現代版・徒然草【16】(第120段・舶来品)
今年初めての徒然草シリーズである。
昨年12月から開始しているが、第15回で中断させていただいた。バックナンバーは、マガジンの中にあるので、興味のある方は、ぜひご覧いただければ幸いである。
さて、昔も今も、日本は中国とは切っても切れない関係である。
兼好法師が生きていた鎌倉時代後期から室町時代前期にかけて、中国からさまざまなものが船で運ばれてきた。
それについて、兼好法師が苦言を呈している。いったいどんなことを言っているのか、原文をみてみよう。
唐(から)の物は、薬の外(ほか)は、みななくとも事欠くまじ。書(ふみ)どもは、この国に多く広まりぬれば、書きも写してん。唐土(もろこし)舟の、たやすからぬ道に、無用の物どものみ取り積みて、所狭(せ)く渡しもて来る、いと愚かなり。 「遠き物を宝とせず」とも、また、「得難き貨(たから)を貴(とうと)まず」とも、文(ふみ)にも侍るとかや。
以上、4つの文から成っている。
最初の文では、中国の物は、薬以外はなくてもどうということはないと言っている。
次の文では、「書道の作品は、この国(=日本)にたくさん広まっているので、書き写しされている」とのこと。
3番目の文では、愚かなことだと言っている。
なぜ愚かなことなのかというと、無用の物なのに、航海の危険を冒してまで、しかも所狭しと積み込んで運ばれてくるからである。
最後に、兼好法師は、有名な中国の古典に書かれている名言を挙げている。
「遠き物を宝とせず」、「得難き貨を貴まず」というのは、それぞれ『書経』と『老子』に書かれている。
薬は、今で言う漢方薬がやはり必要とされていたのだろう。
ただ、書き写しするための作品がひとつあればいいものをやたら取り寄せるなということを言っているのは、確かにそうである。
必要最低限のものがあればよいという考え方は、今の時代にも言えることである。わざわざ危険を冒してまでやることではない。
なんだか、昨日までの私の健康論と似ているようだ。
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