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「負けた自分が何を言っても口だけ。」

「負けた自分が何を言っても口だけ。」

東京オリンピック、男子サッカー3位決定戦。

死力を尽くした戦いの後、インタビューを受けた久保建英選手はそう語っていた。


「そんなことないよ」と思うだろうか、「そうだ。勝てなかったのがダメなんだ」と思うだろうか。

私としてはどっちの捉え方もわかる。

”よく頑張った、一生懸命戦ってくれた、それだけで十分。”、そう思う人もいるかもしれない。
”予選で勝ってたじゃん。あ、予選の時、相手は手を抜いてただけなのかもね”、そう思う人もいるかもしれない。

世間的には「そんなことないよ、よく頑張ったよ」が多いのかもしれない。

でも私自身小学校から高校まで野球部に所属して、試合に出てきた身として、大事な試合に負けた時に「よく頑張ったよ」ですべてが報われるかといたらそうじゃないということもわかっている。

自分のミスで負けた時に「お前のせいじゃないよ」ですべて忘れられるわけじゃないということもわかってる。

スポーツ選手、スポーツの世界は結果で判断されてしまう。
誰よりも自分たちはそこに至る過程を知っているが、見ている人はその過程を知らない。

そのくせ、決着がつくときは勝者と敗者に分けられる

それくらいわかりやすい世界ってなかなかない。

そのスタートラインに立つことすら足がふるえそうだ。

だから戦うには強い覚悟と責任が必要なんだ。

そして結果に、「勝ち」にこだわらないといけないんだ。

ましてやオリンピックの場合は国を背負って戦っている。当たり前だが、私には到底知ることの出来ないプレッシャーがかかっている。

いくら言い訳や不満を語ったとしても、負けた時に言うのであればそれは「負け犬の遠吠え」にしか聞かれない。


そのことを20歳という若さで言語化出来ている久保選手には頭が上がらない。


果たしては自分はどうだろうか。

口だけになっていないだろうか。改めてそう考えさせられる。

まだ何も出来ていないのに、出来ない理由を探していないだろうか。

何か出来なかった時に、周りに言い訳を探していないだろうか。環境に言い訳を探していないだろうか。


人は言う。

「結果が全てではない。その過程も大切」

それはめちゃくちゃわかるし、真理だと思っている。

だけどその言葉だけを信じてもいけない。

必ずしも全員が全員、過程を見てくれているわけではないということを頭に入れておかなければいけない。

結果だけしか見ない人がいることを。

中には結果すら見ずに、文字面だけで判断されることもある。

それがいいとか悪いとかじゃない。それが「わかりやすい」からそうなっているだけで、その選択は自明だ。


だからどんな言葉や想いより、結果が一番わかりやすい証明方法


負けたら遠吠えにしか聞こえない。
でも勝てば言葉に重みが出てくる。

「勝ち」か「負け」か。

無情な世界なのだろうか?

必ずしもそうとは言い切れない。むしろこれほどわかりやすい判断基準もない。

言葉に重みをもたせるためには結果で証明を。結果を出すには行動を。

過程が良ければ、自然と結果につながる。
結果につながらない過程は必ずしも「100%良かった」とは言えない。


久保選手の言葉が、自分を動かす刺激となった。


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塩浦良太
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