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「がんばる」が宙に浮く

「がんばる」が宙に浮いている。

時々そんなことがある。

なんとなくイメージしていただけるだろうか?

何のためにだとか、誰のためにだとか、理由は何でもいいんだけど何か「がんばる」の足場が欲しくて、もがいてはみるけど空振りの連続で。足をバタバタさせるだけで、バタバタさせればさせるほど疲れだけ残る。それはつまりがんばろうとすればするだけ疲れる。

それが自分の中で「がんばる」が宙に浮いている状態


「われわれは」と一括りにするのは、そう思っていない人に対して失礼だから敢えて「わたしは」と言うが、わたしは”がんばりどころのおきどころ”を常に求めているんだな、って思った。要は頑張る足場だ。

もっとわかりやすく表現するとなると「頑張る理由」といったところだろうか。

自分って不器用だから、これまでの過去を振り返って見ると「頑張るために『がんばる』」ということが出来ない。「頑張らないといけないから『がんばる』」というか。「いいからやれ」ということが苦手で、なんとか自分の中で「それ」をする理由を考えて自分の中でそれに取り組む理由を見つけてそうして初めて頑張れる。

常に何か「頑張る理由」、「頑張れる理由」を求めてしまう。それがいいか悪いかはさておいて。

その理由ってなんでもよくて。

それこそ「誰かのため」でもいいし、「好きだから」でもいい。「ワクワクするから」でもいい。「出来るようになったらカッコいいから」でもいい。

なんでもいいんだけど巡り巡って最終的に自分のためになるような理由が生じて初めて「頑張る」という行為が選択できる気がしていて。というか、その状況になったらもう気づいたら頑張っているタイプで。

頑張るを強要されるのが苦手なのかもしれない。というか気づいたら基本的に頑張っているタイプだった。大体の場合で、自分なりの頑張る答えを見つけることが出来ていた。頑張る足場を見つけられていた。自分としてもそれは一種の才能だと思っている(笑)


でもだからこそ、頑張る足場、がんばりどころのおきどころが見つからなかったとき、「あれ?」と思うようになる。ちょっと不安になるというか。

そんなとき、むやみやたらに頑張ろうとしない選択肢をとれる自分でありたいと思っていて。頑張ろうと足をバタバタさせるのを一回止めて、宙に浮いている状態を楽しめるような余裕を持ちたいと思っていて。

だって宙に浮いて足が地面につかないのに足をバタバタさせるのは、上記もしたけど余計に疲れるだけ。自分で自分の首を絞めている。

恵まれていることに地球には「重力」がある。だからきっといつかまた地面に足がつく。いつか足がつくんだからたまにはその宙に浮いている、足がつかない自分を楽しんでみるのも大事で。頑張らないでフワフワーとしていることもたまには大事で。

それがずっと続くようだったら環境を変えるということも考えた方がいいかもしれないけど。たまには宙に身を委ねるのもありなのかなって思う。



なんか文章の通り、「フワフワ」した記事になっちゃったけど、自分にとって”がんばりどころのおきどころ”が大事だなって思ったし、それが見つからないときはたまには頑張りすぎずに流れに身を委ねるのもありなのかって思ったよ。


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塩浦良太
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