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まいにち易経_0930【君子は占わず】易経の教えを本当に理解した人は、占いをする必要がない

不足於行者,說過;不足於信者,誠言。故春秋善胥命,而詩非屢盟,其心一也。善為詩者不說,善為易者不占,善為禮者不相,其心同也。
[荀子 大略篇 第二十七]

https://ctext.org/xunzi/da-lve/zh

行に足らざる者は、說過ぐればなり。信に足らざる者は、言を誠にすればなり。故に春秋にあい命ずるを善しとして、詩にしばしばちかうを非とするは、其の心一なり。善く詩をおさむる者は說かず、善くえきを爲むる者は占せず、善く禮を爲むる者はしょうせざるは、其の心は同じなり。


行動が伴わないのは、言葉が多すぎるからだ。そして、心の誠実さが欠けるのは、言葉だけが誠意を装っているからだ。だからこそ『春秋経』では「口約束だけで儀式を省略する」ことを是とし、『詩経』では「繰り返し誓いを立てる」ことを批判している。この二つは同じ考えに基づいている。詩に通じている者は無闇に詩を解説せず、易に精通する者は安易に占いを行わず、礼に詳しい者は軽々しく儀式の役割を果たさない。この原則もまた、同じ理屈である。


ある企業の新人研修に招かれた老易学者が、
未来のリーダーを担うポストZ世代の若者たちに向かって語る

君子不占くんしうらなわず」という言葉を聞いたとき、多くの人は「立派な人は占いなんかしないものだ」と解釈してしまいがちです。
でも、実はそうではないのです。この言葉の真の意味は、もっと深いところにあります。

孔子や荀子、荘子といった古代中国の偉大な思想家たちは、この言葉について興味深いことを言っています。
彼らの考えを総合すると、「易経の教えを本当に理解した人は、占いをする必要がない」ということになります。つまり、変化の原理原則を理解すれば、占わなくても先のことがわかるようになる、ということなのです。

昔の中国では、易経は占いの道具としてだけでなく、政治や戦略の指南書としても用いられていました。例えば、三国志の時代、諸葛亮孔明は易経を深く学び、その知識をもとに戦略を立てたと言われています。彼は、変化の兆しを察知し、適切な対応をすることで、多くの戦で勝利を収めました。これは、君子不占の精神を実践した一例と言えるでしょう。

「君子占わず」の考え方は、このような日常の例と同じなのです。易経の教えを深く理解し、その原理原則を身につけた人は、わざわざ占いをしなくても、物事の成り行きを予測できるようになるのです。

さて、「君子占わず」の考え方を現代のリーダーシップに当てはめるとどうなるでしょうか。

現代のビジネス環境は、非常に複雑で予測困難です。テクノロジーの進歩、グローバル化、環境問題など、さまざまな要因が絡み合っています。このような状況下で、単純な占いや短絡的な予測に頼るのは危険です。

代わりに、真のリーダーに求められるのは、物事の本質を理解し、変化の原理原則を把握することです。そうすることで、表面的な現象に惑わされることなく、長期的な視点で判断を下すことができるようになります。

例えば、ある企業のCEOを考えてみましょう。短期的な利益だけを追求するのではなく、社会の変化や技術の進歩を見据えて、持続可能な成長戦略を立てることができるリーダー。これこそが、「君子占わず」の精神を体現していると言えるのではないでしょうか。

また、「君子占わず」の考え方は、個人の成長にも大きな示唆を与えてくれます。日々の小さな出来事に一喜一憂するのではなく、人生の大きな流れを理解し、自分の行動の結果を予測できるようになること。これこそが、真の意味での成長ではないでしょうか。

ここで、もう一つ興味深い例え話をしましょう。チェスの世界チャンピオンだったガルリ・カスパロフは、コンピュータとの対戦で負けた後、こう言ったそうです。「チェスは人生の縮図だ。先を読むことは大切だが、それ以上に重要なのは、ゲームの本質を理解し、大局的な視点を持つことだ」と。
これは、まさに「君子占わず」の精神そのものだと思います。

さて、ここまでの話を聞いて、皆さんはどう思われましたか?「易経なんて古い考え方で、現代には通用しないのでは?」と思われた方もいるかもしれません。確かに、易経が生まれた時代と現代では、社会の仕組みも、私たちの生活も大きく異なります。

しかし、人間の本質や、物事の変化の原理は、時代が変わっても変わらないものがあります。それを理解し、活用できるかどうかが、これからのリーダーには求められるのです。

「君子占わず」の考え方は、単に占いをしないということではありません。それは、深い洞察力と先見性を持ち、常に学び続ける姿勢を持つことの大切さを教えてくれているのです。


参考出典

【君子不占】
「君子占わず」という言葉は、「君子たるものは占いなどしてはいけない」という意味と思われがちだが、そうではない。
『論語』の中で孔子は「占わざるのみ」という言葉を記している。
また、荀子は「善く易を為むる者は占わず」といい、荘子も「占わずして吉凶を知る」といっている。
つまり易経に学び、変化の原理原則を知れば、占わなくとも先々を察することができるというのである。

易経一日一言/竹村亞希子

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