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「これでいいや、って思ったら終わりだよ」

昨日の夜、あるYouTubeの動画を見ていたらこんなセリフが耳に入った。

「これでいいや、って思ったら終わりだよ」

「なんだ、そんな意識高い系の動画見ているのか」と言われるかもしれないが()、あるドライブトークの動画だ。

だけどなんだかんだ印象に残ったシーンと言えばそこだった。

「わかる!共感できる!」

と思っている自分がいる一方で、

「でも「これでいいや」って思いたくなるときもあるんだよね」

と思ってしまう自分もいる。


綺麗ごとを言う自分の言い分からご紹介しよう。

「これいいや」って、”逃げ”だ。

そもそも「これでいいや」を使う場面ってどんな場面があるか。

例えば決断を求められる時。

ここではポケモンを例に挙げて考えてみたい。
場面は最初の御三家の中から最初の一匹目のポケモンを選ぶ時を想像してもらいたい。

炎タイプ、水タイプ、草タイプのポケモンがいる。

「んー、これでいいや」

もしあなたがポケモンの立場だったら()、「これでいいや」と選ばれた時どんな気持ちを抱くだろうか。

「これでいいやってなんだよ」
「期待されてねーじゃん。消去法じゃん」

って思う。はず。それに「これでいいや」で選んだポケモントレーナーは、それで上手くいかなかったとき、絶対に

「やっぱダメだったか」

って言う気がする。「やっぱ」ってなんだよ「やっぱ」って。

でもその言い訳として「いやー、消去法で選んだからさー」という声が聞こえてきそうだ。

「そっかー、じゃあしょうがないねー」

とはならない。選んだのはあなたなんだから、選んだことに対して自覚と責任を持ちなさい、と言いたい。そこまでストイックにポケモンをやっている人はいないかもしれないが(笑)

ポケモンを例にして想像してみたが、普通にこれって日常でも起こり得る状況で。そもそも「これでいいや」といって選ばれるのは選ばれた側が気分悪い。それに「これでいいや」には「私に責任はありませんよ」という匂いがプンプンする。

「これでいいや」は言い訳製造機だ。

「もしあれ選んでたらきっと○○できてたし」
「もっとあのときああしておけば、上手くいっていたし」


これでいいや、には「まだ私本気出してないですよ」という意味が込められていそうだ。じゃあいったいいつその本気を出すのか。一発勝負の世界だったら、その一回の失敗で終わりだというのに。

きっと「本気出して上手くいかなかったらダサいだろうな」みたいな思考が生まれるのかもしれない。それはわからなくもない。

それに世の中すべてが一発勝負じゃないから、別に本気を出さなくても何とかなることが多いのかもしれない。


でも人生という長いスパンを見れば、人生は一発勝負だ。
偶然今日を生きて、明日も生きている可能性があるけれど100%の保障なんてものはなくて。

明日やりなおせるとは限らないのに、いつまでも「これでいいや」と逃げていてもいいのだろうかと思ったりもする。


「これでいい」じゃなくて「これがいい」。

「これでいい」じゃなくて「これにする」。

「これでいい」じゃなくて「ここまでやった」。

別にそこまで重く考えなくてはいいと思うけど、もっと自分の選択に自分の意志を込めていくことを”当たり前”にしたい。




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塩浦良太
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