古典100選(53)宇津保物語

現存する日本最古の「長編物語」は何かと問われたら、パッと答えられる人は、なかなかいないだろう。

間違って『源氏物語』と答えてしまう人が多いと思うが、『源氏物語』よりも少なくとも30年早く成立していた長編物語がある。

それが『宇津保物語』である。『うつほ物語』とひらがな表記される場合もある。「うつほ」というのは「空洞」の意であり、主人公の藤原仲忠が母親と杉の木の洞穴で生活していたことからくる。

藤原仲忠の母親は、清原俊蔭の娘であり、今日紹介するのは、その清原俊蔭が遣唐使として唐へ渡るときに船が難破して、流れ着いたのが波斯(はし)国だった。これは、今で言うならペルシャ湾付近の国であり、シルクロードが通っていたところだと考えられる。

清原俊蔭は、そこで仙人や天女に出会い、秘密の琴を授けられて、それを弾く技を学ぶ。その後、23年経って日本に戻るのだが、死ぬときに自分の娘に秘密の琴を託すのである。

では、原文を読んでみよう。

①俊蔭(としかげ)、清く涼しき林に一人眺めて、琴の音のある限り掻き立てて遊ぶに、三年と云ふ年の春、この山より西にあたる花園に移りて、琴ども並べ置きて、大きなる花の木の陰に宿りて、我が国のこと、父母のこと思ひ遣りつつ、声増さりたる二つの琴を試みる。
②春の日のどかなるに、山を見れば、霞緑に、林を見れば、木の芽けぶりて、花園、花盛りに、面白く、照る日の午(ぬま)の時ばかりに、琴の音を掻き立て、声振り立てて遊ぶ時に、大空に音声楽(おんじょうがく)して、紫の雲に乗れる天人、七人連れて下り給ふ。
③俊蔭、伏し拝みて、なほ遊ぶ。
④天人、花の上に下り居てのたまふ、「あはれ、何ぞの人か、『春は花を見、秋は紅葉を見る』とて、我らが通ふ所なれば、蝶鳥だに通はぬに、便りなき住まひはする。もし、これより東に、阿修羅の預かりし木得給ひし人か」とのたまふ。
⑤俊蔭、「その木賜はれる衆生(しゅじょう)なり。かく仏の通ひ給ふ所とも知らで、『しめやかなる所』となむ思ひて、年来籠もり侍べる」と答ふ。
⑥天人の言はく、「さらば、我らが思ふ所ある人なれば、住み給ふなりけり。天の掟ありて、天(あめ)の下に、琴弾きて族(ぞう)立つべき人になむありける。我は、昔、いささかなる犯しありて、ここより西、仏の御国よりは東、中なる所に下りて、七年ありて、そこに我が子七人留まりにき。その人は、極楽浄土の楽に琴を弾き合はせて遊ぶ人なり。そこに渡りて、その人の手を弾き取りて、日本国へは帰り給へ。この三十の琴の中に、声増さりたるをば、我名付く。一つをば南風とつく。一つをば波斯(はし)風とつく。この二つの琴をば、かの山の人の前にてばかりに調べて、また人に聞かすな」とのたまふ。
⑦「この二つの琴の音せむ所には、娑婆(しゃば)世界なりとも、必ず訪(とぶら)はむ」とのたまふ。

以上である。

最初に解説を読んでから、原文を読むとなんとなくイメージが持ちやすくなったことと思う。

この『宇津保物語』は、遅くとも970年頃までに書かれたといわれており、「遣唐使」だった俊蔭のアジアでの不思議な体験が下敷きになっているのは、物語の内容に妙に説得力を持たせている。

遣唐使の派遣は、奈良時代の630年から平安時代の894年まで続いたという歴史的事実を踏まえれば、この物語が今で言うなら『VIVANT』並みの壮大なスケールの話だとみても過言ではないだろう。

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