現代版・徒然草【98】(第22段・古きは廃れる)

「昔は良かった」という嘆きが、今の中高年世代、団塊の世代、後期高齢者からよく聞かれる。

コンプライアンスでうるさくなった、ぎすぎすした世の中になったという不満もあるだろう。

言葉の乱れについても、嘆く人はいる。「若者言葉はサッパリ分からん。」と。

兼好法師の時代にも、言葉の乱れはあったようである。

では、原文を読んでみよう。

①何事も、古き世のみぞ慕はしき。
②今様(いまよう)は、無下にいやしくこそなりゆくめれ。
③かの木の道の匠の造れる、うつくしき器物も、古代の姿こそをかしと見ゆれ。 
④文(ふみ)の詞(ことば)などぞ、昔の反古どもはいみじき。
⑤たゞ言ふ言葉も、口をしうこそなりもてゆくなれ。
⑥古(いにしえ)は、「車もたげよ」、「火かゝげよ」とこそ言ひしを、今様の人は、「もてあげよ」、「かきあげよ」と言ふ。
⑦「主殿寮(とのもりょう)、人数(にんじゅだて)」と言ふべきを、「たちあかし、しろくせよ」と言ひ、最勝講(さいしょうこう)の御聴聞所(みちょうもんじょ)なるをば「御講(ごこう)の廬(ろ)」とこそ言ふを、「講廬(こうろ)」と言ふ。
⑧口をしとぞ、古き人は仰せられし。

以上である。

①②の文では、何事も昔の時代が慕わしいと思うようになり、今の時代は下品になっていくようだと言っている。

③④の文では、木製のうつわや昔の人の手紙文を例に挙げて、その技巧の美しさや書かれている内容の趣深さを評価している。

⑤では、口にする言葉も、もったいないくらい乱れていると指摘している。

⑥⑦の文で具体的に挙げているが、⑥では「車もたげよ」「火かかげよ」の言い方が変わっていることを指摘している。

⑦では「主殿寮」が出てくるが、これは宮内省に属していた役所名であり、調度品の管理や清掃を業務として行っていた。そこの役人に対して、「人数立て」(=座を立て)と命令が出されると、松明の火をかかげてあたりを照らす(=白くする)ことになっていたのである。その言い方が、「たちあかし、しろくせよ」に変わったことを嘆いているようだ。

さらには、天皇が学識者から講義を受けるところ(=御聴聞所)を「御講の廬」と呼んでいたのだが、略して「講廬」と呼ぶようになったことも不満だったようだ。

最後の⑧では、高齢の方もそうおっしゃっていると結んでいる。

ただ、私が個人的に疑問なのは、「かかげよ」は「かきあげよ」がつづまったもの(「きあ」→「か」)で、「もたげよ」も「もてあげよ」がつづまったもの(「てあ」→「た」)だと思うのだが、そっちのほうは、むしろ略語から本来の言い方に戻っている。

もしや兼好法師の勘違いだろうか。



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