【読書】「普通がいい」という病・泉谷閑示
やっはろー!りょーすけです!(恥ずい)
今日紹介するのは泉谷閑示著、「普通がいい」という病
https://www.amazon.co.jp/「普通がいい」という病-「自分を取りもどす」10講-講談社現代新書-泉谷-閑示/dp/4061498622
結論から言うと、
我々は普通という言葉に囚われている、人間はすぐカテゴリに分けたがるけれどそんな必要はない、みんな違ってみんな良い
私は今までの人生、「普通」という言葉に悩まされてきました。
私は普通という言葉について、“みんなができることは無難にこなせて可も不可もない超平均的な方がいい“と考えてきました。
ですがこの考えを軸に生きても幸せにはなれませんでした。
むしろ友達や家族の顔色を伺い、自分を押し殺し、空気になる運命しかなかったのです。
多くの人は普通に普通の幸せが手に入ればいい、と言いますが普通ってなんなんでしょうか?
普通って人それぞれ基準が違うから測りようなんて無いはずなのに…
欲望と欲求
「頭」は理性の場所とされています、ちょうどコンピューターのような働きです。
頭はとにかくなんでもコントロールしたがる傾向を持っています。
「欲望」は「頭」のコントロール思考から生じてくるものであると言えるのです。
一方、「心」は感情や欲求の場所であり、「身体」と一心同体に繋がっていて感覚の場であると言えます。
私たちは普段理性で物事を判断することが多く、せっかく直感という理性を超える洞察力を持っているにもかかわらず生かし切れていないのです。
どうしても頭を使った二元論で物事を判断してしまう傾向があるのです。
例えば陰茎症やうつ病が起こるのも、「心」=「身体」に対して「頭」が強力にコントロールをかけることによって生じるものです。
つまり「心」をおざなりにして「頭」で理性的に「身体」を支配してしまうと人はシステムエラーを起こしてしまうのです。
感情
感情には2種類あります。
“深い感情”と“浅い感情”です。
深い感情は「心」を由来とする感情。
浅い感情は「頭」を由来とする感情。
深い感情は「今、ここ」に反応するもの、
浅い感情は過去・未来・ここ以外の場所に反応する感情です。
感情的に感じることは全て浅い感情です。
その浅さ故に本質を見誤り、表面的な観点でしか理解できないのです。
浅い感情は深い感情をコーティングする性質を持ちます。
心に蓋をするのです。
本心を隠しているのは頭で判断しようとしているからなのですね。
孤独と偽り
私は人は孤独を恐れるあまり、浅い感情で心を偽装司、偽りの自分を作り出し演じていると考えています。
そして偽りの自分と本当の自分とのギャップに皆苦しんでいるのです。
ですが本当に偽りの自分でいることに苦しまないといけないのでしょうか?
偽りの自分だって本当の自分だということもできるし、本当の自分と思っているものが環境などの影響で変化している場合だってあると思うのです。
だから私たちがしないといけないことは偽りの自分を否定するのではなく、受け入れること、偽りも存在している時点で真実だと認識することでは無いでしょうか?
おそらく偽りの中に真実が隠されていることもあると思うのです。
偽りには“理想”が本当には“真実”が隠されているのでは無いでしょうか?
その本質にたどりついた時、人は初めて個性を認め発揮していくことができると私は考えます。
下記のnoteを参考にかかさていただきました。
誠に勝手ながら参考にさせていただきありがとうございました!
最後に。
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ではまた!