安心してください。驚かなくても大丈夫です。
私は毎日死にます
でも毎日生き返ります
「眠ること=死ぬこと」と置き換えれば、毎日死んで、生き返りを繰り返しています。そんなこと考えたことありませんか?
「眠る」ということは「無意識」になります。自らの意志で体を動かすことができません。寝返りを打ったりいびきをかいたりするのはすべて「無意識」です。
「死ぬ」ということは意識がなくなることです。「無意識」です。似ていませんか?
まったく同じではないです。でも似ているのです。もし「眠る」「死ぬ」という言葉が存在しなかったら、毎日「意識なし」「意識あり」を繰り返して生きていることになります。
もし眠ったまま死んでしまったとしたら、どうでしょう? きっと自分では死んだかどうかは、気づかないでしょう。だって、眠ったんですから。
安らかな眠りは気持ち良い
私は眠ることは大好きです。おそらく嫌いな人はいないと思います。毎日安らかに眠り、朝になると気持ち良く目覚める。そんな一日の繰り返しはとても気持ち良いものです。
安らかな眠りが欲しくて、寝具にこだわったり、眠る時間にこだわるわけです。生きていく上で眠りはとても大切です。眠らないと生きていけません。だから「良質な眠り」を目指すわけです。
死ぬことを「安らかな眠り」とも言います。同じでしょ?
意識を失うことも同じ
私は交通事故に遭ったことがあります。ぶつかった瞬間、しばらく気を失いました。あの時、死んでいたら意識は戻らないままです。あの瞬間に命が終わっていたとしても、死んだことに自分は気づいていないことでしょう。
眠ることも同じだと私は思います。眠ったら意識がなくなります。そのまま息絶えていたとしても、自分では気づくことはありません。朝になって目覚めるから、命があると気づくわけです。目覚めなければ永遠にそのままです。
私たちは毎日「死の疑似体験」をしているのです。そう考えれば、毎朝、新しい命が授かったという考え方になります。「今日も命がある」そう思いながら目覚めると、とても新鮮です。
死ぬことなんて本当は怖くない
昨日「コロナ後」変わる意識を書きました。高齢者の死に対する怖さが浮き彫りになっています。ちょっとした考え方次第で、死に対する意識が変わればと思い、今日書いてみました。
もし今日私が死んだとしても、世の中何も変わりません。ジョンレノンが亡くなっても、昨日と同じでした。私はこんなにも悲しんでいるのに、街行く人は全然悲しんでいる様子がなく、そのギャップがまた悲しかったのをよく覚えています。
♪かりゆし58「さよなら」
寿命のことを「残された余白」と表現している所がとても好きです。これからの人生、自由に描いて生きていくことができる、真っ白なキャンバスが存在するのです。
命は始まった時から
ゆっくり終わっていくなんて信じない
ぼくが生きる今日は
もっと生きたかった
誰かの明日かも知れないから
失ったページはどれくらい?
また夜がやって来て
残された余白はどれくらい?
また朝は訪れる