光の街、眠らない街、安心感の東京
たくさんの人が行き交う交差点を渡り切って、深呼吸をする。どこを見渡しても何かに囲まれている東京は、大阪と比べると異世界に迷い込んだ感覚があった。大阪の土日が平日の渋谷で、渋谷の土日はもう何が起きているのかがわからないほどに、もみくちゃにされる。その場に深く根を張っているつもりが、あまりの人の多さについ流されそうになっては、疲弊している自分の姿が見えた。
30年間住んでいた大阪を離れ、憧れの東京にやってきた。どんなときも灯りに包まれているという東京は本当に眠らない街だった。この息苦しさに対抗するにはどうしたらいい?
疲弊し切った体の中の細胞を振る動員させて、必死に考える。疲れるを逆手に取るために考えたのは、物事をあらゆる側面から見てみようだった。
物事を見る際にひとつの視点で見てしまうと、悪さが際立った時にそこに引っ張られて、本当は存在したはずの良さが霞んでしまう可能性もある。それはすごくもったいないことだと思っていて、出会えていたはずの喜びを逃しているとも言える。物事には良さだけでなく、当然悪い部分も存在していて、その両輪を見た上で、良いとか、悪いの判断をしていきたい。そっちの方が本質的に判断できると思うし、納得感をモテるような気もする。
東京はとにかく人が多い。それは一見疲れてしまう要因になるかもしれないけれど、視点を変えると1人ではないになって安心感に繋がる場合もある。どこに足を運んでも1人じゃないと思わされるのは孤独を感じたいときは逆効果だけれど、1人になりたくないと思っているときは良い効果を発揮するのかもしれない。
また高い建物が多いことで息がしづらくなるは、夜になれば街明かりを景色として楽しむに変換できる。たとえ人工物であっても、光の連なりは綺麗なものだ。東京はどこに行っても光のアートを楽しめる。それもそれぞれに形が変わるという嬉しい特典付きだ。これほど贅沢なものはない。
光の街、眠らない街と呼ばれる東京は孤独にさせない安心感がある。物事をいろんな側面で見ることで救われる夜があるのかもしれない。生きやすさと生きづらさを作り出すのは自分自身だ。どうやって生きていくか。その道も自分自身だけが決められる。主人公だと思えば主人公になれるし、エキストラだと思えば本当にそうなってしまう。自分の手で選んだものが生きづらさを解消する術であるならば、自分にとって都合のいい生き方をすればいい。