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腑に落とす作業

「まだ大人なんて年齢じゃないだろ」と言われることも理解したうえで、大人になればなるほど、過去というものと向き合えるようになってくるわけで。

向き合えば向き合うほど、過去の自分と今の自分の変化は感じられるものです。ある種、”成長”と言ってもいいんだけど、でもその時はその時でベストな選択をしていたと思うのであえて”変化”と書きます。


昔の自分ってとにかく外に目を向けることが多かった気がします。
今求められていることは何か、自分が担うべきことは何かなどなど。それでいて「じゃあ自分はどうしたいか」ってあまり考えていなかったなと。

いや、「考えていなかった」というよりかは「考えないようにしていた」という表現が正しいかもしれません。考えちゃうとそれが”おかしい”ということに気づいちゃうから。でもおかしいことに気づいちゃうと、いろんな意味ですべてが終わっちゃう気がして。

だから「妥協する」という選択をとっていたんだと思います。当時、妥協なんて言葉も知らないから「そういうものなんだ」と思ってたというか。それはそれで正解の選択をしていた気がします。


でも自分と向き合うようになって、子どもの頃は「目の前にゴールがあるはず!」と思い、短距離走的な気持ちでいたからそれで何とかなったけど、大人になったらそれじゃ自分がもたないなと考えるようになりました。いつゴールがくるかはわからないけど、何事もなければ基本的に結構な長距離走だし。

そう考えた時、自分を守るという意味でも「腑に落とす作業」が大事だなと思ったんです。

なにをやるか、なぜやるか、どうやってやるか、いつまでにやるか。
そもそも自分がやるべきこと、やりたいことか。

確かに騙されたと思ってやることは時に大切です。
だけどだとしてもどこか一部分では、自分の心のフックに引っかかっていないとわけわかんないと思うんです。例えばせめて「なぜやるか」の部分がわかっていないと

最近はここの部分が少しずつ出来るようになってきた気がします。
わからない部分は聞くというか、確認をするというか。
思ったことを口にすることが出来るようになってきました。

まだまだ甘いけど。


この腑に落とす作業って、自分を大切にするだけじゃなくて相手にとっても親切だと思うんです。

だって普通「納得してくれたということは大丈夫なんだな」と思うから。
それを妥協していただけで、モヤモヤを抱えているということを知ったら「じゃあ最初から言ってよ」となるはずです。そこのギャップを最初から埋めることが出来ます。

ただ、まだまだ大人のなりかけで。
もっともっとここはうまくなっていかないとなって思います。

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