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「出来ること」と「やりたいこと」の距離感

「出来ること」と「やりたいこと」は違う。
よく耳にすることはないだろうか。

やりたいことがあることはすごく大事だけど、
やりたいだけでまったくもって出来ないのであれば、
組織として動くときそれは大きな誤算となりかねない。

特に「働く」という部分においては、働いて出た成果の対価としてお給料をいただいている。「やりたい」の思いだけで、価値が何も生まれていなかったらそれは「働く」にならない部分がある。

自分の意には反するけど出来るからやる。興味がすごくあるわけじゃないけど出来るからやる。それで対価が得られればOK、みたいなパターンもある。ライフスタイルとしては全然ありだ。組織としても成果が出ているのだからOKになる。

かといって興味の湧かない「出来ること」だけをやり続けるのも、私は物足りなさを感じる。


そこで考えたのが「出来ること」と「やりたいこと」の距離感だ。

前提として冒頭で書いたように、出来ることとやりたいことがごっちゃごちゃになってはいけない。それはそれで分けて考えることが必要だ。

ただし、分けたとてまったくの別物にしてもいけない。
「出来ること」の道の先に「やりたいこと」が見えていることが必要だと思っている。

「出来る」と「やりたい」の違いは何かと考えた時に、もちろんいろいろな要素があるのだろうけれど一番にパッと浮かぶのは”どれだけ行動レベルにまで言語化できているのか”なのではないだろうか。

感覚で何でもできてしまう天才タイプは一旦脇に置き、自分が出来ることというのは、なぜそれが出来るのかを説明できると思っている。
一方で「やりたいこと」というのは、それをやるためにはどうすればいいのかを行動レベルにまでは言語化できていないのでは、というのが私の分析だ。

もう少し簡単にいうと、「〇〇をやりたい!でも何からすればいいのかわからない…」という状態。

なので、まずは自分の今できることを振り返って、

「今の出来ることが、やりたいことのどの部分につながっているだろうか?」

と考える。そうしていくと、「あ、やりたいことをやるためにはもっとこの力が必要だ!」ということに気付く。だから今度は出来ることをやりながら、新しい領域に踏み込んでいき、出来る幅を広げていく。「やりたいこと」を見据えながら。

そうやっていくとたまに「外れ値」に出会うこともある。
予想していなかったけど、思っていた以上に興味あることだ。
そうなったらそうなったで「やりたいこと」の道筋が増えたと考えればいい。そんな外れ値を楽しめる人生でもありたいし。


そういった感じで、「出来ること」と「やりたいこと」は分けて考えるけど2軸という考えじゃなくて一直線上にあるものと捉えて、「出来る」と「やりたい」の距離がどんどん近づいていくことが理想なんじゃないか、というわけだ。

そしてその距離を詰めていってくれるものの1つが、”行動レベルでの言語化”だと思っている。


そんなことを思った週末、金曜日。
「やりたい」を常に見据える、だけどまずは「できる」で足場を固める。

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塩浦良太
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