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まいにち易経_1029【リーダーシップの核心:義を持つ判断の力】

ある企業の新人研修に招かれた老易学者が、
未来のリーダーを担うポストZ世代の若者たちに向かって語る

皆さん、こんにちは。本日は『易経』における「義」について、深く掘り下げてお話ししたいと思います。
「義理」としての「義」や「正義」としての「義」は、個人の人生や社会的役割において極めて重要な意義を持ちます。こうした「義」の概念は、日常生活における選択や仕事での判断に具体的な影響を与え、倫理的判断や社会の構築における規範的役割を果たすものです。例えば、家族や同僚との関係において何が最も重要であるかを見極め、それに基づいて行動する際に「義」が行動指針となります。

「義」を季節に喩えるならば、それは秋に相当します。秋は収穫の季節であり、農作物の成熟と選別を象徴しています。稲刈りの光景を思い描いてください。農家の方々が黄金色に実った稲穂を丁寧に刈り取る様子は、「義」の象徴です。この収穫作業において、価値あるものを残し、不要なものを取り除くという行為は、まさに「義」の本質を示しているのです。このプロセスは、秩序と選別という観点から、「何を残し、何を捨てるべきか」を明確に区別することを意味します。

ビジネスの世界においても、この「義」の思想は極めて重要です。新規事業を展開する際には、多くのアイデアから必要不可欠な要素を厳選し、他の選択肢を適切に取捨選択することが求められます。同様に、日常業務においても、優先すべきタスクとそうでないタスクを見極める力が重要です。ここで曖昧な態度を取ることなく、厳然とした選別を行うことこそが「義」の厳格さを反映しており、同時にその価値を体現するものです。

この厳格さは、リーダーシップにおいて特に求められます。リーダーとしての役割は、組織の方向性を明確に示すことです。「まあ、これでいいだろう」といった中途半端な態度では、組織は分散し、目標を達成することは難しくなります。むしろ、「我々はこの道を進むのだ」という明瞭な決断と方向性を示すことで、組織は一体感を持ち、目標に向かって進むことが可能となります。

しかし、「義」とは単に冷徹な判断を下すことではなく、深い思慮と洞察を伴うものです。例えば、三国志で知られる諸葛亮孔明は、「義」の精神を具現化した人物として広く知られています。彼は、蜀の危機において民衆の安全を第一に考え、食糧を分け与えながら撤退するなど、常に人々の利益を優先して行動しました。彼は常に全体の利益を見据えながら、正しいと信じる選択を行い、その行動によって多くの信頼と尊敬を得ました。諸葛亮の事例は、個人の利益や短期的な利害ではなく、長期的な視野と広い視点を持つことの重要性を示しています。

「義」はまた、私たちの個人生活においても極めて重要です。時間という限られた資源をどのように活用するか、何に時間を使い、何を削減すべきかという判断も「義」の一つの実践です。例えば、SNSに多くの時間を費やすよりも、自己啓発や学びの時間を増やす選択をすることは、「義」に基づいた行動といえます。また、誰と交際し、誰との関係を見直すべきかといった人間関係の選択も、健全な生活を送る上で「義」の概念に基づく重要な判断となります。

ビジネスにおいても、「義」の精神は非常に大切です。短期的な利益を追求するだけではなく、長期的な視野から見た環境への配慮が「義」に沿った選択と言えるでしょう。例えば、環境に悪影響を与える製品を取り扱い続けるのではなく、環境に優しい製品にシフトするという決断をすることが、「義」の精神に適っているのです。このような選択こそが、これからの時代に必要とされるリーダーのあり方だと考えます。

「義」の精神はまた、日本の武士道にも深く根付いています。例えば、江戸時代の山本常朝が記した『葉隠』には、「武士は義を以て生きるべし」という教えが繰り返し強調されています。武士たちは、ただ強いだけではなく、正しいことを行う勇気を持っていました。例えば、赤穂浪士の討ち入りのように、主君への忠義を貫き、正しいと思う行動を最後まで遂行したエピソードは、まさに「義」の精神を象徴しています。この精神は現代のリーダーにも通じるものです。困難な状況でも、自らの信念に基づき正しい行動を貫くことが、真のリーダーシップを形成します。

皆さんに問いかけたいと思います。皆さんの人生や仕事において、「義」をどのように実践していくべきでしょうか。日々の小さな決断の中で、「義」を取り入れてみてください。「この仕事は本当に必要か」「この会議は生産的か」といった問いを常に心に抱き、「残すべきもの」と「捨てるべきもの」を明確にすることが、真の意味で「義」を実践する第一歩です。

「義」を重んじることは、自己の成長にもつながります。私たちが「何が正しいのか」「何のために働くのか」といった本質的な問いに向き合うことで、自らの価値観を深く理解することができるのです。

「義」の実践は決して容易ではありません。時には孤独を感じることもあるでしょう。しかし、そのような時こそ、自分の信念を貫く勇気が試されているのです。歴史上の偉大なリーダーたちも、多くの困難に直面しながらも「義」を貫き、多くの人々から信頼を得てきました。

皆さん一人ひとりが「義」の精神を心に留めて実践していくことで、より良い社会が築かれると信じています。これからの人生において、「義」を持ち続け、真のリーダーへと成長していただきたいと思います。


参考出典


「義」は義理、そして正義の「義」である。
「義」は季節でいえば秋にあたる。秋に稲穂を伐採し、米だけを残して他を省き、収穫を得るという意味がある。 残すものと捨てるものを分ける――これが義である。 したがって、義には「この程度でいいか」という暖昧さがあってはならない。右と左ははっきりと分かたれる。いい加減なものではなくて非常に厳しいものである。

易経一日一言/竹村亞希子

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