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魏志倭人伝の「遠くてよくわからない国々」を古代の発音で調べるー続続編: 三角縁神獣鏡の分布と比べる

三角縁神獣鏡まるで分らない。

概要

先に筆者は「三国志」中の「魏書」中の「烏丸鮮卑東夷伝」倭人条 (通称: 魏志倭人伝) に記載の音訳とみられる国名について、当時の発音に基づいて位置と地名の推定を試みたが、その検証のために古墳時代前期の三角縁神獣鏡の配布範囲との比較を行う。鏡の配布年代の絞り込みのため、鏡式と出土古墳の両方の編年を考慮する。その結果、魏志倭人伝の「女王に属する国」の大半は古墳時代の三角縁神獣鏡の最初期の配布範囲と重なっているという強い相関があることが分かる。このことから、個別の国名の検証はできないが、発音に基づく地名の推定方法がおおむね妥当であるとみられる。また初期ヤマト政権と思われる勢力の段階的な拡大過程が観察される。邪馬臺國については進捗ありません。

背景

魏志倭人伝の「遠くてよくわからない国々」とは

日本語のルーツは何かということには、皆様も興味がおありかと思いますが、現存する最も古い"日本語"の発音の記録というのが魏志倭人伝にあります。陳寿 (3世紀末)著「三国志」中の「魏書」中の「烏丸鮮卑東夷伝」倭人条(通称: 魏志倭人伝) [陳寿v30]は3世紀前半の倭の情勢や文化を知る貴重な資料となっております。これ自体は漢文なのですが、その中に当時の倭の国々の名を音訳したとみられる語が30個ほど含まれております。このうち大部分を占める21か国は「遠く隔たって詳しく知ることができない」(遠絶21か国)とされ、距離や移動方法に関する記載がなく、国名だけが羅列されています。

この部分は資料性が低いという指摘もあるものの、当時の言語の記録としては最も量が多いデータです。またこれらは「女王に属する国」とされ、その南には敵対国である狗奴国があったとされるので、当時の地政学的状況も分かるかもしれません。既存研究は100年以上に及びますがこれらの国々の比定について定説はないようで、様々な説が出されています。そこで筆者も上記の記事で、最近の言語学の成果を借りて国名の当時の発音をもとに地名を推定するという調査を行いました。手法の概要は以下の通りです。結果は後述します。

  • 中国語: 上古音と中古音(魏晋期)の混在

  • 倭人語: 日琉祖語(6母音モデル)

  • 地名の選択基準: 大地名(郡以上)、古代豪族(国造など)、互いに隣接する地名を優先。

次に、これらの仮定が正しいのか検証したいわけですが、同時代の文献は他にありません。そこで考古学の結果と比較しようというのがこの記事の趣旨です。

近年考古学では古墳時代の開始年代を3世紀中頃とする説が多くなっています[白石1999]。つまり古墳時代は魏志倭人伝の舞台である弥生時代終末期(3世紀前半)と隣接していて、卑弥呼の死後ほどなくして古墳時代に移行したと考えられます。そうすると、古墳時代のもっとも初期には先述の「女王に属する国」などの痕跡が残っていると期待されます。これを古墳時代のヤマト政権の勢力範囲を表す遺物から探れないかというのが大きな方針です。卑弥呼政権と初期ヤマト政権がどういう関係なのかは分かりませんが、仮に連続的であれば「女王に属する国」と古墳時代初期の遺物の地理的な分布は類似したものになりそうですし、仮に敵対的なものであれば、両者は排他的な分布になると予想されます。2つの分布が類似でも排他でもなく特に相関がなければ、発音に基づく魏志倭人伝の国の地名推定がうまくいっていない可能性が高いです。

"勢力範囲"といっても直轄地のような強い支配を表すのか同盟関係のような弱い関係を表すのか、いろいろ考えられますが、その中でも今回は古墳時代前期の古墳に副葬される銅鏡の分布が表す範囲について調べます。

銅鏡の配布と副葬

何故唐突に銅鏡の話が出てきたのかを説明します。弥生時代には青銅器の利用が広まるのですが、その一つに銅鏡(青銅の鏡)があります。銅鏡には様々な役割や用途があったと思いますが、以下に[辻田2019c2][辻田2019c3]の議論をまとめます。漢王朝が成立し楽浪郡が設置されると、漢でデザインされたスタイル(鏡式)である漢鏡がもたらされるようになりました。また日本国内でも倭製鏡が製作されます。しかし後漢が衰退した弥生時代終末期頃から銅鏡の扱いは以下のような変化を見せます。

  • 弥生時代終末期(2世紀末-3世紀前半)

    • 主な出土遺跡: 墓(墳丘墓)、集落遺跡

    • 鏡式: 漢鏡、弥生倭製鏡など

    • 副葬時の出土形態: 破砕副葬 (鏡をバラバラに割って埋めていた)

    • 副葬以外の出土形態: 破鏡 (鏡の破片を加工して作った品)

    • 出土遺跡の分布: 北部九州に中心があり東に行くほど少ない。鏡の大きさや枚数による北部九州を頂点とする序列化の傾向は見られない。

  • 古墳時代前期(3世紀後半-4世紀)

    • 主な出土遺跡: 墓(古墳)

    • 鏡式: 漢鏡、魏晋鏡、三角縁神獣鏡、前期倭製鏡、呉鏡(わずか)など

    • 副葬時の出土形態: 完形鏡副葬 (鏡を割らずにそのまま埋める)

    • 副葬以外の出土形態: ほとんどない。福岡県沖ノ島の祭祀遺跡で完形鏡が出土する。

    • 出土遺跡の分布: 近畿地方に中心があり東西に行くほど少ない。大きな鏡は近畿地方に集中し古墳当たりの枚数も多く序列化がみられる。三角縁神獣鏡や小型鏡は本州・四国・九州の広範囲で見つかる。

この変化から、古墳時代前期の初めに近畿地方に中心的な役割をもつ政治勢力が現れて独占的に銅鏡を入手し、それを各地域首長たちに配布するようになったのではないかと考えられるようになりました[下垣2010p3c6]。この配布(分配ともいう)の形態は文化人類学の用語で「威信財システム」と呼ばれています。首長制社会では、地域において親族集団間の序列が発生し、特に上位層との血縁関係の近さが序列を決めるとされます。威信財システムにおいては、上位層は下位の集団に威信財と呼ばれる何か貴重な物を贈与することで下位の親族集団と政治同盟を結ぶことができ、この枠組みが再帰的に地域を超えて広域展開されます。具体的には、地域首長の代替わりの際に後継者は上位有力者から銅鏡を受領することで後継首長としての地位を権威づけ、有力者との関係を示すことができます。対価として地域首長は労働力や食料、特産品などを貢納したと想像されています。地域首長たちが銅鏡を求めた背景には、この時代は首長の後継者の選定が双系継承(男系、女系に定まっていないこと)であったために、継承時の紛争が絶えなかったことがあると推測されています[辻田2019c4]

三角縁神獣鏡は古墳時代前期で最も出土枚数が多い鏡式で、2010年の段階で600枚近くに達しています[下垣2010pac2]。魏の成立後に登場し、大型鏡(20cm程度)で、広範囲に地域の首長たちに配布されたとみられます。デザインの様式、要素や製作技法は華北の系譜に連なるものですが[辻田2019c3]、魏の領域ではほとんど流通していないとみられ、上記の古墳時代の鏡式のリストでは別枠としています。

三角縁神獣鏡の製作場所、製作期間、銘文の解釈、「卑弥呼の銅鏡百枚」に相当するのか、などについて多くの議論が行われましたが意見の一致を見ていないとのことです(のでスキップします・・)。しかし調査と研究が蓄積されたおかげで、今回の目的に適した以下の特徴があります。

  • 分布が畿内だけでなく地方部を含め広範囲である。

  • 枚数が多く、データベースが整備されている。

  • 編年の研究が進んでいる。前方後円墳よりも細かい粒度で時期を限定できる可能性がある。

  • 漢鏡と違って弥生時代の分布と混ざる可能性がない。

よって、特定の時期の三角縁神獣鏡の出土地点の分布を見れば、おおむねその時期の中心的勢力(初期ヤマト政権?)の勢力範囲が分かるのではないかというのがこの記事の狙いです。

方法

三角縁神獣鏡の特徴と編年

下垣によって現在知られているすべての三角縁神獣鏡の目録が作られています[下垣2010pac2]。今回はこちらの目録を利用して特定の時期の出土場所の分布を地図にプロットしてみます。目録には各鏡について名前、サイズ、出土遺跡、そして各編年法による変遷段階(下記)が記載されており、また同范鏡(同じ鋳型から作られた同じ形の鏡)はまとめてその枚数が記載されています。ちなみに、これは電子データではなくて紙データですので、手作業で必要なところを入力します。

三角縁神獣鏡は表面(鏡面)は凸面鏡で、裏面は全体的には凹面になっており、縁がお盆のように出っ張っていてその断面は三角です。中央部には中国風の神と獣が描かれています。デザインの詳細には三角縁三神五獣鏡とか三角縁獣文帯四神四獣鏡のようにバリエーションがあり、また銘文が入っているものがあります。これらバリエーションや用いられた製作技法の変遷から編年(様式の古さ、時間的順序を体系化すること)が行われています。編年は複数の研究者により提案されていますがおおむね同じような分け方となっています[辻田2019c3](表5など)。

  • 「舶載」三角縁神獣鏡: 文様がくっきりしている一群。当初は輸入品と考えられたためこの名があるが、現在は製作地については諸説ある。三角縁神獣鏡の中で古い様式の文様をもち、段階的に新規の文様・モチーフが導入される。辻田(2007)による編年では、文様の変遷をI-IIIの3段階に分けている。

    • I段階 : 集成編年1期(古墳時代前期前葉)の早い時期、

    • II段階 : 集成編年1期(古墳時代前期前葉)の遅い時期、

    • III段階 : 集成編年2期(古墳時代前期中葉)、

  • 「仿製」三角縁神獣鏡: 文様がはっきりせず品質的に劣る一群。当初は仿製(==コピー品の意味)と考えられたためこの名があるが、現在は製作地については諸説ある。「舶載」三角縁神獣鏡の新しい段階に由来する文様を持ち、その変遷段階が進んでも新規の文様が導入されず簡略化や種類の減少が進む。福永(1994)による編年ではI型式-V型式の5段階に分かれ、辻田は以下のように大きく2段階に分ける。

    • 古・中段階 : 福永I-III型式に対応、古墳時代前期後半、

    • 新段階 : 福永IV-V型式に対応、古墳時代前期後半-末。

ここで、集成編年とは前方後円墳の時期を示すためにしばしば用いられる編年です[広瀬1991]。古墳時代を区分するためのデファクトスタンダードな方法となっています。ご興味の方は以下の記事もご参照ください。

なお、編年と実年代の対応に関しては、長期と短期の2つの説があります。上記の説明は「長期編年説」に基づくものです。

  • 長期編年説: 「舶載」の生産期間を魏晋期(50年程度、3世紀後半)、「仿製」を楽浪郡崩壊後(4世紀の間)とするもの。

  • 短期編年説: 「舶載」の生産期間を魏の時期(20年程度)、「仿製」を晋の時期とするもの。

いずれにせよ、今回の目的である、古墳時代の最も初期のヤマト政権の勢力圏を知りたいという目的からは、「舶載」I 段階の鏡を抽出してそれを出土した遺跡をプロットします。

またこの目録では出土遺跡が「伝」「推定」などとなっているものがありますが、これらについても具体的に古墳が特定できれば、参考情報としてマーカーを区別をして利用します。

銅鏡の流通プロセスと出土古墳の築造年代

上記の目録によれば、最古の三角縁神獣鏡の段階である、「舶載」I段階の鏡が出土する遺跡はほぼ全て古墳となっています。古墳の形式は必ずしも前方後円墳ばかりではなく、前方後方墳、円墳、方墳なども相当数含まれています。鏡の年代とそれを出土した古墳の築造年代の関係は単純ではなく、なぜか古墳時代中期などかなり新しい時代の古墳からも「舶載」I段階の鏡が見つかっているのです。

以下は[上野2018]の議論を筆者が今回のケースに特化して大幅に単純化したものです。前述の銅鏡の配布にかかる流通プロセスでは、銅鏡は以下のような過程を経て古墳に副葬されるに至ります:

  • 製作(デザイン) - 製造(鋳造) - 製造主体による保管 - 入手 - 配布主体による保管 - 配布 - 地域首長による保管 - 副葬。

図「流通プロセス」(a)。製作(デザイン)時期と配布時期、副葬時期が近い場合。下向きの矢印は配布範囲を調べたい時期を表す。注意: この図は期間について単純化している。実際には各ステップには異なる時間がかかるが、スムーズに進んだ場合の平均で規格化して同じ長さとした。また複数の鏡を配布するのにも時間がかかるが、うち1枚の流れに着目している。
図「流通プロセス」(b)。製作(デザイン)時期は(a)と同じだが配布主体による保管期間が長い場合。配布時期が配布範囲を調べたい時期(下向きの矢印)より遅れる。副葬時期も遅れる。
図「流通プロセス」(c)。製作(デザイン)時期は(a)と同じだが、後の時期に鋳型を再利用して再製造(再鋳造)した場合。配布時期が配布範囲を調べたい時期(下向きの矢印)より遅れる。副葬時期も遅れる。
図「流通プロセス」(d)。製作(デザイン)時期は(a)と同じだが、鏡を受領した地域首長が長期保管した場合(伝世)。副葬時期は遅れるが、配布時期は配布範囲を調べたい時期(下向きの矢印)と同じである。

この中である特定の時期に配布された鏡を選択したいわけですが、銅鏡は土器と違って耐久年数が長いので各段階の間での保管が長期に及ぶ可能性が否定できません(図「流通プロセス」(b))。また鋳型が残っていれば古い様式の銅鏡を再度生産することが可能です(図「流通プロセス」(c))。つまり鏡の編年によって変遷段階(つまり製作・デザインされた時期)を特定しても、副葬時期がそれより大幅に遅い場合には、配布が行われた時期が製作時期と近いとは一般的には言えず、配布が大きく遅れる可能性もあるということです。

そこで今回は、鏡の編年による変遷段階に加えて、鏡が出土した古墳でも年代を限定し、鋳型の製作時期と副葬時期が近い時期にあるもののみを抽出してプロットします。この場合は間に挟まれる配布時期も近い時期にあることが保証できます。具体的には以下の条件です。

  • 三角縁神獣鏡 : 辻田の編年で「舶載」の I 段階 (3世紀の第3四半期頃?)

  • 出土古墳 : 集成編年1期-2期 (古墳時代前期前半、3世紀後半 - 4世紀初頭)

これにより配布時期が古墳時代の初頭である場合のみを抽出できるはずです。出土古墳を2期まで含めたのは1期まででは該当する古墳が少なすぎたのと、前述の威信財の在り方から、前任の首長が亡くなって代替わりし後継者が鏡を受領して亡くなるまで1-2世代分かかると推測したためです。一方で、この方法の問題点は「地域首長による保管」のステップが長期間である場合(図「流通プロセス」(d))に、本当は配布時期が調査対象の時期(古墳時代の初頭)であるにもかかわらず上記の2番目の条件を満たさずに見落とす可能性があることです。これは結果を見たうえで本記事の後半で議論しますが、件数は少ないとみています。

とりあえず一旦上記の2つのフィルタリング条件を使って鏡の出土古墳の分布をプロットします。よって最後の問題は、古墳の築造年代のデータを集めることです。前方後円墳・前方後方墳については網羅的なデータベースがありますが、円墳や方墳などについては集成編年(1-10)程度の詳細度で年代が記載されたデータベースは見つかりませんでした。前述のように三角縁神獣鏡は円墳や方墳からも出土しています。今回は可能な限り発掘調査レポートなどを検索して調べました。結果として、ソースや情報の確実度が異なるものが混ざっています。調査法と調査結果の詳細は[付録: 出土古墳の築造年代情報の収集]にまとめています。

比較結果

三角縁神獣鏡の辻田編年「舶載」I 段階の出土古墳の分布。色の濃さは古墳の年代を表す。濃い赤=前期前半。赤=前期(前後半不明)。薄い赤=前期後半以降。灰色=時期不明。四角いマーカーは出土遺跡が「伝」または「推定」。 枚数は無視した。Map tiles by CartoDB, under CC BY 3.0. Map data © OpenStreetMap contributors under ODbL.
魏志倭人伝に登場する国々。赤系のマーカーは女王に属する国。駿河国付近の灰色のマーカーは狗奴国である。凡例については[付録]節参照。Map tiles by CartoDB, under CC BY 3.0. Map data © OpenStreetMap contributors under ODbL.

上の地図が三角縁神獣鏡の辻田編年「舶載」I 段階かつ出土古墳が前期前半の場合の分布、下の地図が魏志倭人伝の女王に属する国の分布になります。上の三角縁神獣鏡の分布について、薄い赤色(ピンク)の部分を無視して、濃い赤と赤のマーカーの部分に注目して女王に属する国と比較していただくと、旧令制国程度に粗視化してみればおおむね重なっているように見えます。一部は両者が重ならない部分もあり、この点は後ほど議論します。

下の地図「魏志倭人伝の女王に属する国々」の国名一覧と詳細の入った操作できるマップは[付録: 魏志倭人伝に登場する国々(再掲)]に記載しています。

考察

女王に属する国と最初期の三角縁神獣鏡の配布エリアの分布の重なりが大きいことから、両者の相関が強いことが分かります。このようなことが偶然に生じる可能性は低いため、魏志倭人伝は後の初期ヤマト政権期の情勢と何らか関係のあることを記述しており、国名の当時の発音に基づく地名推定法には妥当性があるという可能性が高まります。ここで想定される関係とは前述のように「女王に属する国」が古墳時代の初頭に連続的に初期ヤマト政権の勢力下に移行したというものです。

「舶載」I段階鏡が遅い時期の古墳から出土するエリア

女王に属する国と最初期の三角縁神獣鏡の配布エリアの分布の違いを詳細に比較する前に、三角縁神獣鏡が出土する古墳の時期の違いについて考察しておきます。ここで扱っている三角縁神獣鏡の鏡式は最も古い辻田編年「舶載」I 段階で、集成編年1期に相当する時期に製作(デザイン)されたと想定されていますが、それがなぜか一部は古墳時代前期後半以降(集成編年3期以降)の古墳でも出土しています。地図では薄い赤で示しています。この部分を無視して女王に属する国の分布と比較するのが妥当かを議論します。この現象には以下の2つの解釈が考えられます。

  • 伝世 (図「流通プロセス」(d)): 中央の配布主体から(各地に同時期に)配布された銅鏡を一部の地域が長期間(数十年~数百年)保管したうえで古墳に副葬した。

    • 前述のようにこの場合は副葬が遅くても配布時期が調査対象の時期に当たるケースが含まれ得るので、流通範囲の見逃しにつながる。

  • 長期配布 (図「流通プロセス」(b)(c)): 中央の配布主体から(ストックを活用する、あるいは再鋳造するなどして)複数の時期あるいは連続した長期に同じ段階の銅鏡を各地域に配布した。各地域ではおおむね間をおかず配布から1世代程度の間に副葬した。

    • この場合は副葬が遅ければ配布時期も遅いので、調査対象の時期にはまだ配布されていないことになり、除外するのは妥当である。

これに関してはどちらかを決める証拠はないのですが、三角縁神獣鏡では、複数の鏡が共伴して古墳から出土する場合は、その鏡式は同一の段階か隣り合う段階のものである傾向が強いことが知られ、製作・中心主体による入手から地域首長への配布までが"スムーズ"に行われたと推測されています [下垣2010p3c6]。これを演繹すれば、配布後の長期の伝世も多くないだろうと推測できます(長期保管があれば大きく異なる時代の鏡が混ざる可能性があるため)。一方、長期配布については、変遷段階が2段階以上異なる鏡式の鏡と配布の順序を変えない限り、上記の傾向と矛盾せずに発生しうる状況です。同様の議論で、鏡の型式の変遷順序と副葬時期の順序がおおむね一致することから大半の場合で配布時期と副葬時期は近く、一部副葬が遅れる場合は配布主体による長期保管を想定したほうが矛盾が少ないとされます[上野2018]

さらに今回のケースに関して言えば、古い鏡式の三角縁神獣鏡が新しい時期の古墳から出土するエリア(地図上の薄い赤)が地理的に広範囲で固まる傾向にある(東海東部・関東南部、丹波・但馬、九州南部)ことなどを勘案すると大部分は長期配布であると考える方が自然であると考えます。

仮に伝世であったとすると、これらの地域には多くの地域首長がいるわけで、自然の状態では地域ごとの伝世の有無および期間にばらつきが出ると考えられます。しかし実際にはこれらの広域において古墳時代3期まで伝世が続きその後副葬されるという点で行動が揃っており、誰か中心的な主体が音頭をとらずにこうなるとは考えづらいです。この時点ではその中心的主体は銅鏡の配布者(初期のヤマト政権)と考えざるを得ないわけですが、その中心的主体は同時期に配ったはずの中国、四国、九州北部など(地図上の濃い赤、赤)では伝世をせずに古墳に副葬するように指示していることになり、この対応の違いを説明するためにさらなる仮定が必要となります。

一方、このような地理的な塊は同盟や交易、遠征など地政学的要因で容易に生じるため、配布時点での地政学的状況を反映していると解釈するのは容易です。よってオッカムの剃刀の原理から行けば多くの場合は長期配布のケース、つまり東海東部・関東南部、丹波・但馬、九州南部地方の鏡の配布が遅かったと解釈する方が確率は高いと考えています。よって、できるだけ古い時期の鏡の配布範囲で比較するためには、薄い赤で示したこれらの地域を除外したほうが良いことになります。

なお、近畿地方では最も古い様式の「舶載」I 期の鏡を出土する古墳として、前期前半の古墳と前期後半以降の古墳が混在していますが、こちらも伝世がランダムに行われているというよりは、「舶載」I 期の鏡の複数回配布が行われたと解釈するほうが可能性が高そうです。後者の方が上記の他の地方での動向と整合性が取れるうえ、一般論としては副葬品や埋葬施設などの葬送儀礼については畿内に近い地域の方が規範がよく共有されたとみられる[辻田2019c4]ためです。

最後に、少数(6件)ながら「舶載」I 期の鏡が古墳時代中期-後期と100年以上後で出土するケースがありました。地理的には山城(3)、丹波(1)、摂津(1)、下総(1)でしいて言えば近畿地方が多いというぐらいで傾向はつかめていません。これについては伝世かもしれませんが、配布主体による長期保管品に新しい意味付けを与えられて中期以降に配布されたという考えもあります[上野2018]。今後も検討が必要です。

女王に属する国と三角縁神獣鏡の最初期の配布地域の分布の違い

女王に属する国と三角縁神獣鏡の最初期の配布地域(つまり「舶載」I 段階三角縁神獣鏡を出土する前期前半の古墳)の分布の違いを見ていきます。両者のずれについていくつかパターンにわけて考察します。

  • 女王に属する国に含まれるが、三角縁神獣鏡の最初期の配布エリアにない地域:

    • 会津(25. 邪馬國)、肥前(4. 末盧國):

      • これらの地域は集成編年1期の前方後円墳・前方後方墳が見つかる地域で早くからヤマト政権とかかわりがあったと思われますが、古い時期の三角縁神獣鏡は見つかりません。より新しい様式の三角縁神獣鏡が見つかる地域はあります。

    • 常陸(26. 躬臣國, 30. 奴國[2回目])、志摩(10. 斯馬國)、紀伊(22. 鬼國)、壱岐(3. 一支國)、対馬(2. 對馬國)

      • 集成編年1期の前方後円墳・前方後方墳も見つからず、初期のヤマト政権とかかわりは不明です。より新しい様式の三角縁神獣鏡が見つかる地域はあります。

    • 三角縁神獣鏡が大型鏡である程度有力な地域首長に配布されたことを考慮すると、これらの地域は大きな平野部が無い、面積が小さい(常陸国内も小国に分裂していたとみられる)、近畿地方から離れているなどで、有力な地域首長がいなかったのかもしれません。今のところヤマト政権に属するのが遅かったのか、早くから属していたが鏡をもらえなかったのか区別がつきません。今後の課題としてはより下位の地域首長も含められるよう小型鏡など別の種類の副葬品で分析する必要があると思います。

  • 三角縁神獣鏡の最初期の配布エリアに含まれるが、女王に属する国にない地域

    • 讃岐

      • こちらについては筆者による魏志倭人伝中の国名の発音ベースでの地名推定が間違っている可能性があります。「20. 呼邑國」は[Schuessler2007]による後漢期の再構音ではうまくマッチする地名が無くとりあえず備中国賀陽郡としていましたが、最近の調査では「邑」の上古音(先秦)は /*q(r)[ə]p/ [Baxter2014]、 /*qrɯb/ [鄭張尚芳2013] とされておりまして、頭子音 q (カ行に似ている)が付いているようです。後漢期の発音については検討する必要がありますが、一案としては香川 /* 上代日本語推定 kagapa / とすると、語末のaが省略されたと考えれば「邑」に末尾子音pが付いていることとも整合します。

    • 伯耆、出雲

      • 個人的にはこれらは魏志倭人伝の発音ベースでの地名推定の観点からは女王に属する国ではなく、卑弥呼の死後に初期ヤマト政権に加わった地域とみていますが、既存の魏志倭人伝の発音ベースでの地名推定研究において、これらの地域が女王に属する国に含まれるという主張があります。

      • 8. 投馬國 : 語頭が省略ないし於投馬國の書き間違い(太平御覧)であるとして出雲と推定する[山田1910][安本2003畿][大⽵2013][すきえんてぃあ2021][鬼塚2021]。筆者の案では尾張国海部郡津嶋としており、こちらも古い三角縁神獣鏡の出土エリアとなっている。

      • 11. 已百支國 : 巴百支國の書き間違い(翰苑)であるとして伯耆と推定する[大⽵2013][すきえんてぃあ2021]。筆者の案では摂津国島下郡の荊切の里としており、こちらも古い三角縁神獣鏡の出土エリアとなっている。

    • 越前、近江、淡路、安芸、周防、豊前、豊後

      • こちらについても個人的にはこれらは女王に属する国ではなく、卑弥呼の死後に初期ヤマト政権に加わった地域とみています。これを立証する方法は思いつきませんが、間接的にはより新しい時期の様々な副葬品や墓制(前方後方墳の形式など)の分布が、より古い時代に初期ヤマト政権に属した地域を包含しているかを確認することで、最も古いコアになっている地域を推定するといったことが考えられます。

まとめると、今のところ直ちに矛盾があるという地域はないのですが、両者のずれの要因を確定しきれない部分もあるということが今後の課題となります。また議論の前提となっている、三角縁神獣鏡が出土した古墳の年代のデータですが、一部に不明のもの、または前期/中期/後期という粗いレベルでしかわからないものが残っており、これらのデータが更新されれば分布が想定と変わる可能性も出てきます。これらのデータの蓄積も今後の課題です。

想定されるシナリオ

ここからは筆者の想像を含めた解釈です。時系列にまとめると以下のようになります。北陸(越前除く)と伊予も集成編年1期の前方後円墳・前方後方墳出現地域であるためこの時期の初期ヤマト政権の勢力範囲内だった可能性が高いですが今回の資料からは時期や順序は分かりませんので除外しました。当時の国の境界は旧令制国とは違っていたはずですが、よくわからないので地域単位は旧令制国としています。

  • 卑弥呼政権期

    1. 「女王に属する国」: 北部九州、四国東部、近畿、東海西部、信濃、関東北部、会津で構成。

    2. 「女王に属する国」: 吉備・播磨を追加する。(*)

  • 初期ヤマト政権・集成編年1期

    1. 「舶載」I 段階の最初の配布が行われる。

      1. 勢力範囲として「女王に属する国」を継承する。

      2. 勢力範囲に越前、近江、淡路、伯耆、出雲、安芸、周防、豊前、豊後を追加する。

    2. 「舶載」I 段階の追加配布が行われる。

      1. 勢力範囲に東海東部・関東南部、丹波・但馬を追加する。

まず、「女王に属する国」の大半は古い三角縁神獣鏡が最初に配布されたと考えられるエリアにあることから、内部的な政変はありえたにせよ、女王に属する国は初期ヤマト政権に所属する地域へと連続的に移行したと解釈しています。その後は段階的に勢力範囲を広げていったように見えます。

特に興味深いこととしては、卑弥呼政権期に敵対国であったとされる狗奴国(筆者の推定では久努国造、静岡県袋井市付近)は、地図上で東海東部の薄い赤のマーカー、すなわち、濃い赤の地域に比べて遅れてヤマト政権に属した地域にあることが挙げられます。濃い赤、赤の地域とは排他的になっており初期ヤマト政権の初頭には狗奴国との敵対関係も継承されていたことが想像されます。

またこれに関連して、文献との対応で言えば、地図の薄い赤になっている東海東部・関東南部、丹波・但馬および空白域(越前を除く)となっている北陸地方は古事記に記載の第10代崇神天皇期の遠征地域に該当しています(*)。崇神天皇およびこれらの遠征の実在性は確認されていませんが、今回の三角縁神獣鏡の最初の配布時期(濃い赤)より後の出来事とすれば、分布は排他的ですから整合性はあります。この点については筆者の別の記事で考察していますのでご興味の方はご覧ください。 ((*)日本書紀の場合はこれに"西道"(吉備・播磨か)が含まれ四道将軍として知られるが、筆者はこれを卑弥呼政権期の出来事と考えている。下記記事参照)。

上記の記事で、女王に属する国と前方後円墳(1期)の分布の比較もやってみましたが、今回の三角縁神獣鏡の最初期の配布範囲のほうがより似ています。

まとめ

今回の記事では、魏志倭人伝の「遠く隔たって詳しく知ることができない」国々(遠絶21か国)の発音ベースでの地名推定(過去記事参照)の結果を検証するために、これらを含む魏志倭人伝の「女王に属する国」部分と、初期ヤマト政権の勢力範囲を表すと思われる、最初期の三角縁神獣鏡の配布エリアを比較しました。比較に使用したアプローチは以下の通りです。

  1. 辻田編年の「舶載」I 段階のものを三角縁神獣鏡目録から抽出。

  2. 上記のうち、出土古墳の築造年代が古墳時代前期前半(集成編年1-2期)のもののみを選択して地図上にプロットする。

    • この2番目の条件に合わない古墳から出土した鏡の大部分は、配布時期がやや遅れるとみられるため。

  3. 地図上にプロットした女王に属する国と地理的な分布を比較する。

比較結果は以下の通りです。

  • 大半の地域で分布が重なっている。

    • 3世紀前半の女王に属する国々は3世紀中頃に初期のヤマト政権の勢力範囲に連続的に移行したと解釈できる。

  • 重なっていない地域

    • 女王に属する国だが最初期の三角縁神獣鏡の配布エリアでない(7地域)

      • 平野が少ないか畿内から遠いなどの傾向あり。発音ベースでの地名推定が間違っているのか鏡をもらえなかったのか区別できない。

    • 女王に属する国でないが最初期の三角縁神獣鏡の配布エリアである

      • 基本的には古墳時代初頭(3世紀第3四半期ごろ)に初期のヤマト政権が拡張した地域とみられる(7地域)。

      • 一部は発音ベースでの地名推定が間違っているか異説が知られ、女王に属する国かもしれない(讃岐、伯耆、出雲)。

以上の結果から、発音ベースでの地名推定結果を個別に検証することはできていませんが、考古学的な結果である最初期の三角縁神獣鏡の配布エリアと強い相関を持つということは偶然に起きることではないので、大半の地域については発音ベースでの地名推定の方法が妥当であり、意味のある結果が得られている可能性が高まったと思います。

今後の課題としては以下のことが挙げられます。

  • 三角縁神獣鏡出土古墳の築造年代のデータの収集と正確性の向上

  • 他の副葬品や他の種類の鏡による配布範囲の推定。

  • 魏志倭人伝の国名の発音ベースでの地名推定の再検討。


付録

出土古墳の築造年代情報の収集

今回は古墳時代前期前半(3世紀後半-4世紀初頭、集成編年1-2期)か古墳時代前期後半以降(4世紀中葉-、集成編年3期-)かを識別するのが目的なので、古墳時代前期の物についてはより細分する情報を得るように調査しました。

  • 可能な限り集成編年(10期編年)を特定します。

  • 上記で未掲載のものは、以下のサイトで3分法(前期/中期/後期)の粒度で特定します。

    • :: 遺跡ウォーカー

      • http://www.isekiwalker.com/

      • こちらの記載の「歴博報56」による年代を使用する。

      • ただし検索機能がうまく動かないのでグーグルで「{遺跡名} 遺跡ウォーカー」などとやって検索している。

  • 特定できた時期が「前期」で前後半が不明、ないしいずれも未掲載の場合、以下のサイトで古墳を個別に検索して集成編年(10期編年)や古墳時代前期前葉、3世紀末といった粒度で特定できればそれを採用します。古墳名称に表記ブレがあるので、例えば「三重・草山久保」->「久保」「草山」などでも検索し三角縁神獣鏡の副葬が確認できる情報を選んでいます。

    • :: 全国遺跡報告総覧

    • グーグル検索

      • 博物館や自治体の教育委員会の解説を読んで特定する。

  • それでも築造年代が特定できなければ不明とします。

結果として、ソースや情報の確実度が異なるものが混ざってしまいましたが、出土古墳81件中、64件が必要な粒度で年代を特定でき、12件が前/中/後期の粒度で年代を特定でき、5件が不明でした。12件のうち年代が「前期」である10件は前期後半(集成編年3-4期)を含むかもしれませんが今回はプロット対象に含めています。この点については今後も改善していきたいと思います。生データは以下のGoogle Spreadsheetに置いています。


魏志倭人伝に登場する国々(再掲)

前回の結果をこちらに再掲します。マップのマーカーの色は以下の通りです。マーカーをクリックすると詳細が出ます。

  • 赤系: 女王に属する国々。

    • 濃い赤: 既存有力比定地あり

    • 赤: 既存研究のどれかと一致

    • オレンジ: 既存研究と一致せず

  • 黒系: 女王に属さない国々、その他。

    • 黒: 既存有力比定地あり

    • 灰色: 既存研究のどれかと一致 (日本列島内は狗奴国のみ)

$$
\begin{matrix}
ブ & \text{ID} & 国名 & 推定 & 古代名称 \\ \hline
\text{A} & 1 & 狗邪韓國 & 既存有力 & 伽耶・加羅・金官国 \\
\text{A} & 2 & 對馬國 & 既存有力 & 対馬県主・対馬国 \\
\text{A} & 3 & 一支國 & 既存有力 & 壱岐県主・壱岐国造 \\
\text{A} & 4 & 末盧國 & 既存有力 & 松浦県主・肥前国松浦郡 \\
\text{A} & 5 & 伊都國 & 既存有力 & 伊都県主・筑前国怡土郡 \\
\text{A} & 6 & 奴國 & 既存有力 & 儺県主・筑前国那珂郡 \\
\text{A} & 7 & 不彌國 & 推定 & 筑前国穂波郡 \\
\text{B} & 8 & 投馬國 & 推定 & 尾張国海部郡津嶋 \\
\text{B} & 9 & 邪馬臺國 & 既存有力 & 畿内説と九州説 \\
\text{C} & 10 & 斯馬國 & 推定 & 島津国造・志摩国 \\
\text{C} & 11 & 已百支國 & 推定 & 摂津国島下郡の荊切の里 \\
\text{C} & 12 & 伊邪國 & 推定 & 伊勢国造 \\
\text{C} & 13 & 都支國 & 推定 & 刀支県主・美濃国土岐郡 \\
\text{C} & 14 & 彌奴國 & 推定 & 美濃県主・三野前国造 \\
\text{C} & 15 & 好古都國 & 推定 & 美濃国方県郡 \\
\text{C} & 16 & 不呼國 & 推定 & 信濃国安曇郡の穂高神社 \\
\text{C} & 17 & 姐奴國 & 推定 & 科野国造 \\
\text{C} & 18 & 對蘇國 & 推定 & 肥前国養父郡鳥栖郷 \\
\text{C} & 19 & 蘇奴國 & 推定 & 佐那県造 \\
\text{C} & 20 & 呼邑國 &推定 & 加夜国造・備中国賀陽郡 \\
\text{C} & 21 & 華奴蘇奴國 & 推定 & 長国造(*)・佐那県 \\
\text{C} & 22 & 鬼國 & 推定 & 紀国造 \\
\text{C} & 23 & 爲吾國 & 推定 & 伊賀国造 \\
\text{C} & 24 & 鬼奴國 & 推定 & 毛野国 \\
\text{C} & 25 & 邪馬國 & 推定 & 陸奥国耶麻郡 \\
\text{C} & 26 & 躬臣國 & 推定 & 久自国造・常陸国久慈郡 \\
\text{C} & 27 & 巴利國 & 推定 & 針間国造・播磨国 \\
\text{C} & 28 & 支惟國 & 推定 & 吉備国 \\
\text{C} & 29 & 烏奴國 & 推定 & 吉備穴国造・備後国安那郡 \\
\text{C} & 30 & 奴國[2回目] & 推定 & 仲国造・常陸国那賀郡 \\
\text{D} & 31 & 狗奴國 & 推定 & 久努国造 \\
\end{matrix}
$$

このうち「推定」とある国々が前回調査を行った部分で、「既存有力」は既存の有力説をそのまま採用しています。「C」は「遠くてよくわからない国々」です。また狗邪韓國を除くA, B, Cは女王に属する国々とされ[松尾2014]、Dは女王と不和な国です。これらについて地理的な特徴として以下の結果を得ています。

  • (a)東西に長く東山道沿いの東国地名を含むこと、

  • (b)文中での出現順序と国々の位置には部分的な関連があり、一部は資料への追加によるものとみられること、

  • (c)狗奴国の位置に関する魏志倭人伝の記述「南にある」と後漢書東夷伝の記述「東へ海を渡る」が両立するとみられること

参考文献

更新履歴

  • 2022/09/21 末盧の盧を廬と書き間違えていたので修正。

  • 2022/09/21 [Schuessler2007]の年を間違えていたので修正。

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