Ryo Murata

祖父が残してくれた戦時下の日記の中の祖父は現在の私より若く、そして今の私と比べようもな…

Ryo Murata

祖父が残してくれた戦時下の日記の中の祖父は現在の私より若く、そして今の私と比べようもなく懸命に生きようとしていました。この日記を読むたびに平和な世に生きていられることの有難みや懸命に生きることの大切さを教えられます。

最近の記事

祖父の日記(サバン島抑留)最終回 サバン島最後の夜

人の好い日本人 三月二十三日 作業隊百名の班長となる。今日もバラワンに至る、ジャングルを縫う長蛇の列、荷を背負うての徒歩作業だ。 昨日の今日、日曜日の作業は嫌だ。班長となって指示する場合何か心の重苦しさを感ずる。 日本人って余りにも人が良いのではないだろうか。只日本へ帰すというオランダの言葉を信じて己れが権利を放棄する。日本人ってそんなに弱い民族なのだろうか。 今日の行軍で朝鮮作業隊の一人が、川岸に生えた毒草に触れ重患となる。 桑の葉に似た毒草には注意すべきだ。 声か

    • 祖父の日記(サバン島抑留)068作業忌避

      三月十三日 沖の海の遙か彼方は光りいて        濁れる空との境なしあり   草かげの風の淀みに蚊の群れて        憩う身体につきて離れず  屈辱 三月十四日 今日は印度洋側の海辺に出て、重さ四、五瓲程度の石運搬だった。足場が悪く、重い石を抱えての動作は仲々思う様に行かず、監視兵からすればまるで怠けている様に見えるらしい。人の後に行動している者を追いかけては足で蹴ったりした。 蹴られるものは何時も決って年老いた行政官連中だった。何時ものことながら此の屈辱、只近

      • 祖父の日記(サバン島抑留)067庄司大尉との別れ

        三月四日 うつし世は夢よりも又奇なりてふ        歌をうたひつ此の世を想ふ 三月五日   第二作業隊に出る  おぼろ月見上ぐる吾の立つ庭も        残る人等も同じ庭かな  三月六日   構内作業、何故か身体痛し。 ひねもすは身体痛かり寝転びて        明日の苦役を思ひ見るかな 三月七日 構内作業  茅しげる草の根方に腰おろし        羊羹の喰ふ事など語る 三月八日 此のひるもいちにちいねて暮らしけり        いまだ身体の痛みとれ

        • 祖父の日記(サバン島抑留)066最終戦犯者確定

          最終戦犯者の確定 三月三日 一昨日此の構内の一隅、約五十坪許りの空地に鉄条網を張りめぐらして小屋を造った。  聞けば此の小屋に、現在いる吾々の中から重要戦犯者を抽出して隔離するとのこと。その真偽を確める為、監視兵を売収、情報をきいた。  その結果以上の噂は事実であることが明瞭となった。高等官以上の作業隊が一昨日此の使役に出て、やりきれない思いで働いた。  「新しい檻は居心地が良さそうだ」  等わざと冗談を言ったりした。  今朝所長から、  「全員各自の衣類、及装具を持って舎

        祖父の日記(サバン島抑留)最終回 サバン島最後の夜

          祖父の日記(サバン島抑留)065パンの木・新たな脱走希望者

          二月二十日 草むしる爪の痛かり目つむれば        瞼に浮かぶ野路菊の花  汗落つる額を腕にこすりあげ        椰子の彼方の雲を見るかな  乙女等の袖振る如く若椰子の        豊かな枝の風に靡きぬ  二月二十一日 尻つきて小石拾へば頬の辺を        吹きすぎて行く風のつめたき  道へこむ水の罹りに手をつきて        道路工事の苦力となりたり  投げ呉れる煙草拾ひつ此の吾も        微笑む程になりにけるかな 桃色の鳳仙花咲く垣根にて   

          祖父の日記(サバン島抑留)065パンの木・新たな脱走希望者

          祖父の日記(サバン島抑留)064死

          二月七日 風靡くの原を横切りて        椰子の実さがす日本人あり  二月八日   風吹きて病葉とべば胸先を         かすめるものはふるさとの秋 二月九日 三月ぶり海に入れば潮の香の        かぎ足りぬ程なつかしさかな  二月十日 切株の根元に腰をかけおれば        腐ちし落葉の香りあふるる  二月十一日 ふるさとの方に向いておろがみぬ        紀元節の今日涙こぼしつつ  二月二十二日   脱走今宵も未遂 押してこそ扉開

          祖父の日記(サバン島抑留)064死

          祖父の日記(サバン島抑留)063脱走未遂・木の実

          一月二十七日 脱走果たし得ず、悩みぬく吾心救えず。  吹く風も降る雨さへも此頃は        心ゆさぶるものとなりたり 一月二十八日 隊員の忠告止まず。 愛し部下の心裏切りうち秘めて        哀れこのわれただの人なりき  一月二十九日 苦しみの日を繰り重ねたちにけり        吾心もて吾心見つめつつ  一月三十日 炊事長の申送り。 炊事長辞退、野村少佐へ申送る。  任務終へて話高々部下達と        茶を汲み交わす今宥なりけり 一月三十一

          祖父の日記(サバン島抑留)063脱走未遂・木の実

          祖父の日記(サバン島抑留)062蘭印最高指揮官の視察

          一月二十二日 蘭印最高指揮官視察 絶対カロリー量の不足。 作業に従事するには何カロリーが必要であるか、キャンプ内の市川軍医中尉に訊ねて確信を得、オランダ側と交渉したが一向に埒があかなかった。不審に思い、良く調べて見ると通訳が過激とも思われる小生の追求態度が却ってオランダ側の感情を害して、逆効果を来すのではないかとの杞憂から、一人判断して勝手に、小生の意図を先方に伝えなかった事が後で判った。  それならば止むを得ず非常手段を構じてやろうと食糧倉庫から食糧搬出の際、タピオカ粉

          祖父の日記(サバン島抑留)062蘭印最高指揮官の視察

          祖父の日記(サバン島抑留)061 脱走意図を告ぐ

          一月八日~十四日 監視兵「小虎」暴れ人を傷つく  我運命如何になるやは知らざれど        今宵も澄める月を見上げぬ  珍らしく今朝は風なく磯の辺も        のた打つ波の静かなりけり  真昼間はしんと静まりみどり葉の        僅かに動き陽の照り盛る  動哨をのぞく朝餉の暇ありき        雨近きらし雲低うして 水扱うその度毎に音のして        今朝のしじまも破られにけり  豪雨して屋根も地面も沸ける如く        只音立てて時のすぎ

          祖父の日記(サバン島抑留)061 脱走意図を告ぐ

          祖父の日記(サバン島抑留)060 福丸通訳の連行

          十二月二十九日 万国赤十字を通し日本へ葉書出す。  白雲の彼方はるけきふるさとへ        つづく空想ふサバンの白和  祈る刻いつかまどろむ此頃は        心静かに何も想はず  十二月三十日 四国に地震の津波ありしときく、多数の死者あるらし、死せる人達の冥福を祈る。 荒れ狂ふ磯の白波今日も又        岩に砕けて砕けて散りぬ   荒海を見入り鉄柵に立つタベ        太い息する吾を見出しぬ 十二月三十一日 三回目の演芸会あり、秋元放送記者の咽喉

          祖父の日記(サバン島抑留)060 福丸通訳の連行

          祖父の日記(サバン島抑留)059緒方曹長との決別

          十二月二十四日 十二月二十四日 神馬場軍曹シンガポールより到着す。  うれしさと悲しさと重なれり        一人還りて二人去る今宵 緒方曹長との決別 今日はトラックで緒方曹長と近藤軍曹が連合軍に運行された。 処刑されることはないにしても、連合軍の裁判の実際は見たこともないのだが、入手する情報は嫌なこと許りだった。  彼等と別れの挨拶どころか、見送ることも制止せられた。それでも監視兵の目を逃れて、道沿いの鉄条網の内側へ走り寄って、トラ ックの上の彼等へ手を振った。ト

          祖父の日記(サバン島抑留)059緒方曹長との決別

          祖父の日記(サバン島抑留)058母の夢

          十二月九日 オリオンの星の光るを見上ぐれば        秋の河原のふるさと想ふ  十二月十日 雪の如く照り返す屋根真白かり        耀く月の空昇る頃 十二月十一日 欠け割れし月の姿は見倦きねど        いまのくらしに疲るる我かな 十二月十二日 うす月の面かすかに雲掃けば        ブラックキャンプのくらし忘るる  妹と机に寄りて本を見る        ふるさとの夢幼なき頃の 眩む程地表の燃えて激しかり        陽炎に動く人ののろさ  十二月十三

          祖父の日記(サバン島抑留)058母の夢

          祖父の日記(サバン島抑留)057脱走して死せる部下達の回想

          脱走して死せる部下達の回想 十二月七日 昨年の今日、北スマトラ、バンカランブランタンの憲兵隊宿舎で、早朝日直下士官の報告に依れば、西村、細川、神馬場の三軍曹と橋ロ伍長が、十四年式拳銃を持って脱走したとのことだった。  隊員の中の誰かが何時か此の様なことを惹き起すことを予想はし ていたが、斯うして今茲に遭遇して見ると、 「やったなあ」  と安堵とも、心配ともつかぬ交錯した気持がした。一度は歩調を合わせて終戦後の行動を取ろうと誓い合った筈ではあったが、混沌としたスマトラ現地の状

          祖父の日記(サバン島抑留)057脱走して死せる部下達の回想

          祖父の日記(サバン島抑留)056 歌書きなぐる

          十一月十八日  豪雨して眠れぬ今宵又しても        寝返り打てば床板のきしめく  十一月十九日 シンガポールより戦犯者一二三名到着す。 南より捕はれ来る人中に        吾を知りたる人々の多し  十一月二十日  佐伯中尉以下一〇七名を送る、此の戦友達戦犯の容疑なく晴ればれとせし顔にて出発す。 去るてふと語れど去らぬ悪なれば        うつし世はまた夢とかわらず  十一月二十一日  下痢あり。  力なく何か気だるき真昼中        あぶら汗して庭

          祖父の日記(サバン島抑留)056 歌書きなぐる

          祖父の日記(サバン島抑留)055 脱走準備完了

          十月三十一日~十一月十七日 十月三十一日 午前中第十四作業隊と同作業。 脱走参加人員も定まり、手榴弾の確保と脱走計画が完了した。 脱走時期は小生が指示するとして、口頭では行わず、小生の部室 の柱に水を満した水筒を掛けて置くことに依り、決行の合図とした。キャンプ内では食糧の件について絶対カロリー量の不足な現在、飽迄もオランダ側と交渉して確保すべきだとの強硬論も出て、手取り早い話が、炊事責任者を今迄より強度のものにし、通訳官任せではなく、我々が直接当る可きだとの声があり、全

          祖父の日記(サバン島抑留)055 脱走準備完了

          祖父の日記(サバン島抑留)054 爆弾積込・機雷爆破

          十月二十三日~三十日 十月二十三日 日本船を兵器と共に沈める。  裸足にて船底ゆけば熱かりき        日本船沈めるまひるのいまは  心ぬちふしおろがみつ逝く船に        またたきもせず熱き瞳おくる  真逆様しぶきを上げて船沈む        跡形もなく渦のみ残して  十月二十四日  爆弾積込作業、 オランダ船今日も入港す。  爆弾を包みてありし七年前の        古新聞紙に人の群る  日本の文字はなつかし印刷の        意味なき文字をくりかへし読

          祖父の日記(サバン島抑留)054 爆弾積込・機雷爆破