まぁいっか妥協vsダイエット
「まぁいっか、多分大丈夫だと思う。」
時間が経つと人間とはなぜか安心して、ちょっとくらいなら大丈夫だろうと、妥協したりする。
なぜだろうかなぁ。
たぶんその状況に飽き飽きしてしまうのかもしれないが、ちょっとくらい大丈夫だろうというのは良くない。
もし、自分か家族か友達にアレルギーを持っているひとがいてもちょっとくらい大丈夫だろうなんてことは考えてはいけない事と同じなのだ。ちょっとだけアレルギー物質が入っていたとしても危険で命取りになりかねない。
こどもの頃トイレに行ってから寝なさいってよく言われた事があるひとはわかるだろうが、もしも行かなかった場合、ちょっとでもおしっこを漏らしてしまったら“おねしょ”になってしまうそれと同じ。
映画を観に行ってた時、どうしようもなくジュースが飲みたくなったりポップコーンが食べたくなったりして買いに行く事があったりする?いや無いね。そのちょっとであとの話が全然おもしろくなくなる可能性だってある。それは残念な事でしょ。
まぁいっかではすまされない事が、この世の中にはたーーーくさんあるのだ。
危ない、危ない。
今、特に手洗いなどを几帳面に行っている中で、このままの流れに飽きだした誰かが「まぁいっか」とか言い出して1日くらい手を洗わなくっても大丈だろうよという気持ちになったりするとどうだろうか?
そーでしょ。見事にみんな嫌な気持ちになるでしょ。ゔぁっちい。
そうやって、みんなが守っている事を、誰かひとりがふわふわとうわっついた気持ちでいると危険な状況になりかねない世の中になってしまったが、みんなそんな話は正直疲れたでしょう?ここではウイルスからはちょっとだけ離れた話題で話を進めたい。
ね、だってさ、毎日毎日「ウィルスウィルス」と聞いてばかりいると、さすがに嫌になってくるでしょう。
だからダイエットの話。
「まぁいっか、ちょっとくらいいいだろう」と、やめていた食事制限やトレーニングをやめてしまうと、そこからスイッチが入ってしまってそこからぐだぐだと「まぁいっか」が広がって、頻度が多くなって、しまいにゃやめてしまいかねないのだ。
そんな事言っても我慢強かったら、また続けることができるでしょ。と言うだろうか?
実のところ僕は、食事もかなり少食にしていて、わりと痩せていた時期があった。今から8年くらい前の話。
とある拍子にたくさん食べる事に快感を覚えてしまい、やめられなくなってしまったのだ。
怖いよ、怖い怖い。
僕は友達に誘われて定食屋さんに行った。
そのお店はご飯のおかわりがし放題で、この時ばかりはいいだろうというか、興味本位で「たくさん食べてみよう」と思ったのだ。それが良くなかった。
それまでは少食だったのでそんなに食べられないんじゃないかと思いきや、意外とがっつり食べられて、お茶碗に4〜5杯はご飯を食べてしまった。その瞬間からお腹いっぱいになった満足感が身体中を覆い尽くした。
ちょっと苦しいな〜と思いつつも、以前までたくさん食べて過ごしていた記憶がじわりとにじみ出てきてしまい、完全に思い出してしまった。
それ以降、ことあるごとにストレスが溜まったことをお酒で流すか、もしくはたくさん食べて解消するようになってしまった。
これもまたいけなかった。
ストレスが溜まったら、こうやってお酒を呑んだりたくさんたくさん食べて、お腹いっぱいになってしまえば解消できることを体が覚えてしまい、ストレスが溜まるごとに体が要求してくるようになったのだ。
なおかつお酒を呑んでたくさん食べるのも楽しくて気持ち良くなってくる。またそれを覚えて快感を覚えてしまい、またさらに身体の要求が強くなるのだ。
だけど、その時は定期的に運動していたから、あんまり太ってはいなかった。
じゃあ良いじゃないか?いいや、それが良くないんだわ。
何が良くないって、生活パターンというのは何かあるごとに変わりゆくものだ。
ズルズルとなくなっていく運動の習慣に反して、覚えた快感は忘れないでまた体は求めようとする。
そのだらけた生活が定着するようになり、いろんなことに「まぁいっかまぁいっか」と諦めて諦めて辞めて諦めて、だらけて辞めて諦めてをどんどんどんどん繰り返すようになってしまったのだ。
その後、自分が以前の生活から随分とかけ離れたものになってしまったことに気付いて、また元に戻るように努力するも、なかなか身に付いた悪い習慣は覆すことはできない。
それ以降、少食にもういちど戻したりもしたが、やはりまた満腹感という快感を感じたくなってたまに食べてしまう。
何がその引き金になるのかって?
そうだよ、そうっ!ストレス!
そうなのだ。
僕のストレス解消方法は最終的に、「ストレスとお酒とガッツリ食べること」でワンセットになっていた。
ストレスがなくともお酒を呑むとそれがまた引き金となってしまって、ガッツリ食べたい欲が出てくる。
いろんな要因があって重なるのだが、生活上の様々なところにその刺激があって、自分の引き金を引いてしまうのだ。
たとえば、スーパーの鰻の蒲焼きを見ていても「良いなぁ」くらいにしか思わないでしょう?しかし、コンガリと炭火で炙ってタレのちょっと焦げたような香りを嗅ぐと、「うわぁ、今すぐ食べたい!」ってなるじゃないか?それだ。焼肉でも同じだよね。そこはなんでも良い。
つまり“引き金が引かれる”ってのはそういうことで、「それを今すぐにでもやりたくなる欲」がパンッと弾けるように出てくるのだ。
「ちょっとだけならいいか」「まぁいっか」という妥協がどれだけ良くないのかがわかっただろうか。
自分の欲望というのは想像を絶するほど強いものだ。断固たる決意とプライドを持って立ち向かっていかなくてはいけないのだ。
おそらく、「食べる」ということに関して興味や好意を持っていないひとには、なかなかわからないとは思うが、ゲームが好きだったり、タバコを吸っていたり、サーフィンが好きだったりと何かの行為が好きなひとは、それを制限されることを考えてみるといい。
ダイエットをしているひとはたくさんいるが、みんなそうやって戦っているのだ。わかるかな?
是非分かってあげて欲しいし、軽はずみにケーキ食べるか?とか、お酒呑みにいかないか?とか、「もう食べちゃいなよ〜」とかとか。
そういうことを言って誘惑してあげないで欲しいのだ。頼むぜ。
まぁいっかは許されない。これからの僕は。
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