横着しない
高校時代の3年間って本当に野球だけに注いできた。
それはそれでめちゃくちゃ青春なんだけど、それ以外の青春は全く持ち合わせていないもので。
だからせめてもの、じゃないけれど高校時代に野球部の顧問から言われたことはすごく大事に覚えているものだ。
守備の時、足を動かさずに手だけで打球を取りにいこうとしてミスをした際、もれなくみんな言われてた。
一歩踏み出せば簡単に正面に入れるものを、その一歩を楽しようとするがゆえに結果ミスをする、という。
もちろんその時もなんとなく大事さはわかっていたが、でもじゃあ、めちゃくちゃ心に響いたかっていうとそんなわけではない(ここだけの話)。だって「横着」なんて言葉普段使わないもん。
でも大人になって違う形で「あの時のあの言葉ってもしかしたらこれと似た意味なのかも」と思うことがあった。それがある言葉に触れたとき。
この言葉、すごくわかる。
悩むと、上手くいかないと、自分の都合が悪くなると、「その場しのぎ」をしようとする。「やってる感」でごまかそうとする。
その瞬間だけ切り取ったらそれが正解になるときもあるかもだけど、もうちょっと俯瞰で見たときに、
という捉えられ方がされてしまうのは言うまでもない。まさにこれって「横着」がもたらした結果だ。
一歩足を出せば、もっと楽にできたかもしれないし、もっと選択肢が広がったかもしれない。でもそこがどうすればいいかわかんなくて、煮詰まって、「取りあえず正解を」とやった結果が、手の届く範囲に正解を求めるってことなんだと思う。
これはすごいもったいないことだと思うんだ。
手の届く範囲にある正解って、言ってしまえばいつでも手が届く。
当たり前のことを言いました(笑)
でもそれくらい当たり前に感じることだ。
ということはさ、今じゃなくていいじゃん、って。
煮詰まったらあえてもう一歩外に足を踏み出してみる、とかさ、
目先の楽じゃなくてその先の楽のために動いてみる、とかさ。
そんなこと意識してできたらな、って思う。
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