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器用貧乏か、ジェネラリストか
「広報」という仕事に専任になって、ありがたいことに本当に多くのことを経験できるようになった。
一般的な「広報」で連想される記事の作成やSNSの運用、各種メディアの対応は言わずもがな、広報物の作成やチェック、ウェブサイトの作成もしたり、時にはカメラを持ってカメラマンになったり、時には冊子を作成したり、さらに時には動画を編集したり。
広報という言葉の多様な広がりを感じる。
そしてまだまだ経験していないことも多くあるはず。
企業によっては、細かく分業されていてある分野に特化するみたいなこともある。それはそれで素晴らしいことだし、何かを極めるってカッコいい。
一方で、多様な経験を一挙にできる今の環境は、自分にとっては最高だ。
経験を多岐に広げることで、1つの分野の知識経験が、また別の分野で生きることだってある。シンプルに貢献できる手段が多岐に渡る。
だけど〈〈自戒も込めて〉〉気を付けたいことがあって。
それは「経験することに満足しない」ということ。
ある組織の中で、周りがその分野に詳しくない時、少し知っているだけで「すごい」となることがある。でも当然だけど、そんなの井の中の蛙で。基準をどこに置くかって大事で。
いろんな経験をして、その経験に満足しちゃった時に陥るのが「器用貧乏」だと思っている。いろんなことに手を出すあまりに、どれも中途半端な状態。それってもったいないよね、と。
だったらジェネラリストになりたい。
あらゆる分野に対して、プロフェッショナルであるということ。スペシャリストが特定のものに対してのプロなのに対し、ジェネラリストはあらゆるものに対してのプロ。
「そんなの当然だよ。なれるものなら、ありとあらゆるものに対してのプロフェッショナルになった方がいいよ」
心の中の、ひねくれ自分がそう叫ぶ。
そりゃそうだ、でも簡単ではない。
だから、ジェネラリストはジェネラリストでも、「何の」プロフェッショナルになるかは、ちゃんと選びたい。そのために必要なのが、自分のありたい姿だったり、目指す方向性だったりする。
その道筋に対して、あった方がいいものか、幅を広げてくれるものか。
全く関係ないものだったら無理する必要はないと思っていて。そこの判断はちゃんとしていきたい。
そのうえで、選んだものに対してはちゃんとプロフェッショナルになりたいなと、決意した。
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