きっかけを生み出す種まきを
自分の成長物語を続けるためには、大小問わず何かしらの変化が必要だ。現状を打破するという名目でずっと何かのきっかけを探し続けている。いろんな仕事をしたいし、いろんな人にも会ってみたい。まだ巡り会ったことがない世界を見てみたいし、考えれば考えるほど頭の中がやりたいことで溢れている。何かを実現するためには必ず積極性だとか、偶発性が必要となるのだけれど、ずっと受け身の人生を歩んできたため、どう動けばいいのかがわからない。
思えば大阪に住んでいた時は、積極的に動かなくても、小さなきっかけに恵まれていた。それは自身がさまざまな場所に顔を出して、存在を知ってもらえていたためなのだろう。文章のことならあいつに任せようと思って声をかけてくれた人もいるのかもしれない。だが、大阪に比べて、東京にはライバルが溢れている。有名な編集者さんはごまんといるし、仕事を頼むのであれば顔見知りであったり、信頼度が高かったりする人に頼むことは容易に想像できる。
東京にはほとんど知人がいない。だからこそ、仕事を生むきっかけに恵まれないわけなのだけれど、自身の行動を振り返ってみるとそりゃそうかと納得もある。積極的にならなければと焦れば焦るほどに、うまく身動きが取れなくなっているのも事実だ。誰かが自分を見つけてくれるといった上手い話はない。あまりにも情報が多すぎて、それが行動を邪魔する足枷になっているような気もする。このような言い訳をしている自分がダサくて仕方がない。今は大阪にいた時のように顔見知りはほとんどいないため、改めて色々な人に助けられてきたのだと実感した。
そういえば誰とでも仲良くなれる人を見て、なぜすぐに仲良くなれるのだろうと観察してみたら、相手との共通点があるということがわかった。たとえばアニメが好きで、年間100本以上観ているとする。メジャーなアニメしか観ていない人にも話ができるし、好きな人しか知らないようなニッチなアニメの話もできる。幅を持つことが大切で、それは自分の興味関心を突き詰めた結果だ。
きっかけは与えてもらうものではなく、自分で生み出すものだ。今の自分に必要なのは、どんな人間なのかを知ってもらうことである。色々な場所に顔を出して、興味関心ややっていることをたくさん伝えていく。ここで書き続けることも自分を知ってもらうきっかけになるかもしれない。そう考えると、まだまだできることがあると思った。いろんな経験をするためにはまず自分が動き続ける必要がある。そして、興味関心があるものにとことん手を出してみよう。