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「好き」が生きる意味になる
「生きる意味ってなんだろう」
いきなりヘビーな出だし。
でもTwitterやらなんやらで時折こういった投稿を目にする気がする。いや自分もそんな風に思っているから目が留まるのだろうか。
人は自分の欲しい情報ばかりに目が留まるっていうし。
なんか最近の人って良くも悪くも達観していると言われる。
「悟り」世代と言われる所以か。
私自身もよく「達観しているね」と言われることも。
そりゃ大きな夢や目標、「このために私は生きていくんだ!!」なんてものがあったらいいに決まっている。だけど現実問題パッと浮かぶものってなくて。
ついつい物事を俯瞰で見たり、斜めに見たり。
まぁ今を楽しめばいいかなって思ったり。
そういえばどこかで、
「優しい人は諦めた人」
言葉だけ見ると悲観的な印象もあるけれど、別にそんなことはないと思うし、なんなら「確かに」と納得する。
それは自分の想い通りに行かないことがあるということを知っている人というか、何かを我慢した経験がある人というか。
今あるありのままを受け止めますよ、というか。
自分で言うのも変な話だが、「優しそうだね」「優しいね」と言われることが多い。別に自分はそんなつもりがなくてもそう言われる。
振り返って見ると確かに自分は結構「諦め」を過去に経験した人間だ。
さらに言ってしまうと大学卒業して就職が決まってから、私はある種人生終了した気分でいた。生きる役目を終えたというか。
大事に育ててくれたじいちゃん、ばあちゃんに、とりあえず社会人となって羽ばたいていくよという姿を見せることが出来たこと、安心させられる姿を見せられたこと。それで生きる役目は終えたと思った。
だからたまにいう。
「今は余生だ」
と。
これは感覚の話なんだけどね。
てな感じで社会人の最初の頃は日々刺激ある環境で生活しながらも、心のどこかでずっと『余生』という感覚があって。
だけど最近徐々に生きる意味というか、まだすぐには死ねないな、って思うことが出てきた。その要因っていろんな「好き」と出会い始めたから。
正直大学までの自分は何が好きで何が嫌いかなんてあんまわからなかった。
唯一はっきりわかっていたのは「野球が好き」くらいで。あとはレールの上を走って、結果を求めて、結果が出ると楽しい!ってなって。でもそれが好きなことなのかどうかはまた別の話で。
一体自分は何が好きで、何が嫌いで、何に興味があって、何がしたいのか。そんなのなんもわかんなかった。
そんな自分が大学に入って次第に自分と向き合うようになり、社会人になって余裕が生まれてくることで徐々に自分の「好き」に気づき始めたし、「好き」に出会う機会が増えた。
音楽だとか、食だとか、洋服だとか、本だとか。映画だとか、アニメだとか。お酒だとか、人だとか、学びだとか。
私の好きな本にあった好きな言葉を一つご紹介したい。
「「好き」があるということはそれだけで明日を生きる理由になる」
せっかく生かされている身として、どうせなら楽しくワクワク、明日を生きることを待ち遠しいと思えるくらいでありたい。余生なんて思わず名残惜しさを感じるくらいに。
そんな経験が徐々にできてきている。
だからもっともっと「好き」を増やしたい。
「好き」で埋め尽くしたい。
だからもっといろんなものに出会い、触れ、体感していきたい。
もっともっと長く楽しく生きたい。
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