20世紀の歴史と文学(1994年)
今からちょうど30年前にあたるのが、1994年(=平成6年)である。
30年前のことが昨日のことのように思い出される人もいるだろう。
奇しくも、今は令和6年。1994年と同じく、新しい元号になって6年目である。
1994年は、作家の大江健三郎がノーベル文学賞を受賞した年である。
1968年の川端康成以来の日本人2人目の受賞であった。
本シリーズでも1968年の回で取り上げているが、ありがたいことに、この記事は最多の38スキをいただいている。(固定記事の300超えスキを除く)
大江健三郎は、つい昨年の3月3日に88才で亡くなったが、文学だけでなく、憲法9条問題や原発問題について積極的に自分の主張を発信されてきた。
その主張に対しては賛否両論あるかと思うが、ここでは触れないでおく。具体的な内容については、ご自身で調べていただきたい。
さて、平成6年は政治が混乱した1年だった。
1年で総理大臣が3人も交代したのである。
1993年に日本新党の細川護熙が総理大臣になって、1年も持たずに辞意を4月上旬に表明した。
4月下旬に細川護熙の後を受けて総理大臣に就任したのが、当時の新生党の党首だった羽田孜(はた・つとむ)である。
ところが、この羽田内閣は、日本国憲法施行後では2番目の短命内閣となり、わずか2ヶ月余りで退陣することになる。
続いて首相に就任したのが、日本社会党の村山富市(とみいち)だった。6月29日、自民党と日本社会党と新党さきがけの三者連立(=自社さ連立)内閣が誕生し、社会党出身の総理大臣は、終戦後(=1947年)の片山哲以来となった。
社会党は、いわゆる左派であるが、この社会党出身の村山富市の「村山談話」が翌1995年に発表されたことは、あまりにも有名である。
この「村山談話」は、日本人である以上、私たちはしっかりとその内容を知っておかなければならない。
なぜなら、中韓の人たちはこの発言内容をよく知っているからである。
村山富市は、現在もご健在であり、御歳は100才である。(当時は70才の総理大臣だった)
1980年代に総理大臣を務めた中曽根康弘は、残念ながら5年前の2019年にお亡くなりになったが、101才まで生きられた。
中曽根康弘や村山富市のように、戦争経験者が内閣総理大臣を務めることは、これから先はないだろう。
2025年は、戦後80年という節目にあたる。
「村山談話」は戦後50年の節目で発表された。
ということは、来年の終戦の日に誰が総理大臣であるかが注目されるだろう。
本当なら「村山談話」は、明日の1995年の回で紹介するのが良いのだが、未曾有の惨事がこの年の年明け早々に起こったことを紹介するのが大切だと考え、前倒しさせていただいた。