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【読書感想】Greek and Roman Animal Sacrifice: Ancient Victims, Modern Observers

最近は研究会準備や論文購読にかまけてnote更新を怠っていましたが…、読み終わった本の感想を久しぶりに書きたいと思います。
"Greek and Roman Animal Sacrifice: Ancient Victims, Modern Observers"という動物犠牲に関する論文集についてです。

研究会で碑文を読む機会が多いのもあり、最近は犠牲式や祭儀というような古代ギリシア人の慣習に興味が出てきています。その興味の延長線上で読んでいた論文の出典にあったのが、この本です。全200ページ程度と、ボリュームとして少なめですが、その濃さは最近読んだ本の中で最も深いものでした。

古代ギリシアの犠牲式に関する"Great Theory"は、大きく2つあります。1つはヴェルナンの喜劇を軸にした理論、もう1つがブルケルトの悲劇を軸にした理論です。この2つの理論は真っ向から対立しており、前者が犠牲式の食事を重視するのに対し、後者は犠牲式の動物の殺害を重視しています。本著作では様々な研究者の論文がまとめられていますが、全体的な傾向として、ブルケルトの理論への反論と、数ある犠牲式の形態の中でとりわけ動物犠牲を特別視する学会の風潮に異議を唱えるという論調が明確です。

この論文集が特に私の印象に残った理由としては、数年前に読んだブルケルトの著作「ホモ・ネカーンス」に多大なる感銘を受けていたからに他なりません。当時は犠牲式に関する研究史に注意を向けるほどの予備知識が無く、文化人類学や生物学を援用したブルケルトの精緻な主張、犠牲式は狩猟時代と人間の攻撃性に由来するという理論に、物凄い衝撃を受けたことを覚えています。

そのブルケルトの"Great Theory"は、本書であらゆる方面から論駁されます。本書内に収録されたGrafの"One Generation after Burkert and Girard"が最も直接的に反論していますが、紀元前1万年頃の定住遺跡(ギョペクリ・テペ等)の調査を通して、犠牲式の痕跡は狩猟時代には確認できず、むしろ狩猟採集社会から農耕・牧畜社会に移行する段階で発達したのではないかという結論に達しています。上記に加え、Henrichsは、ギリシア悲劇における犠牲式の描写を分析することで、その問題点を明らかにし、悲劇を軸に犠牲式の理論を組み立てたブルケルトを批判しています。

とはいえ、ブルケルトに代わる"Great Theory"の構築には至ってはいません。ヴェルナンの理論は比較的擁護されていますが、逆に喜劇に寄り過ぎているような印象を受けます。Redfieldは、ヴェルナンの理論の一部(犠牲式は人間を神と動物の中間に位置づけるという見方)を「古喜劇には当てはまらない」として否定しています。

この論文集が指し示している通り、「動物犠牲中心主義」から脱することが、次の"Great Theory"の鍵になるのではないかと個人的には考えています。古典期の重要な神殿建築であるパルテノン神殿やヘファイストス神殿には、祭壇がありません。Neerが指摘していますが、祭壇がないことを根拠に「神殿ではなく、宝物庫だった」と安直に断定してしまっていいのでしょうか。パルテノン神殿は、ヘカトンベー(百牛犠牲)なんかよりも遥かに多大なるリソースをかけて出来ています。神々は、何年間も無数の人々を動員して作り上げた壮麗な神殿よりも、祭壇で動物を殺し食すことを望んだと、当時の人々は信じていたのでしょうか。

分野は異なりますが、宗教的犠牲に関する心理学研究において、犠牲の定義は動物や奉納物に限りません。食事制限や金銭、費やす時間や人間関係など、多岐に渡ります。あくまで現代宗教における定義ですが、神への捧げ物は物質に限らないのです。これらを包括して1つの理論にまとめることは大変な困難ですが、非常に興味深い方向性だと思います。


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Δίας(ディアス)@ギリシャ趣味人
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