好きに選んでいいよ」と言いつつ、私たち一人一人の好みをきちんと覚えているのです。
そして、自分はパンに手をつけず、皆が食べる姿を、いつもニコニコと眺めているのでした。
時々、
「おいしいか?」と言いながら。
私は、
「おいしいよ」と言いながら、食べ続けます。
朝早くからありがとう、とはなんだか恥ずかしくて言えないのでした。
あんドーナツは、祖母が作ったものではないですが、あの朝早くから自転車を漕ぐ姿と、にこにこ眺めている姿を思い出す、「おばあちゃんの味」になっています。
そして、祖母の家での朝ごはんの様子は、今も幸せの塊みたいな顔をして、私の心の隅っこに張り付いているのです。
✴︎
あの時、まだ日の見えぬ時間に、自転車を走らせた祖母の指先は、切れるほど冷えていたでしょう。老齢の身体にもこたえたでしょう。
それを越えてでも、祖母が見たい景色が、あの頃の朝にあったのかなと思います。
そして今は、私も。
同じように、あの頃の朝のように笑う祖父母の顔が見たいのです。
けれど、
祖母はもう、90近く。
あんな風に自転車を漕げません。
散歩にも行けないし、
タクシーにも一人では乗れません。
私が会いに行かなくては。
この2年の思いを募らせ、いくつかの壁を乗り越えてやっとこの休みに、会うことができました。
もうあのパン屋はないけれど。粒あんの入ったお饅頭を手土産に。
庭先で私が来るのを今か今かと待ち構え、
「よく来たよく来た」と手招きする祖母の姿は、依然と何も変わらぬ愛情で溢れていました。