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雪のように、詩のように。散策の中で、出会うことば。

まだ暗い空を降り仰ぐと、星が瞬いている。
張りつめたような凍った空気の中にいると、指先が一気に冷たくなっていきます。
雪が降る予報になっていたけれど、早朝の空には雲の気配がなく、今日は降らないのかな、と思いました。

家事をすませて、出かけるために身支度を整えます。
窓の外がなんだか薄暗い気がして外を見ると、風に乗って雪が舞っていました。
早くも畑の土の上が、うっすらと白く覆われています。


傘をさしながら駅へと向かう道すがら、昨夜読み返していた本の文章の一節が、頭の中に浮かんできました。

私が冬を愛する理由は百個ほどあるのだが、その一から百までがすべて"雪"だ。それだけ私の雪への想いはひたむきで純粋だ。なぜ雪が好きなのかというと、白いから、清らかだから、静かだから、溶けるから、消えるから。

ハン・ジョンウォン『詩と散策』
橋本智保 訳
「宇宙よりもっと大きな」より

この一節を読んだとき、思わず、"わたしも"と、呟いてしまいました。
九州の温暖な平野部で生まれ育ち、幼い頃は、雪とはあまり縁がありませんでした。
だからこそ、めったに降らない雪への憧れは強くなり、大人になった今でも、雪が降り始めるとしばらくの間、窓の前を離れることができません。
美しさをただ愛でられるのは、雪国の冬の生活の厳しさを体感したことがないからだと理解しているのですが、わけもなくただ心を惹かれてしまうのが、わたしにとっての雪というものです。

                *****

その本に出会った日は、十月に入ったというのに真夏日で、強い陽差しの中を歩き、本屋さんに向かいました。
暑さから逃れて、そっと息をつきながら平台に目を向けると、一冊の本が、外の暑気など知らぬ風情で冬の静謐さを纏っていたのです。

装幀は成原亜美さん、装画は日下明さんによるもの。
日下明さんの絵からは静寂に満ちた空気が感じられ、
眺めていると心が落ち着きます。

ページをめくれば、詩人であるハン・ジョンウォンが愛唱する詩が、そこかしこに散りばめられています。
オクタビオ・パス、パウル・ツェラン、フェルナンド・ペソア…、生まれた場所も時代もことなる詩人たちが紡いだ、ことばの宝石のような詩の数々。

どれもが近しい人から届いた手紙のように、やわらかな声音を帯びたエッセイで、一気に読み進めるのがもったいなくて、ひと晩に一章ずつ読み進めていきました。
その中には、金子みすゞの詩や、拾遺和歌集におさめられた源信明の和歌もあり、見知った人に道ですれ違ったときのようなうれしさも感じた本です。

           *****

電車をおりて地上に出ると、暗い空から雪が降りしきっています。
目的地はあったのですが、その前に、気の向くままに街を歩くことにしました。
ハン・ジョンウォンが、詩と同じぐらい愛してやまないものが、散歩です。本のことを思い出して、久しぶりにわたしも歩いてみようと思ったのです。

だから散歩から帰ってくるたびに、私は前とは違う人になっている。賢くなるとか善良になるという意味ではない。「違う人」とは、詩のある行に次の行が重なるのと似ている。

「散策が詩になるとき」より

橋の上を渡りながら北に目を向けても、風景が霞んでいて、いつもなら見える山並みがぼやけています。
目を落とせば、寒そうに流れる大きな川。
頭を空っぽにしてただ歩いていると、子どもの頃によく歩いた川べりの景色、いつかの旅先で目にした海の輝きなど、さまざまな色や光が、心の中に浮かんでは消えていく。

               *****

道沿いの植栽の緑が、ほんのりと雪化粧をほどこされているのを見た瞬間、唐突に一首の和歌が脳裏に浮かびました。

うすく濃き野辺のみどりの若草に
          あとまで見ゆる雪のむら消え

宮内卿 千五百番歌合より

緑と白の配色が、ひとつ先の季節、早春の野辺を連れてきます。
もちろん、この歌を詠んだ十代の宮内卿が見ていたのは、街中の小さな植栽などではなく、遥々と広がる野原だったのでしょう。
でも、題詠の盛んだった後鳥羽院歌壇での歌合だから、もしかして宮中の庭を見ながら、実際には足を運んだことのない野辺の緑を想像して詠んだのだろうか。そんなふうにも考えながら、はるか昔に彼女が生きていた土地に、自分がいま暮らしていることの不思議さに思いを馳せます。

歩いていると、ふだんの生活の中では思い出すことが少ない、今までに巡り合った詩歌の一節が、心の水面に顔を出すのですね。

生きている間に、実際に自分の足で歩くことができる道と、距離は限られている。
けれども、詩歌を仲立ちにすると、時や場所を超えて、心は限りなくどこまでも飛翔することができるのです。
飛び立った先で目にした光景をその身に刻んだわたしは、先ほどまでとは「違う人」になっているのでしょうか。

                       *****

晴れるきざしが感じられるけれど、まだ曇っている空を見上げます。
灰色の空からこぼれ落ちてくる、白い粒。
肌にふれるとすぐにかたちをなくし、あるかなきかの小さな水滴を残す空からの贈りものをじっと見つめていると、静かな声が響いてきました。

私は曇りの日を優しい気持ちで迎えるほうだ。霞んだ光、ぼんやりと見える物たち、ずっしりと重く広がる香り。曇った日は、すべてが静かに自分の存在を顕す。私の中にある言語や非言語すら静かだ。その世界があまりにも穏やかで満ち足りているので、ずっとそこにいたいと思うほどだ。

「灰色の力」より


曇りの日について書かれた文章ですが、雪の日にも同じことが言えると思うのです。
その白さにすべての音と色、光がすいこまれてしまうような、静けさに満たされる日。

目の前の風景と、本の中の世界を重ね合わせながら歩いていると、透明な静寂が心に広がっていくのを感じました。



今朝の鴨川。
四条大橋から北を向いて撮影したもの。
午後からは晴れてきたので、
ほんの数時間だけ楽しめた風景でした。





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夏樹
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。 あなたの毎日が、素敵なものでありますように☺️

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