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「選択できないこと」と「選択しないこと」は違う。

「選択できないことと選択しないことは違う」

こんな言葉を見つけた。

「めっちゃ素敵」

と思うと同時に、

「自分もその考えをいろんな形でアウトプットしたいな」

って思った。


「選択」っていろんな難しさがある。

選べない辛さがある一方で、選択肢が多すぎて選ぶ大変さがある。
たしかにどっちも大変だ。
でもこの2つを並べたときにどっちがいいかって考えたら断然後者だ。

「選択できない」と「選択しない」で考えた場合、「選択しない」の方だ。

なんでか。

それは最終決定が”自分”であるのは「選択しない」の方だから。


この問題の難しいところって「選択できない」の場合、自分が「選択出来ていない状態にいる」ということに気づくのはだいたい時間が経ってからなのだ。

自分が選ばなかった道、自分の選択肢にはなかった道を選んでいる存在がいることを知って初めて「自分は選択する土俵にすら立てていなかったんだ」ということに気づく。

もちろん中には最初から「自分が置かれている状況からすればこの道は選べない」とわかっていて、「選択できない」状況に立っている人もいるが。


「選択しない」って自分の意志だから納得できるけど、
「選択できない」って外的要因が大きいからやるせない気持ちになることがある。すごい空虚な気分になることがある。

先日Twitterである投稿をした。

「私たちは選べる。選んだら出会える。
出会ったら気づける。気づいたら広がる。」


私が最近出会った言葉の中で、トップクラスに好きな言葉だ。

「選べる」ということは、「選ぶ」ということはただ一つの道、行動を決めているにとどまらない。

その選択によって出会う人がいて、出会う経験があって。
それに出会うことで気づけることがあって。
気づけることで見えてくる世界が広がって。

そしてそれは選ばなかった世界線に同じように別の可能性が広がっている。

つまり一つ選ぶことでそこには無限の可能性が広がっているのだ。



私たちには選択の自由がある。

選択肢が与えられた以上、最終決定者は自分自身であるべきだ。そして自分が下した決断に、選択に自覚と責任を持てばいい。選ぶってそういうこと。

でも選択肢がないと選べない。

選べないと始まらない。

それってすごく残念なこと。


だから私は、選択肢をつくれる人でありたい、そう思っている。

別にその選択肢が選ばれなくたっていい。でも「知っていれば選んでいたのに」だったり「もしそんな選択肢が存在するなら選んでいたのに」だったり。そういった状況は避けられるのであれば避けたい。提供できる選択肢は提供できる人でありたい。

それは選べないしんどさを経験したことがある自分だから出来ることでもあると思っている。


「就労支援」だってその一つだ。

現状、障害を持った生産年齢人口の方の約8割の方が働けていない。これってしょうがないことなのだろうか。そうは思わない。もし「働く」という選択肢が全ての人にあったとしたら、全員とは言わずとも少なくとも1人は「働きたい」と思う人がいるんじゃないかと思っている。

その一人のために、選択肢をつくりたい。

何が出来るかわからない部分も多少はあるが、まずは出来ることをやる。今やっていることを続けるに越したことはない。


せっかくなら「選べなかった」よりも「選ばなかった」を、「選べなかった」より「選ぶことが出来た」を増やしていきたい。

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塩浦良太
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