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迷うを楽しむ

迷うってどこかネガティブな印象がある。

「迷っている時点でその選択肢はどっちも違う」


なんて言われたりもする。わからなくもない。

迷った挙句、ある一つを選択したとする。そのあとに自分が選択しなかった方を選んでいたらどういう世界線になっていたんだろう、って考えることもある。

もちろん自分が「こっちが正しい」と思ってそれを選択しているわけだし、「選んだ方を正解にする」なんていう意見もある。それはその通りだとは思う。

でもやっぱり人間は隣の芝生は青く見えるし、ないものねだりするし、出来ることならパラレルワールドにとんでみたいと思うこともある。

わたしだって小学校からずっと野球をやってきたことに後悔というのは微塵もないのだが、もし野球をやらなかったらどういった世界線になっていたのかなと考えることがある。

もっとたどれば、もし両親が離婚をしていなかったらどんな世界線になっていたのかなって考えることもある。

その時、その瞬間の選択によってその後の人生って結構変わってくる。だから人は迷う。これが本当に正解の選択なのか。迷って迷って迷って迷って。

迷った結果選んだものに対し、一定時間たつと「もし違う選択をしていたらどうなっていたんだろう」と考え始める。そんなのやっても意味がないということもわかっているし、キリがないこともわかっている。だけどやってしまう。もしかしたら自分の逃げ場をつくるための方法なのかもしれない。

「別の選択だったらうまくいってたし」

みたいな。その確証はないのに。

だからどうしても「迷う」って大変でネガティブな印象があって。せっかくなら決まりきった正解を突き進んでいる方が楽なのかもしれない。迷う必要がないから。

敷かれたレールの上を走る、的な。

まぁ、かつての自分もそうだったんだけど。

でも最近になって「迷うことも悪くないな」なんて思っている自分もいる。

だって迷うってことは考えているわけであって、考えているっていうことは自分と向き合っているということで、自分と向き合うってことは自分のことを大事に考えているわけで。

もちろん迷わず選んでいることが「そうじゃない!」と言いたいわけじゃない。確固たる意志、目標がはっきりしているケースであれば「迷う余地なんてない!」と言う人もいるはず。それは一番最高な状態だ。

でも自分の場合、今はそうじゃない。

そうじゃないときの迷わず選んでいる状態って「○○が言ってたから」とまさしく上記に添付した記事のような私の状態だ。


1つ言葉をご紹介したい。

”人生をかけて迷い続ければいい。
もっといろんなことを知ればもっと深い文章を書ける。”

noteで出会った言葉だ。

ずっと「迷う」ことをネガティブに考えた自分に一筋の光が差し込んだ感じがした。迷ってもいいんだ、って。むしろ迷った方が深みが増すんだ、って。

一度の選択で人生の全てがきまるわけじゃない。

何度でも方向修正はできるし、どっちの選択も選べる場合もある。

だから大いに悩みたい。大いに迷いたい。

そして迷った経験すら文章に、コンテンツにしたい。


そんな風に思った。

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塩浦良太
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