闇に葬られた精神外科 なぜ脳を破壊することが許されたのか
今回は以前のコラムで出たキーワード「精神外科」についてお伝えできればと思います。
少し衝撃な内容となっています。
精神外科
まずは、ほんの50年位前まで日本でも普通に行われていた、精神外科とその治療内容を伝えていけたらと思います。
精神科の薬物療法が劇的に進歩したのは1950年代頃でした。しかし、客観的妥当性や効果に疑義の意見もあり、1970年代までは精神外科と言う治療法が一大ブームを起こしていました。
精神外科で最も有名だったものは
「ロボトミー手術」
です。ひょっとしたら、皆さんも聞いたことがあるかもしれません。
この
「ロボトミー手術」
は精神疾患による異常な感情や行動を抑える意図をもって、構造的には正常な脳組織をふくむ大脳辺縁系に損傷を与える手術でした。
例えば脳腫瘍の手術など、明らかな病変をきたした脳組織を切除するものは、一般的な脳外科手術の一種であって精神外科とは呼ばれません。
この手術法はポルトガルの神経科教授であったエガス・モニス(Antonio Egas Moniz, 1874~1955)によって確立され、1937年に発表されました。
ロボトミー手術
当初リュウコトミー(leucotomy)と呼ばれたこの方法は、左脳と右脳の上側から二つの穴をあけてアルコールを注入して組織を破壊するか(最初期の方法)、穴からさしこんだ棒状の器具を用いて前頭葉白質の神経繊維を裁ち切るものでした。
これが、「患者の人格同一性を変えてしまうことなく」重度の精神病者の妄想や凶暴性を取り除く方法として紹介されたのです。
しかも、モニスはこの治療法を画期的な業績として評価され1949年にノーベル医学賞を受賞します。
↑現在も取り消されていません。
後にこの術式は、米国のフリーマン(Walter Freeman, 1895~1972)やワッツ(James W. Watts, 1904~1994)らによって「改良」されます。
そして、1960年代半ば頃から70年代にかけて、前頭葉を切除する方式から(前頭葉への侵襲による知力の減退を防ぐため)より脳幹に近い視床、帯状回、大脳扁桃核などのごく一部をピンポイントで凍結・電気凝固させる方法が提案されるようになりました。
同時に手術の適応も、重度の精神疾患から、より軽い情動障害を扱うものへとその対象は広がっていきました(Older 1974; Bridges and Bartlett 1977)。
世界の精神外科
日本では日本精神神経学会が1975年に
「精神外科とは人脳に不可逆的な侵襲を加えることを通じて人間の精神機能を変化させることをめざす行為である。かかる行為は医療としてなされるべきでない」
として、精神外科全体を否定する決議を下し、以降は実質的に禁じられています。
しかし、英国やスウェーデン、また米国の一部の病院など幾つかの国々ではごく限定された患者に対して精神外科手術が今でも行われているそうです。
破壊される脳
現在は、精神疾患以外の脳疾患治療や、疼痛緩和などの目的で脳の特定の部位を破壊・凝固する手術は行われています。
モニスの助手として手術の執刀をしたアルメイダ・リマの回想によれば、モニスの着想に科学的な裏付けを与えたのは、1932年に発表されたニューヨークの医師ブリックナーによる論文と、1935年の世界神経学コングレスで発表されたイェール大学のフルトンとジェイコブソンによるチンパンジー実験だったそうです(Lima 1973; Brickner 1932; Fulton and Jacobson 1935)。
当時は脳外科という分野そのものが確立されつつあった時期で、米国ではジョンズ・ホプキンス大学のウォルター・ダンディ(Walter E. Dandy, 1886~1946)らが脳腫瘍や水頭症などの外科手術を次々に成功させていました。
ブリックナーの論文は、そのダンディにより前頭葉の大半を切除された患者を長期観察したことから完成したものでした。
対象の患者は一時期自発性を失い子どもっぽい振る舞いをみせますが、やがて高次機能を回復し、記憶や会話能力にも大きな障害もみられず、ただ性格だけが見違えて快活になったと報告されています。
しかし、この対象の患者は、ブリックナーが報告したより広範な病的異変がみられたことが後に判明しています。
一方、フルトンとジェイコブソンの実験は、前頭葉の一部を切除された二匹のチンパンジーがともに攻撃性を失い穏やかになったというものでした。
広がる精神外科
モニスはこれらの知見を、重度の鬱や攻撃性をもつ精神疾患患者に応用できないかと考え着想に至りました。
実はモニスは、今や脳外科医であれば知らない者のない脳血管造影法(Cerebral angiography)の発明者です。
脳血管造影法とは、造影剤とX線を用いて患者の脳血管の様子を撮影する方法で、現在でも、脳動脈瘤や脳梗塞などの脳血管障害が起きた場合、あるいは脳腫瘍などを診断する際にはほぼ必ず用いられる基本的な方法です。
この脳血管造影法の開発はモニスにとって試行錯誤の連続でした。彼はまず死体と生犬で実験し、その後に治療のほどこしようのないてんかん患者や脳腫瘍患者などでこの方法を試みました。
しかし、一人の患者は施術直後に死亡したため、モニスは一ヶ月ほど苦悩にさいなまれたりもしました。そうした失敗を経て、最終的に安全性と精度の高い脳血管造影法が確立されたのです。
それと同じ情熱と知識をもって、モニスはリュウコトミーの開発にあたりました。ただし、人間の精神疾患の治療法であるリュウコトミーについては、脳血管造影法を開発したときのように動物や死体でまず効果を試すということはできませんでした。
そこでモニスは、患者を慎重に選ぶことから始め、長期にわたり症状が改善せず、他の効果的な治療法がなく、かつ本人が極度に苦しんでいる重度の統合失調症、うつ、強迫神経症の患者に対してリュウコトミーを施しました。
そして、最初の20例のうち、実に14人の患者から目にみえて不安が減ったとしてモニスはこの手術法を発表することを決意します。
脳血管造影法とリュウコトミーの開発プロセスを比べる限り、一方が倫理的で他方がそうでなかったと言うことはできません。
人体実験の果てに
精神外科が後世にどのような社会問題をもたらしたかという考察を除けば、モニスは確かに当時第一線の脳神経学者であったことは確かです。
モニスは、前頭葉を切除すると凶暴な精神病者が穏やかになるという精神外科の効果について、精神的異常は脳内の異常なシナプス結合によって生み出されるので、その結合を切断すれば当の精神症状が消失する、という仮説をたてていたと考えられています。
結果的に、この仮説自体は誤っていました。しかし、当初、彼が開発した手術方法が一部の患者に効果的に見えたことは事実でした。
やがてリュウコトミーは英国の病院でも実施されますが、その結果はおおむね良好とされました。
英国医学誌(British Medical Journal)に1951年から1952年にかけて掲載された複数の研究のうち、ある報告(Steele 1951)は、18ヶ月にわたり重度の不安と持続的頻脈に悩まされていた患者の症状が消失したと述べ、「患者もその家族も、手術は正当化されると信じている」と論じました。
別の報告(Gillies et al. 1952)は、リュウコトミーをうけた238名について、平均で術後4年半ほど経過した時点での聞き取り調査を行い、
手術による死亡率が3%
手術以外の原因による死亡が0.8%
術後てんかん(一度きりの発作を含む)が8%
に認められたものの、絶望的と思われていた患者の約3分の1がほぼ正常な生活を送り、約4分の1が復職を果たし、病院に残った者のなかでも半数は以前より幸せで看護が容易になっている、と結論づけました。
精神外科の衰退
しかし、波に乗ったかにみえた精神外科手術は60年代には批判の高まりによって後退をみせます。
ある研究者たちは、術後死亡例の存在や長期予後の悪さは初期の精神外科医らが主張したより深刻だと指摘しはじめたのです。
また、別の者は精神外科手術による患者の沈静化は、実は脳の異常が除去されたからではなく、情動にかかわる部分を切除され患者の心から鮮明な感情が奪われたために生じたものだと主張しました。
日本では特に、ロボトミーが導入された時期において、本来ならば手術の適応ではないはずの人々までが手術を受けていたことが、後に大きな社会問題となります。
社会問題となった要因は
・各大学病院が症例数を上げるという目的
・手術の適応を確立するという名目
・治療ではなく人間の前頭葉の機能を解明するのに役立つからという理由
により、過去に逮捕・拘留歴のある
「暴力傾向がある」人
「手に負えない」アルコール中毒患者
などに対してまで手術を行っていたことが、患者の脱走事件や元患者による医師家族殺人事件などによって世に知られていったのです。
こうした非難の高まった精神外科手術は、これに代わる向精神薬などの新たな治療法の登場もあって、1970年代後半には陰をひそめていきました。
最後に
こんな、人体実験の様な精神科医療が50年前まで普通に実施されていたなんて、本当に恐ろしいです。
しかし、脳医学や精神医学は他の診療科目に比べて、とても若い医科学です。ひょっとしたら、いまの薬物治療でさえ50年経ったら人体実験と言われているかもしれません。
精神医学はまだまだ解明していない部分が多い分野なのです。
例えば、
「うつ病のモノアミン仮説」
「統合失調症のストレス脆弱モデル」
とかってあるんですが、これらは仮説なんです。
メディアやSNSでは、
「○○病に○○が効く」
と情報が発信されてますが、本来の断定は長期間の追跡調査をもって、検証し、確立し、正しいと断言できるのです。
こんなこと言うと怒られちゃうかもしれませんが、日本の神経・精神科領域の医療内容は世界と比較して異質なのです。
例えば、統合失調症においては抗精神病薬の「単剤治療」を行うことが海外の各種ガイドラインで推奨しています。
しかし、日本の精神科医療は多剤大量処方で治療を行っているケースが多いのです。医療制度の構造的な問題も根底にありますが、、世界的にみても大変異質な治療方針といわれています。
日本でも技量の高い精神科の医師は存在しますが、人数としては少ないと思います。
昔からよく言う医療従事者の格言みたいなものがあります。
『薬を出さない先生ほど、良い先生』
本当に胸に染みます。
薬剤で人生を狂わすことが一人でも減ることを願っています。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
このコラムは私の個人的な知見に基づくものです。他で主張されている理論を批判するものではないことをご理解いただいたうえで、一考察として受け止めて頂き、生活に役立てて頂けたらと幸いです(*^^*)
【文献】
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