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誰かの置いた本 #0
私は病気だ。大学4年から治療しているこの持病は一般的に治ることはないと言われているもので、36歳になった今入院治療をしている。
今更のように思われるかもしれないが、今回ばかりは放置してしまうと死んでしまうと思った。ここでバシッと持病に引導を渡さないことには、私はこのあとの人生に光を見出すことができない。2ヶ月といういささか長めの期間だが、今日でまだ入院3日めだ。
しかし、もうダメだ先が見えない!えいっ!と行動したときにこそ、私は活路を見出すことができる。今回の入院も、えいっ!のひとつだが、おかげで停滞した頭の中を少し動かすことができた。
私は、詩や評論を書いている。今は通信制の大学院で文芸の勉強をしている。昔は一生懸命に小説を書いていた。このnoteを遡ってみてもらえればお分かりのように、地元紹介のようなことも試みた。なんでもいいから書いていたかった。
真に書きたいことがわからなかったから、今過去形を使ったけれど、詩と評論と、まだ…まだほかに…そんな思いをここ3日間で反芻していた。考える時間は山ほどある。暇なのだ。昨日1日で4冊の本を読んだ。私は昔自己啓発書をなんとなく食わず嫌いしていたのだけど、4冊ともその手合いの本であった。自己啓発に浮気とかそういうめんどくさい感情はなく、ただ、すうっと、ああ励まされているなと滋味を感じた。
つまり、文ならなんでも好きなのだと思う。
退院後のことを考えると、焦る。焦りながら、病室のドアを開けるとある本棚、つまり小さな図書室をみて、とてもほっとする。図書室。図書館。司書になろうか。方法を検索しているうちに、自分のささやかな本屋を持つことと、図書館司書としてすごすことはどちらが幸福だろうと思う。
私は現役の日本語教師だが、もう日本語学校で働く気はない。今回の入院で、自分の残りの人生を考えようと思った。残すものと捨てるもの。一般的に、私の持病は健康な人より寿命が10〜20年短い。それを考えると、私はもう老後に等しい。うまくマイナスしていくしかないのだ。
indeedでライター、小説、文芸などと打って、その手の仕事を探す。しかし、悶々としてきて、ハッと気づいた。別に、自分で仕事を作ればいい。
以前、フリーランスのライターになろうとクラウドソーシングに投稿しまくって疲れ果てて失敗した過去があるけど、コンテンツは自分で作ればいいのだ。
とりあえず、この3日間でわかったことは、誰かの用意してくれた本棚に心から癒されたこと。司書の資格に前向きに挑戦したいと思ったこと。本屋をやるなら、大学などの近くで、若い人たちにのぞいてもらえるような小さなものがいいこと。移動図書館みたいに、本を載せた車で走り回ること。(と、名誉のゴールド免許の持ち主が戯言をもうしています)今、自分の中で一番大切にしているのは、大学院の勉強のこと。大学院の都合で外泊の許可を得る必要があって、入院と同時にそれをなんとかしなきゃと思っていたら、今日の診察であっさり許可が出てほっとしたこと。全部、本や書くことに関してだ。
まず、誰かの用意した本、に着目してみようか。もし、どなたか、私に本を用意してくれる(物理的なプレゼントではなく、こういうのどう?という提案をしていただける方がなんとなく、病院の図書室のイメージに近いと感じる)方がいたら、教えてください。読んで、書いてみます。お待ちしています。
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