永遠に日照りしない海(Vol.3)
はじめに
私×セクシャルマイノリティ×作業療法士のRuwaです。
まずは、前回の「俺じゃなくて、僕。」という作品をご覧になって頂いた方々に、深く感謝申し上げます。
まだ、読まれていない方がいらっしゃいましたら、こちらの作品は続編になりますのでご一読頂けると内容が頭に入ってきやすいかも知れません。
また、私がエッセイを書こうと思った経緯について興味を持ってくださった方はプロフィール記事の「浸ってみませんか?私の感性で溢れた海に」をご一読いただけると良いかと思います。
※一応リンクを貼っておきますね。
では、”永遠に日照りしない海”をご覧くださいませ。
永遠に日照りしない海
霧や雲に覆われ始めた私の心の海
私の本当の一人称は「俺じゃなくて、僕。」
しかし、クラスメイトの男の子は皆、自身の事を「俺」と呼ぶ。
そんな違和感に自分でも気づいていた。ちょうどその時、クラスメイトの女の子が「僕」を使用する私に「俺」を強要してきた。
”笑われた”
自宅の部屋に篭って「俺」という言葉を連呼し練習した私の中学生時代はこうして幕を閉じた。
この頃、私の心の海には霧がかかり次第に雲も覆ってきていた。
まるで「本当の自分を隠す」かのように。
「期待」という名の日の光
違和感を抱えたまま、私は高校生になった。
心機一転できることや未だ見ぬ友人との出会いに心躍らせる自分と不安な自分と半々だったことを今でも鮮明に覚えている。
中学時代に起きたあの一件から、高校入学という環境の変化を良い事に私の一人称は「僕」から「俺」に変わった。
当時を振り返ると、中学時代の私を知る人は違和感を覚えていたとは思うが、初めましての人間は違和感を感じていない様子だった。
違和感を感じているのは自分だけで、自分が我慢すれば良いと思い日々を過ごしていた。
私たちが高校生の時はスマートフォンという物は無い。今で言う、ガラパゴスケータイ略してガラケーの時代だった。
当時、私の通っていた学校は校則が厳しく、現代の様に学校で当たり前にスマートフォンを使用することができない時代だった。
使用しているところが見つかった時には最後。没収され、即解約手続きを強要されていた。ちなみに私は一度見つかり解約した経験もあり、発狂した(笑)
そんな環境の中、数人のクラスメイトとメールアドレス(LINEなんてありません。)を交換して仲良くなった。そして親友と呼べる友達にも出会うことができた。
部活では、中学時代に入部したいと3年間思い続けていた吹奏楽部に入部することができ、ご縁がありオーボエという楽器を担当することとなった。
親友にも恵まれ、中学時代から行いたかった音楽もできこれからは楽しい高校生活の幕開けだと期待に胸を膨らませ毎日を過ごしていた。
私の心の海は霧や雲で覆われてはいたが、「期待」という名の日の光が差していた。
私の人生を変える突然の大きな嵐
高校2年の冬、親友との交友関係や吹奏楽部での音楽活動も順調でとても楽しい日々を過ごしていた。しかし、ある日を境に私の高校生活が一変する大きな出来事が起きてしまった。
私の通学手段は汽車(田舎のため電車を汽車と呼ぶ風習があります)。私の実家は最寄駅まで自動車で15〜20分と距離があるため、毎日母が駅まで車で送迎をしてくれていた。(※地元の写真はプロフィール記事の中に掲載されています。)
そんなある日にいつも通り部活を終え、汽車に乗車し40分ほど揺られて帰る。最寄り駅に到着し、駅の改札にいる駅員さんに定期を見せ改札を出る。
田舎特有の街灯の少なさと冬の時期が重なり、外は寒く辺りは暗い。
いつもはガラケーを使って母に到着時間を伝えるのだが、その日は生憎自宅に忘れてしまい友人のガラケーを借りて連絡した。それ以外はいつもと変わらなかった。
しかし、そう感じていたのは私だけで、そう思うのも束の間だった。
いつもは帰りの車の中で口を開くはずの母が今日は何かと無口だった。
5分ほど走らせた時に、ようやく母が口を開いた。
「あんた、、、男の人が好きなの?」
「あんたのケータイ見たんだけど。」
「○○の、、裸の写真があったけど(当時流行った人気俳優の上裸写真)」
母の声は震えていた。
私の家庭は父が単身赴任で家を開けていることもあり、母は父の役目もしないといけないと思っていたのか厳しく強い人だった。
そんな母が声を震わせて、当時高校2年生の私に泣きながら質問してきたのだ。
私はその時初めて、母親が涙を流すところを見た。
強くて厳しい母が泣くところを。
車内にいるためその場から逃げることもできない私は咄嗟に
「そんなことあるはずがない」
「女友達が送ってきたからだよ!!」
「てか、人のケータイ見るとかあり得ない!!」
私は嘘をついた。
そして逃避するように母に怒鳴った。
それを聞いた母は、少し安堵した様子で「それなら良いけど…」と一言。
家に到着し、車から降りる。いつもなら最寄り駅から自宅までの約20分の距離なんてあっという間に感じるのにその日はとてつもなく長く感じた。
家にはいつも通り兄妹がいて、3人で食卓を囲むのだがその日の夕食の味は全くしなかったのを覚えている。食事を済ませた私は、真っ先に自分の部屋に入り閉じこもった。
初めて母が声を振舞わせながら涙を流すところみた私は...
「同性を好きになることは悪いことなのだ」
「人と違うことはダメなんだ」
と認識し、自分に言い聞かせた。
これ以上、大好きな母の涙を見たくなかったから。
私の心の海は突然の大きな嵐により、大切な物を破壊しそうな勢力の波風に見舞われ、人が立ち入ることを制限し始めた。
永遠に日照りしない海。
あの日を境に、私の生活は一変した。
思春期真っ只中の高校時代、同性のクラスメイト同士で盛り上がる話題の一つに”好きなAV女優の話”があった。
私は全く興味はなかった。
しかし、仲間はずれにされるのではないかと必死に勉強して覚えた。
そして、ついに仲の良い親友にも嘘をついてしまった。
好きな人の話になった時だ「俺は○○ちゃんが好き」と同性が好きな自分を隠すために好きでもない女の子の名前を出したのだ。
とても心苦しかった…
「自分もみんなと同じように自分のことを話たい」そう思ったことも沢山あった。
しかし、"悲しませてしまうかもしれない””嫌われるかもしれない”との思いが強く先行し、気づけば自分を守るために嘘をつき、嘘で塗り固められた鎧を身に纏っていたのだ。
それ以来、一日一日の時間の経過がとても長く感じた。
日々を過ごしていく中で本当の自分が遠くに行ってしまうような感覚になり、ふと鏡で自分を見てみると、向き合った自分の顔はなんだかぎこちなくなっていた。
「まるで本当の自分ではないみたい。」
私は、自分で自分のありのままの姿を愛することができなくなってしまった。
あの日を境に「期待」という名の日の光は、私の心の海から徐々になくなり
誰も立ち入ることの許されない永遠に日照りしない海になってしまった。
2022.11.11Ruwa
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