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言語化が調子のバロメーター

最近になって気づいたことがある。

それは「言語化が調子のバロメーター」だということ。


気づけばnoteを毎日書き始めて480日を超え、もうすぐ500日を迎えようとしている。最初はなんとなくで始めたものがここまで来た。そう考えるだけで恐ろしい。

書いている文章に説得力はなくても、数字には説得力がある。

500日目前という数字、フォロワーさんが1000人を超えたという数字、何よりこれらの「数字」が私の文章をより輝かせてくれている


noteを始めたことでnoteを通じた交流というのも日に日に増えてきた。

たまにこんな自分に対してnoteの書き方を質問してくださる方もいる。「アウトプットこそ最大の勉強」と言う通り、毎回毎回自分自身も自分のやり方を見つめ直す貴重な機会となっている。

だから質問してくださる方に関しては、

「むしろありがとうございます」

の気持ちでお答えしている。


質問の種類は様々だが、それでも共通した悩みとしてあるのは「書くテーマどうしてますか?」だ。

毎日noteを書いていくうえで最大の壁と言っても過言ではない。

「毎回違う内容を書いた方がいいのではないか」
「自分が書きたいことって何だろう」

そういった悩みが後を断たない。

単刀直入に、私が最近行き着いたゴールとしては「同じ”答え”を、違う題材からアプローチする」に尽きる

ここでいう「同じ答え」というのは、自分が大事にしたい考えだったり価値観のことだったりする。

だからよくよく見てみると、私の記事は結構似たような内容の文章になっていることも多い。

「結局言っていること一緒じゃね?」

という。

最初はそう思われることが少し嫌だったけど、今はむしろ自信を持って書いている。

”これが自分の伝えたいことなんだ”

って。それが自分の「答え」なんだって。

ただそこの「答え」に向かうアプローチは変えている

そうすることで読んでいる人を飽きさせないし、自分の大事にしたい考えを転用させる力もついている気がする。


そのうえで、今回の本題に入る。

「言語化が調子のバロメーター」


やっぱり500日近くも書くと、テーマがなくなる。

あれも書いた、これも書いた、あれ?そういえば○○に関する記事って書いたっけ?、、、、あ、書いてた。

そんなレベル。

本当に浮かばない時は頭を抱えながら、でも書きたい気持ちはあるからひねり出して書いている。

だけど思いつくときって、本当にふとした時に思いつく。

「あ、今日これテーマにして記事書けるな」


この違いってなんなのかなって考えたとき、やっぱり「余白」なんだと思う。

日常から目の前のことに集中している一方で、余白を持ち合わせられているか。

白があれば、ふとした気になったことが頭に残り、様々な情報とつなぎ合わせて、「これで記事書ける」というGOサインにつながる。



一方で全く浮かばない時は、余白がない状態。

それは忙しいという意味での余白のなさもあるし、落ち込んでいるという意味でのそもそものキャパが小さくなっているときもある。

その日の言語化のできなさが、調子の良し悪しを教えてくれるのだ。


アイデアがパッと浮かぶかどうか、言葉がスッと浮かぶかどうか。
それが自分の調子のバロメーターになっているということに、noteを500日近く書いたことでようやく気付くことが出来た。


”名は体を表す”という。

それと同じように、

”言語化は調子を表す”という言葉が私の辞書に加わった。




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塩浦良太
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