丹生都比売
梨木果歩さんの著書の中でも格別に好きな作品は「丹生都比売」。
何度となく読んでいますが、読めば読むほどに味わい深さを感じさせてくれる作品です。同じ本を、時をおいて読み返してみると見えなかった世界を新たに発見することもあります。この世界が多次元宇宙に存在していることの証拠ではないでしょうか。ここ数年、見えない世界のことを語る人たちが急激に増えたと思いませんか。
この物語はまだ見えない世界との境界線が曖昧で、その力が膨大であることを心から信じていた人たちが多く生きていた時代のおはなしです。
時は7世紀後半。天智天皇は弟の大海人皇子(後の天武天皇)を立太子したものの、なぜか気が変わり? 息子の大友皇子の即位を望んだため、大海人皇子は表向きにはそれを承諾するしかありませんでした。この時代、天皇の跡目争いは激しく、自分の暗殺を恐れて、近江の都を離れます。天皇の位を継ぐ意思がないことを示すために出家し、一族は取るものもとりあえず都を後に吉野の山へと退避しました。
大海人皇子は、吉野に籠りながら、機を見て討伐に備える覚悟でした。大海皇子が天皇に即位することを望んでいる者たちは、大友の皇子から皇位を奪うため、今か今かと出兵の合図を待ちわびていました。こののち、壬申の乱により政権を奪還する大海人皇子はのちの天武天皇となります。この物語は大海人皇子と妃の鵜野讃良皇女の長子、草壁皇子の視点から、父と母、そして逃げ隠れた吉野、丹生の里の自然の中で巻き起こった女神との不思議な出来事を主に、大海人皇子が引き起こした壬申の乱までの数か月を描いたものです。
物語中の草壁皇子は生まれながらに繊細で、体も弱く、俗世の熾烈な争いなに心揺れ、母違いの大津皇子にも引け目を感じながら、父と母にただ愛されたいという思いを胸に不安な心を痛めていました。実際の草壁の皇子は王位に就くこともなく若くして病死しています。
大海人皇子の一団が吉野で隠遁生活を始めて間もなく、草壁皇子がいつものように熱を出して床に臥せっているところからお話ははじまります。夢にうなされ、夢うつつの中、ムマという妖怪の声を聴く草壁は、この未開の山を恐ろしく感じ、この先どうなってしまうのだろうという思いで目覚めます。熱が冷め、少し元気になると、弟の忍壁皇子とともに、里山や山へ分け入りそこで不思議な少女と巡り合います。少女の名はキサといいました。ことばを話すことができない子でしたが、草壁皇子は彼女の言葉にはならないメッセージを受け取ることができ二人の間には不思議な交流が生まれます。草壁が山に入り、彼女を必要とするときには必ずキサは彼のもとに現れます。弟の忍壁皇子、彼女との交流は不思議と草壁のこころを癒し、離れていてもキサを思うと深く安心し、強い絆で結ばれているような気がするのでした。
丹生の里は(奈良県吉野)、丹が生まれる地で、丹は水銀朱(辰砂)。古来より、塗料や防腐剤として使われてきました。辰砂を精製すると水銀が生まれます。水銀は毒ですが、少量を薬などに用いていました。神社の鳥居の赤には辰砂が使われており、赤には魔除けの意があります。この地の名前がついているのが丹生都比売です。和歌山県の高野山にある丹生都比売神社は丹生都比売を水神の神として祀ったといわれます。空海に高野山の領地を託したのは丹生大明神だという伝記があり。、一説には丹生の採掘を取り仕切る人が空海の唐への留学支援者ではないかという話もあります。。。。
物語の中で、草壁の母、鵜野讃良皇女(後の持統天皇)の姉、大田皇女も大海人皇子の后であり、大津皇子と大泊皇女を生むと若くして亡くなりました。物語中の宇野讃良皇女は小さなころから利発で、自分の望みを叶える為なら手段は択ばない残酷さをもち、草壁はそんな母親の本性を見抜き、実の姉の大泊を水銀毒により死なせてしまったことを夢にみます。そんな母に底知れない恐れを抱きながらも、一方で母を深く愛し、そして認められたいという思いを募らせ、揺れていました。すぐに寝込んでしまい、強くなれず、父と母の役に立てない自分を不甲斐なく思っていました。
後に持統天皇(鵜野讃良皇女)が天皇の位につくと、姉の子である大津皇子に謀反の疑いを掛け、処刑してしまいます。大津皇子は頭脳明晰で家臣からの信望も厚く、草壁皇子とは対照的でしたが、息子を天皇にしたかかった持統天皇にとっては大津皇子は邪魔な存在であり、謀殺に及んだともだともいわれています。
この時代、帝、大君の一族は、神界に通じ、天命を待ち、天啓を受けて、事に臨むということがある種の務めで、大海人皇子は吉野の地で丹生都比売を祀る神業を執り行っていました。女神の神託をひたすら待っていましたが、一向に現れません。
物語は、草壁皇子が、吉野の山中で巡り合ったキサが、実は丹生都比女であり、女神の導きで丹生都比売と父を命がけで繋ぐ役割を担ったことにより、大海人皇子の目の前に丹生都比売が顕現されたのでした。天命を受け取り、全うする機を得るというクライマックスを迎えます。
草壁皇子の視点から見た、人の欲や激しい感情も、やがては土が水銀に精錬されるように美しい珠へと変化していくことを丹生都比売が教えてくれているようでした。乱世への悲しみや恐れ、宿命に翻弄されながらも何とか父の役に立ちたいという切なる思いを遂げる健気な皇子が描かれます。丹生の里の奥深い自然への畏怖は、そっくりそのまま未だ触れることのできない神への信仰と重なり、見えない世界と人間の繋がりを信じる人々の日常を精妙に描写します。
草壁は父、大海の霊統を確かに受け継いでいました。
夢か現の世界の中で最初に丹生都比売と繋がったのは草壁でした。受け取ったメッセージを身体をもって父に伝えることで、時代が動きました。
冒頭に述べましたが、見えない世界の事を伝える人がここ数年で増えたような気がしませんか。という話に戻ると、本当か嘘か。という結論を求めて生きてきた時代は、もう溶けていく時代に入っているような気がします。
人間の意識が変容し始めると、実はこの三次元世界は人間の創造した結果の写し世だということが腑に落ちはじめ、それに気が付く人が増えていきます。結果の世界をエゴで変えようとしても実は何も変わらないということがわかる人が増えてくると、意識の変容とともにこの世界も変容します。凡その人々はそれに影響を受けて変わらざるをえなくなります。
そういう時代にはもれなく乱世となるので、魂を揺さぶられてやっと人間は目覚めるのかもしれませんね。
草壁皇子が生きた時代もまさに乱世でした。推古天皇が即位し、太陽神の天照大神を中心とする天皇制が確立するまでの大きな時代のうねりは今の世につながる礎となりました。現在の日本は、世界は・・・というと、政治、経済、宗教、あらゆる組織が崩れていく過程です。
今は千数百年かけてつくってきた時代が反転する大きな転換がおこっている最中。。なのかもしれませんね。
渦がすべてを飲み込み、そしてそこから解き放たれるまで、まだ少し時間がかかるのかもしれませんが、もし草壁皇子になれるのなら、エゴを超え、この時代で身体をもって、あらゆる経験をすっかり楽しんでいきたい。。。これにつきるのではないでしょうか。