旅情奪回 第19回:床屋 de ヰタ・セクスアリス(後編)
そういうわけでその日も、私は父と一緒に床屋にでかけた。床屋に行くと、いつも父は二番目か三番目の客で、入口近くのベンチで順番を待つ。手際よく鋏を動かし、ケープを翻して今切った髪を散らしたり顔剃り用の石鹸を泡立てながら、床屋のおやじはこちらに話しかけてくる。
子どもを退屈させないように、という気配りだ。時にはお店に置いてある本などを貸してくれることもあった。
この日は、すでにさっぱりと髪を整えてもらった常連の先客が、用事もないのかいつまでもお店に残って有益な無駄話に花を咲かせていた。話の内容は大したことでもなかったように記憶しているが、私はおやじとのやり取りをぼんやりと眺めていた。
突然その客が立ち上がり、私の前に立った。おやじとなにかやり取りをしていたようで、床屋のおやじは、鋏を握った手を小刻みに振って、なにかを制止しているようでもあった。
客はにやにやと笑いながら一冊の雑誌を開いて、隣の父に見えないようにして私の膝に置いた。
そこに描かれていたのは、日本のマンガとはまったく異なるあのタッチ−劇画とでも呼べるような、やけに線の強い、顔などは頬骨までしっかりと描かれているような、つまりはマッチョによるマチズモに溢れたタッチ−で描き込まれた成人マンガだった。
父が気づいたときにはもう遅かった。私の中で、何かがわっと広がったような瞬間だった。続き物なのだろう、前回の話は分からないが、この回で、豊満な肢体をもつ美女が、なぜか海賊に囚われている。単なる冒険マンガとしても十分に気になる設定だし、実際そうだったのかもしれない。ただし、少々大人向けの。
そう、そこは海の上、船の中で、高慢そうな出で立ちをした船長に命令されて、野卑な顔立ちをしたむくつけき男が女を縛り上げている。苦悶と軽蔑の表情で男を睨みつけ、縄目に強調された情熱的な身体をくねらせる女の姿に、私の目は釘付けになった。雑誌を渡した客がまだ目の前に立っていることなどすっかり忘れて、目の前の世界に没入してしまっていた。父は黙って雑誌を取り上げてパタッと閉じてしまい、私の目の前から美女が姿を消した。
父は厳しい人ではなかったが、筋骨隆々な見かけによらずシャイなところがあって、不意打ちのようにしてやってきた息子の成長の機会に戸惑っていたようで、「こらこら」と言いながら、苦笑いをしていた。今でも、気まずい状況でやんわりと何かを制するときは、「こらこら」とだけいう。
床屋の親父も察したのか、そんなことをするなと客のほうに目配せをして、父と私には、これはちょっとしたアクシデントなんだという表情を見せながら、同時にちょっと可笑しくてたまらないのか、いまにも吹き出しそうな顔をしていた。しかし急に我に返ったのだろう、大人の責任だ。冗談が過ぎるとかなんとか独り言を呟きながら客に少し怒ってみせて私に近づき、君はこっちを読みなさいと別のマンガ−退屈なキャラクターが大げさに動き回る与太話−を渡されたのだが、私は大いに不服だった。大人だけに許されるという特権的な本をもっと開いていたかったし、なによりも、あのぞくぞくするような、刺激的な絵を眺めていたかった。件の常連客は、膝を叩いて笑いが止まらないようだった。
思えばあの雑誌も、所謂成人向けのものではなく、よくある男性誌だったのだと思う。絶世の二次元美女の隣に、唐突にクロスワードパズルが載っていたのもよく覚えている。
さて甘美な楽園への扉を取り上げられた私はすっかりしょげてしまい、急に恥ずかしくなって、沈み込むように腰をずらして、ついにはベンチからずり落ちるような格好になってしまったが、別に股間に強い張りのようなものを感じたのではなかったと思う。こんなところばかり、記憶が定かではない。きっと大人たちに囲まれて、消え入りたいような気持ちだったのだ。
こんな話は、今でいうならばセクシャルハラスメントであり、大人による不適切な暴力であり、それを一般化して肯定するものではない。あの経験が、その後の私の少し生きづらい青春に影響があったのか、直接的な因果関係も明らかではない。
しかし、あの日床屋にいた常連客の無邪気な悪戯心と、あまりそういう話題が得意でない父の困ったような、なんともいえない表情が懐かしく、目の前にある色気たっぷりの美女の姿もさることながら、そんな父の姿を見上げることで、気まずさよりも、漠然とした、なにか大人の世界を垣間見てしまったような満足感の記憶のほうがずっと強いのである。田舎町の、色褪せた牧歌的な思い出話である。(了)
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