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青春を駆け抜けたあの日々に

今年の夏はあまりにも暑すぎて、プールの授業が中止になっている学校もあるようだ。今となっては考えられない話だが、僕の学生時代は、水温の低さによってプールの授業が中止になっていた。その逆の事象が今まさに起きている。この異常気象の波は誰にも止められない。

止められないものを嘆いたところで何も生み出せない。だからこそ、昔話でも挟んでおこうと思う。あれは学生時代の話だ。放課後に校舎裏のプールに友達とこっそり忍び込んだ。プールの授業が終わり、プールには水が張っていなかった。その乾いた底を見て、僕たちは夏の終わりを感じていた。「青春ってこんな感じなのかな」とゲラゲラ笑い合いながら、友達の一人がシャワーを撒き散らす。白い制服が透明に滲み、焼けた肌が浮かび上がる。びしょびしょになりながら、笑い合ったあの夏の記憶。

家の近くに咲くひまわりは、僕よりも背が高かった。植物にすら勝てないのかと、自分の身長の低さを恨んだ。しかし月日が経つにつれ、身長は伸び、いつの間にかひまわりを追い越していた。今では、すっかりひまわりを見下ろすようになってしまった。

植物係だった僕だけが知る朝の世界。青い花、赤い花、黄色い花。そのどれもが、丹精を込めて水やりをした結果生まれた愛の結晶だ。学校にいち早く登校し、植物に水をやり、その成長を見守る。あの頃の僕は、何を考えていたのだろう。過ぎ去った記憶を思い返しながら、答えが聞けなかったことを後悔する、あの夏の記憶。

直射日光を浴びるプール。水面が揺れる様子は、人間の感情とよく似ている。僕たちも感情の波に晒され、悩んだり、憂いたり、ときには楽しんだりする。元気がないのに元気があるふりをすることもあるが、そんなときは感情も水のように綺麗に流れてくれればいいのにと、思ってしまう。「あれ?疲れてるのかな?」と思ったら、それは体がSOSを出している証拠だ。素直に従えばいいのに、人間は体のサインに気づかないふりをしてしまうものだ。

綺麗なものを綺麗だと信じてやまない人間たちがいる。それは、綺麗なものになりたいと願う滑稽な願いに他ならない。綺麗なものに自分を寄せ、自分の人生も綺麗であれと太陽に手を掲げる。しかし、太陽に近づいた結果、羽をもがれた天使を知っているからこそ、憧れは憧れのままにしておいた方がいいのだろう。誰もが人間が綺麗なものではないと知っているのに、それに抗うために必死に自分の生きる意味を探し、何者にもなれない自分に絶望しながら安堵する。

友達が叫び声を上げて、プールサイドを駆け抜ける。別の友達がプールの監視員のふりをして、「プールサイドは走らないでください」と手でメガホンを作って叫んだ。それでも彼らの足は止まらない。青春ってやつは実に厄介だ。自分が最強になったつもりで、主人公になったつもりでいるのだから。体を走らせ、心を走らせ、どこまでも行きたいと願う。その様を誰が滑稽だと言えようか。

塩素のにおいが風と共にやってくる。ふと周りに目を運ぶと、プールのフェンスにもたれる友達が目に見えた。突然、「誰だ!」という怒声が校内に響き渡る。どうやら先生にバレたようだ。友達の一人が慌てふためき、「やばい、逃げろ」と大声で叫ぶ。必死に逃げる僕ら。濡れたプールに思いを馳せて、あのとき君に伝えられなかった思いを空に放った、あの夏。あれはいつの夏だったか、それすらも覚えていないけれど、たしかにあれは夏の記憶だった。

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