祖父の日記(サバン島抑留)042 我執・木登り
我執 八月十日
モッコで土砂の運搬作業だった。
作業現場はキャンプの直ぐ近い場所なので衛兵の監視の目が良く届き、モッコの中の砂の量の不足や足どりの遅さ等注意され、怒鳴られる為、作業に依って消耗するエネルギーを、要領を使ってカバーすることが出来ない。それでも何んとか体力の消耗を防ぐ為、咽喉が渇いて仕方がないと申し出、キャンプ内の炊事係から熱い湯を持出さしめ、土運搬の帰り道之を呑んで、僅か一分でも三十秒でも停止して躰を休め、監視の目をごま化し、エネルギーの消耗を防いだ。 そして意味もなく本能的に、生き抜くことにのみ身も心も打砕いた。
唇に熱き柄約の湯をすすり
土を運びぬ汗を流して
日朝相撲大会 八月十一日
顔も背も砂にまみれて競いてし
相撲見る日は楽しかりけり
木登り 八月十二日
日本海軍の構築した防空壕内の側面に張りつけた厚い板壁を槌で叩いて、此の板を抜き取る作業だ。
真暗く狭い穴の中で、重い槌はどうしてもうまく振れなかった。すぐ次の者が交替しても仲々作業がはかどらず、監視のオランダ人も代って叩いたりしたが矢張うまく行かなかった。最後にロープで板の端をゆわえ、多勢で引張り、何んとかして外すことが出来た。こんな苦労して穴の中から此の板を引上げなくとも、他に方法がないものかと思ったが、物資不足の此の島は之が一つの財源でもあるようだ。
此の後、オランダ軍曹の機嫌が良い様なので、
「椰子の実を採って良いか」
と頼んだところ、案外素直に赦してくれたが、さて、木に登ろうとしても仲々実の下っている処まで随分と高い上に、直立して幹には到底登れる自信もなかった。
此時、オランダ軍曹に従っていたジャワ人の監視兵が、肩の銃を外しての椰子の実を狙ったけれ共、二発打って二発共当らなかった。
「かして見ろ、俺が打落してやる」
と小生がジャワ人の傍へ寄ると、オランダ人は慌てて之を制し、小生を睨みながら、
「お前が登って採れ」
という。仕方がないので靴を穿いたままの椰子の木に抱きついた。 木に登ることなど既に忘れかけた頃、それでも何んとかして葉の張ってある処までたどりついたが、此の幹を囲んで一斉に四方へ拡って伸びている椰子の葉柄には固いトゲが並んで生え、此の葉柄と葉柄の間を潜ってもっと上へ登らねば、目指す椰子の実には届かない。幹から此の葉柄に躰を移して鉄棒の懸垂の姿勢をとり、十米近い此の幹の上で両手でブラ下ることは、まるで軽業師の様な冷汗の出る芸当だった。
その上の葉柄のトゲをすり抜けようとすると体が邪魔となり、肌をむしられて痛く、やっと葉柄の上にまたがって吐息した。葉柄の上の繁みにある椰子の実の幾つかを足で蹴落しながら、もう二度との椰子の木登りはやりたくないと思った。
木から降りても両腕が赤く腫れて力が抜け、筋肉がカチカチに固くなって自分の腕ではない様に思われた。
暗やみに汗にまみれて槌ふるう
宍倉の中激しき作業
八月十三日
椰子の実の汁すう休みひとときに
わが生きていることを知りたり
八月十四日
バンの木のに憩いて去る年の
敗戦の日のこと語り合ふ
満月も雲にかくれて見えざりき
野路菊の花何処に咲くや
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