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Ⅱ章 彼女の場合 あとがき②

 いくつになっても、アイドルでいたい。どうも藤代です。

「もう一度読んだら印象が変わる小説を作ろう」

 このコンセプトで始まった本章は、舞衣視点の本編『Ⅱ章 彼女の場合』、悠木 純視点の『-Otherside-』と夏希視点の『-Datura-』で展開されました。

 各話には、テーマがあります。
それぞれが本話と絡み、読み返した時により一層見方が変わるように作りました。


・『-Otherside-』について
 純とハルたちの話は、「託す者」と「託される者」の話です。
予選敗退という青春の終わりを迎え、各々が自分の進むべき道、次の目標を決めていく中で、悠木 純は「夢の続き」を歩き続けることを決断をします。

 その後、彼は本編で負かされた青応大学進学を経て、日本代表へと進みました。本編ではモブのまま終わった「なんか強いキャラ」でしたね。

 ですが『-Otherside-』を読むことで、彼はハルたちと約束した「夢の続き」を歩き続けていたことがわかりました。

 辞めていく者、続けていく者。
部活でも受験でも仕事でも……生きていれば、必ず遭遇するテーマではないでしょうか。本編では、亮二は曖昧なカタチで終わりました。
本話では、ハッキリとしたカタチの終わり方と繋ぎ方を書くことで、亮二と舞衣の「割り切れないキモチ」をより際立たせる意図をもって書きました。

 また『-Otherside-』と銘打ったことにも理由があります。
これから舞衣ではない「誰かの視点」で物語が始まるという、包括的な意味でのタイトルとして名付けました。
つまり、本話に限らず、以降の『-Datura-』、『群星』も含めて「Otherside」ということになります。

 前章でやった試み『僕と彼』今度は、登場人物で行いました。
結果として、この試みは上手く出来たと思っています。
そのことに関しては次項で解説します。


・『-Datura-』について
これこそが、この物語の最終話と言ってもいい作品だと思います。
テーマは、「愛する/愛されるとは」
つまり、本作の命題ですね。

そこで結果を知った上で、「もう一度読んだら印象が変わる小説を作ろう」と思い立ちました。       『Ⅱ章 彼女の場合 あとがき①』より   

 本話が本章最大のギミックでした。
『Ⅱ章 彼女の場合-終-』と『Ⅱ章 彼女の場合-Datura-』は、ふたつでひとつです。

――――舞衣と夏希。
このふたりの因縁は一方的ではなかったことが、ここで明かされます。
舞衣にとって、夏希は高嶺の花で「敵わない相手」でした。
一方で、夏希にとっては、自分が歩めない青春を謳歌している「忌むべき相手」が舞衣でした。

試合から逃げ出した亮二のくだりも、舞衣の告白のくだりもすべて夏希の思惑通りだったということ。
そうした嫌がらせを経て、大学生のときの修羅場が起こり、舞衣が「自分と同じ側」に来てくれたことの心情が語られます。

 字面だけを追えば、「クソ女」なんでしょうけど、個人的はそうとも言い切れない部分もあるなと思っています。
「利用価値」で人を判断してしまうことは、多かれ少なかれありますから。
彼女の場合は、思春期に求められ過ぎたのだと思います。
そして、本当の意味で求めることをしてこなかった/諦めたのだと思います。
そこが大きなポイントだったんじゃないでしょうか。
 結果として、彼女は見返りとして「利用すること」を選んでしまった。

彼女にとって唯一感情的になれた相手が、舞衣だったのかもしれません。
皮肉な話ですね。


そこで悠木 純が出てきます。

「良かったね、なっちゃん。これで不便なオンナになれたよ」
                    『Ⅱ章 彼女の場合-Datura-』

 彼は、こう言って去ろうとしました。
この時点では、悠木 純は日本代表、「夢の続き」を歩いている人物です。
彼らには、その先の夢がありました。亮二を含めたメンバーで再び、バスケをするという夢です。残念ながら、それは叶わない夢となりました。

 悠木 純は、今までの亮二の境遇に対する不満を露わにして、夏希に「不便なオンナになれたよ」と皮肉を言います。

 この「不便なオンナ」について、夏希はどう思ったのでしょうか。

今の自分の生き方が不便なのでしょうか。

それとも愛されることがわからないまま、愛されていた(らしい)とわかったことが不便なのでしょうか。

泣いてしまえば、誰かに心配してもらえるという「利用する思考」が不便なのでしょうか。

最後に彼女は言います。

私は、私を見て欲しかった。
なんて不便なオンナだろう。
                    『Ⅱ章 彼女の場合-Datura-』

――――その「私」とは、いったい何処に在るのでしょうか?

 こうして見ると、歪んだ愛とはいえ、舞衣には「救い」があったように見えます。いびつながら互いのことを見ていましたから。
夏希にとって彼は所有物であり、それ以上の感情はありませんでした。

舞衣は、利用価値ではなく、愛する対象として亮二を見ていました。
そして『亮二』を身籠った。愛情を注ぐ新たな「器」を授けられました。


 悠木 純にとっては、そのすべてが「不便」に見えたのかもしれません。
彼が「亮二の墓へ行くべき人は他にいる」と言った発言の真意は、ここにある気がしてなりません。



 『Ⅱ章 彼女の場合-Datura-』は、本章のテーマ『愛する/愛されるとは』の終わりを飾るに相応しい裏切りの13話だと感じています。
登場人物、それぞれの視点と物語が折り重なって、ひとつの世界を創り上げることが出来ました。
『Ⅱ章 彼女の場合-終-』の時点では、舞衣の生き方に疑問を持つ方もいらっしゃったと思いますが、今はどうでしょう。
読み返してみると、捉え方が少し変わっていくのではないでしょうか。

※本話『-Datura-』のエンドロール使用させて頂いた曲に関して、誤解を招かないように訂正したいことがあります。
おそらく本話のような意味合いでの歌詞ではありません。
ですが、本話を読んだ後であれば、夏希の心情として入り込みやすいように落とし込んで書き上げました。
その点をご了承ください。



・『群星』について
え?白木ってモブじゃねぇの?と思った人。
白木ってだれだっけ??って思った人。

モブじゃねぇよ?すっとぼけ

というのも『Ⅱ章 彼女の場合-終-』でちょろっと会話に出てるんですよ。

「そういえば、鉄仮面の得意技は教えて貰ったの?」

「あぁ、白木監督の?うん、教えて貰ったよ。でも、本戦でやれる勇気はないかな。やっぱり凄い人だよ。っていうか、鉄仮面って言うの辞めなよ。会社の上司なんじゃないの?」       『
Ⅱ章 彼女の場合-終-』

 サラッと書いてるけど、実は息子の件で絡んでました。
『亮二』がバスケをやるキッカケになったのが、白木悠介でした。
『群星』は、そんなふたりの出会いと始まりを描いた作品です。

 冒頭では、白木が母校の凋落ぶりを目の当たりにします。
その上で自分が引退して長いこと、立場のある社会人であることを理由に監督の打診を断ることから始まります。

 そんな彼が「遊びを知らない少年」に出会ったことをキッカケに、子供の成長を目の当たりにして、自身の指導者としての可能性を見出していくのが本作でした。(もう本編要らずだな、この要約。自分でビックリだよ!)


 本作の評価は、かなり割れたと思っています。
『亮二』と白木が何を感じて、発起したのか書かれてませんから。


 人って映画なり、音楽なり、景色なり、五輪の決勝なり、文学なりを見たとき、心が震える瞬間(鳥肌モノ)を経験したことがあると思います。
それです。(雑!?)

 『亮二』は、シュートフォームで見上げた先にある夜空を見て、このフォームから見た景色(夜空)に感動してしまったんですよ。
 そして白木は、そんな彼がバスケを始めるに違いない。バスケで感動してしまったのだからと確信します。このとき、彼は自分が蒔いた種が芽吹いた瞬間を見て、自身も感動してしまいました。


つまり、教育者としてバスケに関わることの面白さを見つけてしまった。

 表向きは、そこからⅡ章 彼女の場合-終-』に続きます。
なお、以降も白木から指導は受けますが、『亮二』は一般入試で入り、3年でやっとレギュラーになりました。努力家です。


 ところで『群星』という言葉は聴き馴染みがないと思います。
意味としては、数多くの星。群がり集まる星だそうです。まんまですね。

 このタイトルは、本話にある「命と生命」の違いに関係しています。

人は、ひとつの命といくつかの生命を持つ。
これは人の特権だろう。何度も生きて、何度も死ぬ。残酷な世界だと思う。
でも、僕らはその世界に訪れる一瞬の輝きを見て、感動してしまった。

もう一度見たいと求め、さらにその先の景色を求めて、朽ちるまで生命を燃やすしかない。
多くの人が、同じように光を求め、生命を燃やして消えていく。
まるで星のように。               『群星』より

 命とは、人としての寿命。
 生命とは、選手生命や物事における熱量のこと。

 生命は何にでも何度も宿ります。
受験や部活、恋に趣味、そして仕事でさえも。
そうして生まれた生命は、命と同じように終わりがあります。

生きるってことは、同時に死に近づいていくことなんだと思った。
                   『Ⅱ章 彼女の場合-終-』より


 この言葉の通りです。
 ですが私はもうひとつの意味で、この死生観を作品に込めました。


創作行為そのものも生命ではないか、と。


 そう仮定すると「note」って生命の塊、集合体なんですよ。
作品は、その生命が生きた証。軌跡の集まりのように見えました。


であれば、この作品はnoteそのものにしよう。


そうした意味も込め、創作物を輝く星になぞらえて『群星』というタイトルを選びました。なんかちょっとロマンチックですね。

『群星』のテーマは、「生命について」になります。


※ちなみにですが、この『群星』は元ネタがあります。
たまたま、沖縄の某アンテナショップで見掛けたグラスが由来です。
(あっちの呼び方では「むるぶし」とか)

綺麗ですよね。見惚れてしまいました。
ちなみに暗くするとグラスが淡く光るのだそうです。
『BLEACH』の斬魄刀っぽい名前に加えて、海を感じさせる蒼、照明を落とすと星のように粒状に光る仕様……良いなぁと。
そこから着想を得て作ったのが本作です。

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皆様のお近くに沖縄のアンテナショップがあったら、是非覗いてみてください。※この画像、クレームがあったら削除します。


・最後に
 さて、本作から番外編まですべての解説が終わりました。

「もう一度読んだら印象が変わる小説を作ろう」


このコンセプトで始まった本章は、とうとう終わりを迎えます。
皆さまにとってはどうでしたか。
変わった作品でしたか。ただ長い作品だったでしょうか。
名前が一文字の奴が多過ぎて読みにくかったでしょうか(笑)
(それは僕もでした。やっちまった。)

 作り手としては、前章と比べて遥かに重厚で挑戦的な試みが多く、苦しみの多い作品でした。
 その分、得るものを多くありました。
自分の人生観や面白そうと思ったギミック、伏線を織り交ぜていった部分ですね。

読んで頂いたすべての方々に感謝を捧げます。
おかげでなんとか書き上げることが出来ました。
本当にありがとうございました。
次回作や今後については、また告知いたします。



たまにで良いので読み返して頂けると幸いです。

                             藤代琉太郎




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