旅情奪回 | 或る文筆家の時空を旅するコラム&エッセイ

太田 圭 プロフィール:文筆家/アートディレクター/産業カウンセラー。学生時代から音楽誌で評論、特集、コラムなどを執筆開始。以後、社会、美術など多方面で執筆活動。国内外を問わず旅が好き。日本全国各都道府県を、五年かけて「日帰り取材」した経験を持つ。東京都在住。

旅情奪回 | 或る文筆家の時空を旅するコラム&エッセイ

太田 圭 プロフィール:文筆家/アートディレクター/産業カウンセラー。学生時代から音楽誌で評論、特集、コラムなどを執筆開始。以後、社会、美術など多方面で執筆活動。国内外を問わず旅が好き。日本全国各都道府県を、五年かけて「日帰り取材」した経験を持つ。東京都在住。

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自己紹介(2023年6月29日更新)

note概要:「今や、「旅情」そのもののリアリティが希薄化している―。」 文筆家/アートディレクター/産業カウンセラーの筆者が送る、旅、時間、場所、記憶…をめぐる読み物あれこれ。  これまで20年近く、あまりフォーマットにこだわらず、様々な場所で原稿を書いてきたが、案外ネット上で公開される原稿というのは書いてこなかったような気がする。  自分の中には、ライフワークと呼べる太いテーマがあり、枝のような興味関心にこれを仮託するようなスタイルで原稿にしてきたが、その中で「旅」に

    • 結石事変。

      不穏なベース。無関心かと思えるほどクールに刻み続ける虚無なドラムス、不安感を煽るギターにヒステリックなホーンが金切り声で沸点を告げる。その間約2分。そこに唐突にデニス・エドワーズの野太い歌が闖入してくる。言わずと知れた名曲、The Temptationsの“Papa Was a Rollin' Stone”(1972)。70年代、モータウンのアーティストたちに新境地を拓いた作曲家ノーマン・ホイットフィールド十八番のサウンドである。 それまで、ヤング・アメリカの新しいポップスを

      • 道徳授業地区公開講座:「すれちがう」世界に想像力の灯はともるか?

        地域の道徳授業地区公開講座に出席してきた。昨年に続いて二回目である。道徳授業に対する私の距離感については以前の記事に書いたとおりで、この一年間で変わることはなかった。今回は、「すれちがい」というテーマで、小学校高学年の人間関係について考える時間となった。 取り上げられたストーリーは、非常に古典的かつ普遍的な内容である。二人の登場人物について、それぞれの視点でそれぞれの事情や都合が語られ、互いに交わした約束が守られず人間関係において心理的なしこりが残るという内容である。そして

        • 幸せな日々をめくり、ひっくり返してみる。

          残暑が厳しい。いつまでも蒸し暑い自宅の階段を昇降していると、ときどき妙な考えが頭に浮かんだりする。今朝も、これまた蒸し暑い洗面所で髭をあたりながら、ふとこの日常に、疑問符を思い切り投げつけてみたくなったりする。毎朝鏡に映るこの男の人生は、本当に幸せだったのだろうか、と。 といってなにか深刻なきっかけがあったわけでもない。いつもながらの思考実験の虫が疼いたというやつである。 人生にはターニングポイントが幾度もある。それらはライフイベントと呼ばれることもある。広義には同じであろ

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          "Ross Barkley: The Elegant Beast"

          Is there something that can serve as motivation for our family, a small group, throughout the year? While it's enjoyable to search for this, we often run out of ideas. That’s why, last year, based on a casual remark from a family member, we

          ロス・バークリーという男。

          なにか、一年を通して家族という小集団で共有できるモチベーションになるものはないか、これを見つけるのは楽しいが、アイディア不足に陥ることがいまではほとんどだ。 そういうわけで、昨年はふとした家族のひとことから、2022―2023シーズンでチャンピオンシップで3位に食い込み、見事プレミアリーグへの昇格を果たしたイギリスのサッカーチーム、ルートンタウンFC(愛称はハッターズ。以後ハッターズ)を応援するということを家族のモチベーションに決めた。ルートンタウンFCが一部昇格したのは、実

          記憶の迷宮で、もう迷うことがない。

          最近物忘れがひどい。もともと記憶力の良い方ではなかったが、自分で想像していたよりもずっと早く、物忘れというギフトが届いたようである。 例えば、なにかを思い出そうとしても、それがすぐに出てこない。スマホですぐに調べてしまうのは記憶という機能にはよくないと何年も言われ続けてきたが、その通りだと思う。しかし、調べないでは進まないこともある。それで、ついスマホの世話になってしまう。 バカバカしい話だが、人生の多くの時間を使って身につけてきた知識の数々、それも、単に知識として蓄積す

          サービスが成熟するということは。

          サービスが成熟するというのはそういうことだけど、とiPhoneの新モデル発表が近づくと毎年思うわけだ。 見渡して、iPhoneが登場した当時、アプリに対して今のようなリビューを書く人は、世界的はもちろん日本国内にもほとんどいなかった。つまり、あれがダメだ、これが気に入らない、すぐに削除した、ただのクソアプリで、といった類のコメントだ。評価ではなく感想。 iPhoneが登場して間もない頃は、新しいテクノロジーの可能性をどう生かしているから独創的だとか、こういうことができるな

          ナヨ、ハードボイルド。

          「世界の終わりとナヨ・ハードボイルド・ワンダーランド」。無論、村上春樹さんの作品のタイトルをもじったものだが、これは私が大学生の頃に美術部で定期的に発行していた機関誌に寄せたエッセイのタイトルである。 どうも最近は昔語りが多くなって、自分でもどうにもうんざりするのだが、30年前と現在で変わらないことがあるとすれば、それはいま語ったとしても昔話ではないのかもしれない。 ハードボイルドという言葉を知ったのは、実はもっと前のことで、今から37年前、御年13歳の候(みぎり)であるか

          世紀末無法者伝説。

          風が乾いている。前方を走るバイクの群れが巻き起こす砂埃が、車体や肩当てに当たってチンチンと細かい音を立てる。どこへ行くというアテはないが、目的だけははっきりとしている。とにかく、水、である。永遠など存在しないと重々承知しているが、少しでも長く、一滴でも多く水を確保できる場所、そこだけが目指す場所だ。 部長、いやリーダーが先頭で右手を挙げて、チームは静止する。リーダーが何かを見つけたらしい。見れば、幼い子供を抱えた女性と、ケガをして足を引きずる男性が見える。おそらく家族なのだ

          本づくりこそ、最古のシステム設計である。

          しばらく間が空いたように感じる。最近何をしていたかといえば、自費出版される方の本作りに、実に十数年ぶりに携わっていた。 今は自費出版の窓口もたくさんあるし、電子出版という選択も便利で面白い。ネットを検索すれば、私より経験豊かで優れたエディターがネット上にたくさんいるのだから、そうした情報からよく選んで決めたらどうか。私は、なんとなくアドバイザーとしてならば関わっても、とやんわり断ったつもりだったが、きわめてプライベートな内容からしても、できればよく知っている人にお願いしたい

          本づくりこそ、最古のシステム設計である。

          佳人長命―祖母100歳のお祝い。

          少し前の話になるが、一族で祖母の100歳のパーティをした。もっとも、音頭を取ったのは叔父であり、叔母であったわけで、祖母の半分の歳になっても相変わらず孫気質が抜けないのは容赦いただきたいところである。 およそひと月ほど前に声がかかり、それから叔父と叔母は、車椅子の移動に困らず、20名近い家族が一同に会して食事ができる場所を探してくれたらしい。我々孫世代に課せられたのは、それぞれの家族がスライドを使って近況報告のプレゼンテーションをすることであった。 もともと、すでに家庭の

          風のヒューイは弱いのか?-統率力と機動力の非凡なる才能-(再掲)

          いろいろな場所で書き散らしたものを、あとから自分で探し出してきてまで読み直すということは、特にブログ文化の中ではほとんどしたことがないが、なぜか私が書いたブログ記事の中で、何年経ってもアクセスされ続けている記事がひとつだけある。どこに需要があったのか謎ではあるが、そもそも私が唐突にこの記事を書いたのも、あとから検索して辿りついてきてくださる読者と同じような疑問を抱いたからに他ならない。 そうやって見返すと、この稀有な、小さな記事を贔屓したくなってしまったので、改めて、今後も細

          風のヒューイは弱いのか?-統率力と機動力の非凡なる才能-(再掲)

          鮮度のピーク。(再掲)

          この手の原稿は、年によって、時代によって、普遍性を失うことも少なくはない。あまり再掲を好まない身ではあるが、社会人として新たに旅立つ誰かへの餞の気持ちで、もう一度ここに「鮮度のピーク。」を投稿する。 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ この季節になると、今年は異例の開花状況とはいえ、やはり桜が目につく。俵万智さんに倣うまでもなく、あらためて桜は日本人にとって特別なのだと感じる。桜が象徴するものは

          排尿礼賛。−おしっこを嗤うな

          私は谷崎潤一郎先生を尊敬してやまないわけだが、杉の葉から湯気の立つ便器の醜さ美しさを大真面目に延々と綴る先生よろしく、一見どうでもよいようなことを、どうでもよくないからふと真面目に追求してみたりしてしまう。 「おしっこに行ってくる」。そう言い残して部屋を出るとき、人は些かの気恥ずかしさと、自虐を禁じ得ず、その場に居合わせた人にしても、それをお手洗いを借りるであるとか、トイレに行くと言えないものか、自然が呼んでいるとでも言えないものか、とデリカシーに照らして思ったりするのかも

          お金の話をしよう。

          お金の話というのは、古今東西を問わず、なかなかにデリケートなテーマである。「ファイナンス」という言葉が日本で当たり前のように流通し始めたのも、そう遠い昔ではないはずだが、今は資産やライフプランについてしかるべき指針を持つことはむしろ、人生に向き合うという点で、意識が高いことの要件のひとつとなっている。お金の話がお茶の間化する。その背景には、インターネットが登場し、ネットショッピングが当たり前となり、決済のパターンが増え、キャッシュレスが浸透し、数え切れないほどのネットバンクが