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発した言葉はしっかり育てる

言葉の可能性は無限大だ。

なんか薄っぺらい言葉になってしまったが、本当にそう思う。

言葉にできるは武器になるし、言葉にできるは盾にもなる。
言葉にできないよりは言葉にできたほうがいいと思っている。

だから私は発信を続けている。言語化を続けている。


じゃあ言葉にすれば万事解決か、というとそうじゃない。

そうやって言葉の可能性、汎用性がわかっているからこそ「行動」を大事にしたいと思っている。

だって言葉でなんとでも言うことはできるから。

それは良くも、悪くも。


きれいな言葉を並べることだってできる。
泥臭い言葉を並べることだってできる。
ありのままの言葉を並べることだってできる。
それらを使い分けることだってできる。

「ものは言いよう」

とはよく言ったもので、言葉選びによって自分のありたい姿、理想とする姿を演出することだってできるのだ。

それを肯定的に捉えるパターンもある。

「言葉から変える」パターンだ。

自分が理想とする人物像はどんな発言をしているか、どんな言葉選びをしているか想像してその人になりきって発信する。最初それは「演じる」という行為になるが、やがてそれを演じ続けることで本質になる。

言葉先行型の理想への近づき方だ。


そうやって理想を演じ続ける、ちゃんと「続ける」ことができる人は言葉先行型でも全然いいと思っていて。続けることができれば次第に自分自身に定着していき、おのずと結果に結びつくと思っている。

その一方で「言葉はすごい!」「言葉の可能性は無限大だ!」って言っていると都合よく切り取ってその場しのぎの言葉選びをすることだってできるのだ。○○してる風。そこに「継続」の二文字はない。だからきっと結果は伴っていない。その場しのぎだ。


実際こうやって私もnoteを書いていて、どちらかというと綺麗な言葉をならべがちだが、「上っ面の言葉だけだろ」と思われても仕方がないのだ。

取り繕うと思えば取り繕うことができるのだから。

本当に言葉って便利だし、便利がゆえに危なさもあるなって思う。


だから自分の言葉に説得力をもたせるためにも結果で行動で証明する必要があるのだ。

言葉が大切で大事だって思っているからこそ、その言葉の重要性を証明するために行動で結果で見せなければならないのだ。


言いっぱなしで逃げない。

自己啓発本を読んだ時に「読むことで満足する感覚」と一緒で、言葉も「いい言葉を並べることで満足する感覚」って生まれやすい。私だけだろうか。

でもその言葉に説得力を持たせるのはほかでもない自分自身の行動であり、結果だ。

だから言葉を生んだんだからこそ、言葉の育児放棄をしない。
最初は多少自分を大きく見せるための言葉だっていい。
自分が理想とする姿をあらわす言葉だっていい。
それをその通りになるように、立派に育て上げればいい。



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塩浦良太
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