新社会人になったあの頃を振り返る
全国の至る会社で入社式が開催された。この時期になるとSNSに新社会人に向けたお節介をする人が増える。毎年の恒例行事なのでもはや何も思わなくなったけれど、新社会人の頃は「うるせえよと思っていた。お節介の中には、「新社会人にアドバイスをする人のアドバイスには耳を傾けないでいい」という特大ブーメランを放っている人もいて、少しだけ頬が緩んだ。
自身の新社会人の頃を振り返る。風が吹けばすぐに飛んでいきそうな会社だったため、入社式はなかった。大学4年生の夏からインターン生として働いていたこともあって、周りの友人が入社式に出席しているその様が少しだけ羨ましかった。4月になって最初の出社日はテレアポをした。1日中架電をして、その数は余裕で100件を超えていた。社会人の心得を学ぶ研修もなければ、新人歓迎会もない。周りの友人のSNSを眺めると、「今日は一日座学の研修だった。すごい人が来て、いい話を聞けた」と書いているのを見た。周りとの違いを思い知らされて、いいなと呟いた。
大学4年生の夏頃に購入したスーツはなんだかくたびれていて、フレッシュさのかけらすらもなかったかもしれない。あらゆることがぶっつけ本番で、名刺交換の仕方すらわからないまま商談に入って、上司に言われた通りに商品の説明をする。君の説明は機械みたいだ。もう少し相手の話を聞いた方がいい。あれ、上司にはとりあえず商品の説明以外はしなくていいと言われていたのに、思っていた反応と違う。そこから営業に関する本を読み漁っては、付箋を貼ったり、ノートにメモをしたりした。
新人だからと相手にされないことも多く、自分の現在地が痛いほどにわかる。毎日のように現場に足を運び、その度に先輩から指導される日々。「お前それぐらい自分で調べとけよ」と言われたことが何回あっただろうか。電話の掛け方以外は何も教えてもらえないまま日々が過ぎ去っていく。これが社会人のなのかと思い知らされるばかりだった。
慣れない社会人生活。家に帰って勉強をしたいと思いはするものの、体が思うように動かない。想像以上にストレスと疲労を緩じているようだ。スーツのまま眠りにつくなんてザラで、何度朝を迎えて、後悔の渦に飲み込まれただろうか。食事はろくに喉を通らず、虚無感だけが増えてういく。同期は1人しかおらず、まったく馬が合わない。仕事終わりに飲みに行ったことはなく、同期と仲がいい友人が異世界の住人のように思っていた。
金曜の夜にスーツから解放された瞬間に、それまで貼り付けていた緊張の糸が一気に解ける。休日は疲れを取るためにほとんどを睡眠に費やしていた。行きたい場所ややりたいことがどんな増えていく。だが、そこに体がついてこない。慣れるまでの辛抱と自分に言い聞かせる。その声はあまりにもか細くて、風が吹けばかき消されるようなものだった。
社会に出れば出るほどに、営業先に足を運べば運ぶほどに、自分の無力さを痛いほどに思い知る。何者にもなれない厳しい現実に歯を食いしばる。優秀な先輩たちが数字を上げていく中で、数字につながらない日々ばかりを過ごしていた。自分の実力を見せつけてやるという熱い野心はボロボロに崩れ去り、何をやってもダメという思考回路に陥る。最初からできる人はいないという声が聞こえた。それは自身を慰めるには値しない言葉だった。
お昼休みに疲れを取るために、自分の机で寝ていた。その後、先輩に呼び出され、周りの人が仕事をしている中で、居眠りをするのはどうかと思うよと言われた。社会人はお昼休みすら自由に使えないのか。翌日からお昼休みを公園で過ごすようになった。社会人に何の希望を抱いていたのだろうか。もはやそれすらも分からなくなった。
ある日、先輩から困っていることはないかと尋ねられた。分からないことが分からない。だから、差し伸べられた手を拒んだ。それと同時になくなっていく確かにそこにあったはずの自信。会社の窓から見える揺れた桜が中を舞う。綺麗なものすら素直に綺麗と思えない。感受性ぐらい自分で守れよ。本当にそうだと思う。守られていることにすら気づけずに、狭まった視野を前にどう足掻けばいいか分からなかった。
結局、2ヶ月で会社を辞めた。そこから自分を変えるために躍起になって文章を書いたり、イベントスペースの運営をしたりした。とても華々しいとは言えない社会人生活を過ごしている。この8年間はいい結果もあれば、悔し涙を飲んだこともある。いや、社会人生活の大半は悔し涙だ。成功したことなどこの手に数える程度しかない。それでも社会人生活10年目をなんとか迎えている。30歳になれば社会人に何かアドバイスができるようになると思っていた。ところが現実は、アドバイスどころではなく、どうやったらその新鮮さを手に入れられるのですかと逆に教えを乞いたいぐらいだ。
新生活に夢見ていたあの日々のようになりたい。でも、なり方がわからない。新鮮さと熱意があったあの頃が遠い昔のように感じる。後悔はしていないけれど、納得もしていない。きっとこの感覚は走ることをやめたときになくなるものなのだろう。まだまだやりたいことがあるし、やれることもあるはずだ。アドバイスは金輪際できなくていい。でも、やりたいことを追い続ける気持ちだけはずっと持っていたい。死んだ魚のような目をしていた新社会人生活よりも少しだけマシな目になったような気がする。今が一番若い。だからこそ、この長期マラソンを自分のペースで走り切りたい。