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まいにち易経_0227【黄裳の教え:目立たずして人を導く真のリーダー像】黄裳、元吉なり。象に曰く、黄裳元吉なりは、文中に在ればなり。[02䷁坤為地:六五]
六五。黄裳。元吉。 象曰、黄裳元吉、文在中也。
六五は、黄裳、元吉なり。 象に曰く、黄裳元吉なるは、文中に在ればなり。
ある企業の新人研修に招かれた老易学者が、
未来のリーダーを担うポストZ世代の若者たちに向かって語る
まず、この「黄裳、元吉なり」という言葉についてお話ししましょう。「黄」という色は古代中国では王様の色として特別な意味を持っていました。王位を象徴する色で、普通は上着に使われる色です。しかし、ここでの「黄裳」というのは、下着や下履き、つまり目立たないところに使われているという意味なんです。これが何を意味するのか、皆さんと一緒に考えてみましょう。
この「黄裳」が示しているのは、「王様が自分の権力を表に出さず、あえて控えめにする姿勢」のことです。王様が自分の力を誇示せず、むしろ陰徳、つまり表に出ない善行を積むことで、その影響が民衆に自然と伝わり、国が繁栄していくという考え方なんです。
これを聞いて、皆さんはどのように感じますか?もしかすると、「リーダーは強くあらねばならない」と思うかもしれません。確かに、リーダーシップには強さも必要ですが、この強さというのは必ずしも力で押し通すことを意味するわけではありません。
例えば、歴史上の偉大なリーダーを思い浮かべてみましょう。孔子、ガンジー、そしてリンカーンなど、多くのリーダーたちは、自分の権威を必要以上に振りかざすことなく、むしろ自らが模範となる行動を通じて、周囲の人々に影響を与えてきました。彼らは、自分の考えや価値観を他者に押し付けるのではなく、自らがその価値観を体現し、その結果として人々がついてくることを知っていました。
「文中」という言葉も出てきましたが、これはその時その場に適した行動をとる、つまり「中庸」を得るということを指します。「中庸」とは、極端に走らず、バランスを取るということです。リーダーとしての皆さんには、時には決断を下すべき時もありますが、その決断が極端に偏っていないか、自分の利益ばかりを考えていないか、常に自問することが求められます。
では、この考え方を現代に置き換えてみましょう。例えば、皆さんがチームのリーダーになったとします。メンバーの意見を無視して、自分のやり方だけを押し通すのは簡単かもしれません。しかし、それではチームは真の意味で成長しません。皆さんの役割は、チーム全体が最大限の力を発揮できるように、メンバー一人ひとりの声に耳を傾け、適切なサポートをすることです。
また、リーダーシップには「陰徳」を大切にすることも含まれています。つまり、誰かが見ていないところで善行を積むことです。これは、評価を期待して行動するのではなく、本当に必要とされていることを見極めて、それを実行するということです。こうした行動が積み重なることで、周囲の信頼を得ることができ、自然とリーダーシップが認められるようになります。
一つ興味深い例を紹介しましょう。昔、ある有名な企業の経営者が、会社の清掃員と毎朝挨拶を交わし、時には掃除を手伝っていたという話があります。彼はそれを誰に見せるためでもなく、ただ「全ての人々が尊重されるべきだ」という信念に基づいて行っていたのです。その結果、彼のリーダーシップは多くの人々に自然と受け入れられ、会社全体が一体感を持つことができました。
この話からもわかるように、リーダーシップとは表に見える部分だけではなく、むしろ裏での行動が重要なのです。皆さんが将来リーダーになるとき、どのような場面でも自分を過度に目立たせるのではなく、周りの人々が自然と力を発揮できるような環境を整えることを心がけてほしいとおもいます。
最後に、「黄裳、元吉なり」という言葉に戻りますが、これは皆さんがこれからリーダーとして成長していくための大切な教えです。リーダーシップは目立つことではなく、むしろ目立たないところでどれだけ周囲を支えられるか、ということにあります。皆さんがそのことを心に留め、日々の行動に反映させることで、きっと大きな成果を手にすることができるでしょう。
参考出典
黄裳、元吉なり
「黄」は古代中国で王位を表す色。「裳」は下着、下履きの意味。王は本来、黄色の衣を上着として着るが、それを下着としてつけている。これは、人の上位に立たないことの喩え。王が陰徳を自ら生み出し、民衆を主に置くならば、国は栄える。
「文中」の「文」は権威、誠実、才覚などを意味する。このような王は、「文」を用いて「中」その時に適った行いをし、中庸を得ているという意味である。
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