浅田家の末裔
彼女と結婚して15年の月日が経つ。結婚10年目までは良好な関係だった。いつからか会話が弾まなくなり、喧嘩も増えてしまった。マンネリ化してしまっているんだろう。仕事をして、家に帰って会話のない食卓を2人で囲む。その繰り返しの中で、少しずつ歯車は狂っていった。
どうすれば2人の関係は修復するのだろうか。いろいろと模索してきたけれど、いまのところどの手段も役に立っちゃいない。今日もうまくいかなった。後悔と不安を抱えながら今日もまた眠りにつく。
朝目が覚めると、どうやらいつもと雰囲気がちがう。ここは一体どこだ。なぜ僕は着物を着ているのだろうか。外に出ると街にはビルが見当たらない。それどころか木製の家がずらりと並び、街の人たちもみんな着物を着ている。
「あれ?僕はなにをしているんだ。てかここはどこだよ。」
変わり果てた風景に状況をまったく飲み込めない。まずは情報収拾からしよう。そして、着物を着た男性に声をかけてみる。
「すいません。みんななんで着物を着ているんですか?てかここはどこですか?」
「はぁ?なにいってんだ。お前さん。服装っつったら着物しかないべ。それよりお前さん今日は稽古の日だろう。早く行かねぇと師範に怒られるべ」
師範?なんの話をしているのかがわからない。俺は会社員で、今日も会社に行かなければならないのだ。それより修行ってなんだ?てかここはどこなんだ。
男の名は五平。村で田や畑を耕し、それを売って生計を立てている。農家の家に生まれ、毎朝5時には起きて、農業の仕事をしているんだとか。
「五平さん、携帯電話って知ってますか?」
「携帯電話ぁ?そんなもん知らんよ。それはなんだい?美味いものなら武家たちに高く売れるべ」
この時代に携帯電話があるかもしれないと少しでも期待した僕が馬鹿だった。ではこの時代の人は、どうやって連絡を取っているのだろうか。ふと疑問に思ったことを五平にぶつけた。
「じゃあこの時代の人たちはどうやって人と連絡を取っているんですか?」
「連絡手段なんて文通しかないべ。週に1回飛脚の人たちが村に手紙を届けてくれるんだべ。それ以外に連絡の手段なんてないべなぁ。そんなことよりもお前さん早く師範のところに行け!本当に怒られるべ!」
村の人たちから情報収集をしていると、少しずつ状況がわかってきた。ここは戦国時代の大阪だ。街の人たちは戦いに備えて、剣の修行をしている。かの豊臣秀吉に見初められるために、「剣の達人になる」がこの村の男の使命だとか。
ちなみに僕の名前は「兵庫の助」というらしい。武士になるために村一番の剣術道場で剣を学んでいる。この時代は剣の実力がすべてだ。誰もが剣1本でのし上がるために、日々研鑽している。
「こら!兵庫!みんなはもう修行に励んでいるというのに、遅刻とは何事か!」
最近織田軍が、長篠の戦いで最強の騎馬隊を持つ武田を討ち滅すために兵を掻き集めている。「武田との戦いに勝てば、天下は織田信長のものになる」と、村の人たちは騒いでいた。天下統一。男なら誰もが憧れる言葉である。そして、男たちは織田信長の矛となり、盾となるために修行に励む。戦いで功を得れば、村に住む両親や家族に贅沢をさせてやれる。
そして、ここは織田信長にもっとも近い豊臣秀吉が領地とする村。豊臣秀吉が兵を集めるための修練場が、僕がいま剣を学んでいる道場らしい。半平太という男と僕が、いま師範に1番認められている男で、もう少しで豊臣秀吉の元に送られるそうだ。
そんなことをいきなり言われたところで、戦いなんて興味がないし、戦いに行ってもし死んでみろ。現代に戻れなくなってしまうじゃないか。戦いなんてどうでもいいから早く現代に戻る方法を見つけなければならない。
変わり果てた現状に、さすがにこれは夢だと思って、ほっぺたをつねってみたが、どうやら夢じゃないみたいだ。どうやったら現世に戻れるのだろうか。現世について思いを馳せているときに1番最初に浮かんできたのが妻の顔だった。
妻に会いたい。妻に会うために早く帰らなければ。
「あら。兵庫の助殿。今日も剣の修行かい?精が出るね〜」
剣を振っている最中に香織という女性から声が掛かった。
「いえ、これが武士の務めですので」
一端の武士のふりをして、その場をやり過ごす。
「ああ、香織殿いらっしゃい」と師範が言った。
「こら、兵庫!お前なに勝手に休んでるんだ!遅刻してきた分際で、香織さんと楽しく話すとは何事か!」
「お前さんあの香織さんから声が掛かるなんてすごいことだぞ。香織さんに名前を覚えてもらうために、何人の男が必死になっているかもお前さんは知らないんだろ。いいなぁ〜」と六郎が言った。
彼女は浅田家の女だ。浅田家はこの村で1番有名な武家らしい。彼女はどうやら僕を気に入っているらしく、村で見かけるたびに声をかけてくれているみたいだ。たしかに彼女は綺麗だ。村中の男たちが彼女に認めてもらうために、必死に修行をしていることも頷ける。でも、身分がちがうもの同士はこの現代では一緒にはなれない。
たとえ彼女が僕に恋に落ちたとしても、それは報われず終わってしまう。だったら最初から好きにならないほうが身のためだ。とはいえ、彼女を初めて見たときに「好きだ」と思ってしまった自分がいるのも事実である。
「兵庫の助殿。それじゃあ私は帰るよ。師範は厳しいけれど、全部兵庫の助殿のためだから許してやってくださいね。ああ、それと」
彼女は僕に一通の手紙を渡した。今夜は家で宴会があるため、夜に会えないからと頬を赤くしながら彼女はそんなことを言っていた。なぜ彼女が僕に手紙を?まったく状況を読み込めない僕は、「ありがとうございます」とだけ言って、その場をやり過ごした。
どうやら僕と香織は恋人関係にあるらしい。僕たちはみんなが知らないところで、2人でこっそり会っている。僕たちが会う時のルールは、自分の思いを綴った手紙を一通懐に忍ばせること。お互いに書いた手紙を渡し合って、少しだけ話をして、すぐさま解散する。それだけの関係を恋人関係と呼んでいいのかは僕にはわからない。
現代ならメールやLINEで取りたいときにいつでも連絡を取れる。手紙を書くことなんてほとんどないし、これはこれで新鮮だと思った。なにより自筆の文章には気持ちが込められている。メールやラインのように表面だけなぞった文面ではなく、手紙には紛れもなく魂が宿っている。
でも、この関係性は禁断の関係性だ。身分のちがうもの同士の交際は認められていない。僕が彼女と一緒になるためには、武家の男になるしかない。彼女と一緒になるために、戦で功を挙げる。それが現代の僕の目標のようだ。
もしバレてしまったら、僕はこの村を追放されるだろう。それだけで済めばいいけれど、最悪の場合は命を取られてしまうかもしれない。そんな危ない橋を2人で渡り歩いている。客観的に見ると、兵庫の助の勇気と行動力はすごい。なんて男に憑依してしまったんだろう。
週に1回、決まった場所で落ち合う。僕も彼女も自分の思いをちゃんと伝え合っていた。現代では妻に思いを伝えるなんてことはしていなかった。連絡はすぐに取れるし、こうして2人でいることがこんなに特別だと思わなかったな。
1ヶ月の月日が流れ、僕と香織の関係性がバレてしまった。当然のごとく村を追放されると思っていたんだけれど、浅田家の当主である忠勝は寛容な男で、長篠の戦いで僕が武功を挙げ、武士として出世を果たせば2人の関係を認めると言った。
忠勝という男は昔、好きな人がいたが、身分のちがいで好きな人と一緒になれなかった過去があるそうだ。娘に同じ思いをさせたくない。でも、身分ちがいの男との結婚は村の人たちが納得しないから大きな武功を挙げ、村の人たちを認めさせてみせろとのことだった。
長篠の戦いといえば、武田勝頼と織田信長の戦いである。歴史上では織田信長が鉄砲を使った戦法を用い、武田軍に圧勝した。武田信玄が病死したことによる混乱のせいもあるだろうけれど、武田信玄がいたとしても、鉄砲には対抗できなかったかもしれない。そして、織田信長が名実ともに天下人に近づいた戦いでもある。
そのような歴史ある戦いに現代人の僕が出向こうとしている。手足は震え、気分も優れない。なにより戦場なんて現世では考えられない。なんでこんな目に遭っているんだ。
「おい、兵庫、お前さん膝が震えてるじゃねぇか。戦は冷静さを欠いたやつか順番に死んでいくんだぞ。わかってるか!」
「馬鹿を言え。これは武者震いってやつだ。おい、なんだ、半平太こそガチガチじゃねぇか。俺たちは武功を挙げるために、村から出てきた。だからやるぞ、この命に代えてもな」
思ってもいない言葉が出てきたその事実に驚いてしまった。ああ、僕は香織に恋をしてしまっているんだ。だからこの戦で武功を挙げなくてはならない。そのための覚悟がたったいまできた。あとは戦で武功を挙げるだけだ。
ついに戦いの場にやってきた。口では覚悟ができたと言ったが、体は正直で先ほどよりも震えが増している。この戦いで死ねば現世に帰れないかもしれない。いらぬ不安が頭をよぎった。
西軍はもう戦いをはじめている。僕たちは東軍から相手を殲滅する部隊だ。騎馬に乗った兵士に、戦場を走り回る歩兵。たくさんの人によって起きた砂煙に、ぶつかり合う兵たちの声。響き渡る銃声。大将の檄に感化される兵士たち。ここにいる誰もが織田軍の勝利のために戦っている。香織と一緒になるために、生きて帰らなければらない。そう考えるといつの間にか体の震えは止まっていた。
ついに戦場の火花が切って落とされた。とはいえ歴史上では織田軍の圧勝だ。勝負には勝っている。つまりこれは兵庫の助がどれだけの武功をあげられるかの戦いなのだ。
迫り来る騎馬隊に、対抗する鉄砲部隊。剣で戦う者もいれば、弓で応戦する者もいる。弓矢が飛び交う中を僕たち歩兵は走り回っていた。僕は剣で敵の兵力をそぎ落とす。キンキンと剣と剣が重なる音が鳴り響く戦場。次々に討たれる味方の兵士。それでも負けるもんかと相手に斬りかかる半平太。勇敢に立ち向かうその姿はまさに獅子のようだった。
敵兵に剣を振りかざそうとしたそのとき、後ろから「覚悟!」という声がした。後ろを振り返る。すると、斬られていたのは僕ではなく、半平太だった。あまりの衝撃に僕は僕は呆気に取られていた。
「おい、半平太!お前さん武功を挙げるって言ってたじゃないか。それを俺みたいなやつのために、、、」
「体が勝手に動いちまったんだよ。せっかく武功を挙げたってんのに。ああ、母ちゃんに怒られるな。でも、お前を守ったことに悔いはない。だからお前は生きろ。生きて武功を挙げて、香織殿を幸せにしろ」と言って半平太は僕の腕の中で逝った。
感情が爆発する。そして、無様に剣を振りかざす。「剣は感情で扱うな。むやみやたらと振り回すのではなく、気持ちを落ち着かせ、一振りに魂を込めろ」と口すっぱく言っていた師範の言葉を思い出す。戦場はさらに激しさを増す。目の前に迫り来る敵兵を次々に斬り続ける。
幸運にも敵将が目の前にやってきた。敵将を打ち取れば、半平太の仇を討てる。武功を挙げるなどとうに頭になかった。言葉よりも先に体が勝手に動く。剣を振りかざす。キンと鉄の音が鳴り響く。剣先が頬に触れ、血が流れる。状況は誰が見ても劣勢だ。そんなことは関係ない。半平太の仇は僕がとる。
剣先に集中し、目の前の相手をただ斬り伏せる。そして、渾身の一撃で敵将を討ち取った。
「武田軍の大将、浅田家の兵庫の助と半平太が討ち取ったなり!」
まだ浅田家の人間ではないのに、浅田家という言葉が自然に出てきた。敵将を討ち取ったときに頭に思い浮かんだのは香織と半平太だった。声は震え、膝が笑っている。相手の大将を討ち取ったというのに、なぜか喜べずにいる。現代なら人を討ち取ることは許されていない。でも、戦国では命を取るか、取られるかの戦いが全国各地で行われている。
戦いは織田軍の圧勝だった。でも失った代償がでかすぎた。半平太とはもっと戦いを共にしたかったのに、僕のせいで半平太は逝った。だからこそ、半平太の分まで生きなければならない。
村に戻ると、浅田家の当主と香織が待っていた。
「半平太殿が、、」
あまりの悲しさにこれ以上の言葉が出ない。
「半平太は武士として戦場で逝った。まさに武士の本望じゃないか。君が気にやむことはない。武士として死ねたことを誇りに思うぞ。」と浅田家の当主が言った。
「そして、君は敵の大将を討ち取るという大きな武功を挙げた。秀吉様は君を気に入ったようだ。浅田家の正式な当主として迎え入れろとのことだ」
半平太を失った代わりに、僕は香織と結ばれることになった。嬉しい気持ちには変わりはない。でも、ここにはもう半平太はいない。
「おい、兵庫よ、下を向いている暇なんてないぞ。お前がしっかりせねば、香織殿が安心して暮らせないだろう」といるはずのない半平太が言った。そうだ。くよくよしている暇なんてない。気持ちを入れ替え、香織殿を幸せにするために、そして、半平太のために生きなければならない。
舞台は武家屋敷。どうやら兵庫の助と香織の結婚式が行われているらしい。たくさんの武家の人たちが2人を祝福している。白い衣装を着た香織はとても綺麗だった。とてもじゃないけれど、僕に僕に彼女はもったいなさすぎる。
「おい、兵庫!鼻の下を伸ばしてんじゃないぞ!」と師範がにやにやしながら言った。いつまでたっても師範にはずっと怒られてばかりのような気がする。2人で誓いの言葉を言い合ったその瞬間に、僕は目を覚ました。
「山口さん、起きて!もう少しで会議が始まっちゃうよ!」
あれ?ここはどこだ?僕は何をしているんだろうか。いや、ここは僕が務めている会社じゃないか。やっと帰ってこれた。良かった。
「ピロリーン」
iPhoneが光る。
「今日は晩ごはんはいりますか?」
麻子からのLINEだった。僕はすぐさま「今日は2人で外食でもしないか?」と返信を送った。彼女から「いいわよ。でもあなたから一緒に外食をしようと誘ってくるのはめずらしいわね」と返信が来た。
兵庫の助と香織が結ばれるまでの長い夢を見ていた。半平太との別れ。戦いで武功を挙げたこと。たくさんのドラマがたしかにそこにはあった。ちなみに僕が現実に戻ったあとの2人の結末は知らない。
あれ、ちょっと待て。あることに気づいてしまった。麻子の旧姓は浅田だ。もしかしたら僕が過去にタイムスリップして経験したものは、過去に実際に起きた出来事なのかもしれない。
久しぶりの外食は焼肉を食べることになった。やっぱり会話はほとんどない。2人の関係はもう終わったのかもしれない。でも、1つ疑問がある。その疑問を麻子にぶつけてみた。
「麻子!家に家系図ってあるか?」
「あら、急にどうしたの?うちはそれなりに有名な武家だったらしいからあるかもしれない。お母さんにLINEで聞いてみるね」
そして、1ヶ月の月日が経ち、彼女の実家に家系図があることがわかった。すぐさま彼女の実家に遊びに行く理由を作り、僕たちは彼女の実家、つまり浅田家へと足を運んだ。義母に家系図を見せてもらうと、そこには予想通り兵庫の助と香織の名前があった。
兵庫の助は香織と結ばれたのちに、3人の子を設けた。生涯を共に過ごし、それはそれは幸せな家庭だったみたいだ。戦場では豊臣秀吉に可愛がられ、たくさんの武功を挙げ、最終的には大将にまで上り詰めた。そして、いまでも浅田家最大の武士と呼ばれているそうだ。
過去にタイムスリップして起きた出来事は、浅田家に実際に起きた物語だった。僕は浅田家のシンボルになった兵庫の助に憑依した。そして、兵庫の助と香織は結ばれるまでの物語を目の当たりにした。なぜ僕が浅田家の物語を体験したのかはわからない。もしタイムスリップに理由をつけていいのであれば、きっと「麻子を大切にしなさい」というメッセージがだったんだろう。
兵庫の助と香織は自分の思いをきちんと伝え合っていた。便利な連絡手段がないからこそ、会ったときに自分の思いを伝える。そして、自分の思いを手紙に残し、そのやりとりをずっと続けていた。伝え合っていたことは、いいことも悪いことも包み隠さずだ。それに比べ、僕は麻子にまったく自分の思いを伝えていない。それどころか自分を取り繕ってばかりだ。そんな男に愛想を尽かすのも無理はない。
これから僕が麻子のためにできることはなんだろうか。2人の関係はもはや終わっていると思われても仕方ない。でも、僕は麻子が好きで、一生一緒にいたいと思ったから永遠の愛を神父さんや親族、友人の前で誓ったはずだ。いまからでも遅くはない。
「あのさ、僕たちもう1回ちゃんとやり直さないか?」
「隆史さんなんか今日おかしいよ。なにかあったの?」
「もう君との関係性は終わったと思っていた。ふとしたときに、過去のことを振り返ってみたんだ。僕は君が好きだから結婚を選んだ。いまも好きだから一緒にいる。そのことにやっと気づけたんだ。いまからでも遅くないと君も思ってくれているならまた一から夫婦の関係性をやり直したい」
涙ぐむ彼女をそっと抱きしめる。終わったと思った関係も兵庫の助と香織のように思いを伝え合えば、何度だってやり直せる。ときに失敗することもあるかもしれないけれど、それも全部2人で乗り越えればいい。
病めるときも健やかなるときも、愛を持ってお互いに支え合うとたくさんの人の前で誓い合った2人ならきっと大丈夫だ。これから先もずっと二人三脚で一緒に生きていこう。
浅田家を後にした2人は手を繋ぎながらゆっくりと帰路に着いた。
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