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「合う人に会う」

僕はオードリー若林さんが紡ぐ言葉の世界観が好きだ。

飾らない、だけど気づいたら心に刺さる、誰もが一度は思ったことあるけど見てみぬフリをしてきた部分を見事に言語化する。

きっと見てみぬフリをした方が、知らない方がいいこともあるから我々は言語化してこなかった。

だからその部分を言語化するってすごい純粋なんだと思う。
そんな言葉たちが刺さる僕の心も純粋なはず(笑)


というのはさておき。


若林さんが書くエッセイは好きで毎回読んでいる。好きな言葉はいろいろある。例えば、

「ネガティブを潰すのはポジティブではない。没頭だ。」

とか。


そんな中で今日紹介したい言葉がタイトルにもある通りの言葉。

「合う人に会う」

だ。

きっと解釈は様々。ここでは言葉だけお借りしたい。
そもそも「合う人に会う」という言葉が印象に残ったのはなぜか。

ちょうど普段働く移行支援の利用者さんに向けて行っている聞き取り課題の作問をしているときのことだった。

「春は「出会い」と「別れ」の季節だし、そういった文章つくろっかな~」

そう思った時にタイトルにある言葉を知った。

そこで思った。

「人って一生のうちに一体どれだけの人と出会うんだろう?」

調べると、一生のうちに接点を持つ人の数は3万人と言われているらしい。多いととるか、少ないととるか。日本の人口1億人と考えたときにその中の3万人って0.03%。そう考えるとめっちゃ少ないと私は思う。

だからきっと今出会っている人もその貴重な一人で、一つ一つの出会いがきっと偶然で。でももしかしたら必然で。

私の感覚としては合う人に会う=合う人を見つける、に近いかもしれない。それか合う人と一緒にいる、か。

だからといって合う人=自分にとって都合のいい人、というわけではない。時に自分にとっては耳の痛いことを言ってくれる人、それも自分にとっては大事な「合う人」だ。


正直な話、これまでの人生本当に人の運には恵まれている気がする。合う人とばかりしか会っていない気がする。それか合わなかった人は忘れてしまっているのか。でもそれはそれでいい気もするけど。


私には好きな四字熟語がある。

「一期一会」

その機会は二度と繰り返されることのない、一生に一度の出会い。ということ。きっと接点を持つであろう3万人全員が自分にとって「合う」人ではないかもしれない。でもそれって普通に考えて当たり前で。

だからこそ「合う人に会う」、そんなゲーム感覚で合う人に会えたらラッキーくらいの感覚の方が気分的に楽なんだと思う。


でもそんな私は上にも書いたけど会う人会う人が「合う人」ばっかりで、人の運に恵まれすぎて怖いくらいだ。


話は聞き取り課題の作問のシーンに戻る。

出会いと別れを題材にした聞き取り課題をつくり、「最後にどうまとめようかな?」と思ったので普段noteで書いているテンション感で文章をつくった。それをそのままここに引用したい。

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当たり前、の反対の言葉を知っていますか?

そう。「ありがとう」です。

「有る」ということが「難い」んです。

普段私たちの出会いは何気ない出会いかもしれません。誰かと一緒に過ごす時間は長い人生で見たらたった一瞬に過ぎないかもしれません。

でも一期一会。決して当たり前なんかじゃありません。

「ありがとう」。

伝えられる時に伝えておけばよかった、と後悔するのはいつも伝えられなくなってからです。

今からでも遅くありません。日常の中に「ありがとう」を増やしていきましょう。

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我ながらいい問題をつくった。(笑)


「合う人に会う」、そんなことをこれからも意識していきたい。

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塩浦良太
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