古典100選(81)古今和歌集〈仮名序〉
本シリーズも、とうとう残り20回になった。
初回からここまで順番にお読みいただいた方にとって、この回が『古今和歌集』になったのも、流れとしては理解しやすいだろう。
この『古今和歌集』は、醍醐天皇の治世のとき、天皇の勅命により905年頃から紀貫之らによって編纂された。
紀貫之は、『土佐日記』の作者としても有名であり、彼と同時代に生きた人物としては、菅原道真がいる。
紫式部や清少納言、藤原道長が1000年頃に活躍していたのはご存じの人も多いが、それよりも100年前に、日本の古典の歴史は『古今和歌集』によって本格的に始まったといえよう。
というのは、この『古今和歌集』の序文が、紀貫之によって仮名で書かれたことにより、女性貴族の仮名日記文学が誕生するきっかけになったからである。
『蜻蛉日記』『和泉式部日記』『紫式部日記』『更級日記』などは、すでに本シリーズで紹介しているとおり、紀貫之の『土佐日記』の後に続々と誕生した。
そして、これらの日記文学に加えて、和歌もさまざまな文学作品に登場する。
その和歌の始まりを、紀貫之は『古今和歌集』の仮名序で次のように述べている。
では、冒頭から原文を読んでみよう。
やまと歌は 人の心を種として
よろづの言の葉とぞなれりける
世の中にある人 事 業(わざ)しげきものなれば
心に思ふことを見るもの聞くものにつけて
言ひいだせるなり
花に鳴くうぐひす
水に住むかはづの声を聞けば
生きとし生けるもの
いづれか歌をよまざりける
力をも入れずして天地を動かし
目に見えぬ鬼神(おにかみ)をもあはれと思はせ
男女(おとこおんな)のなかをもやはらげ
猛きもののふの心をもなぐさむるは歌なり
この歌
天地(あめつち)の開け始まりける時よりいできにけり
天(あま)の浮橋の下にて
女神男神(めがみおがみ)となりたまへることを言へる歌なり
しかあれども 世に伝はることは
久方の天にしては 下照姫(したてるひめ)に始まり
下照姫とは 天(あめ)わかみこの妻(め)なり
兄(せうと)の神のかたち
丘谷(おかたに)にうつりて輝くをよめる
えびす歌なるべし
これらは 文字の数も定まらず
歌のやうにもあらぬことどもなり
あらがねの地にしては
すさのをの命(みこと)よりぞおこりける
ちはやぶる神世には 歌の文字も定まらず
すなほにして 言(こと)の心わきがたかりけらし
人の世となりて すさのをの命よりぞ
三十文字(みそもじ)あまり一文字はよみける
すさのをの命は 天照大神のこのかみなり
女と住みたまはむとて
出雲の国に宮造りしたまふ時に
そのところに八色(やいろ)の雲の立つを見て
よみたまへるなり
や雲立つ 出雲八重垣 妻(つま)ごめに
八重垣作る その八重垣を
かくてぞ花をめで 鳥をうらやみ
霞をあはれび 露をかなしぶ心
言葉多く 様々になりにける
遠き所も いでたつ足もとより始まりて
年月をわたり
高き山も麓の塵ひぢよりなりて
天雲(あまぐも)たなびくまで
生(お)ひのぼれるごとくに
この歌もかくのごとくなるべし
以上である。
この続きは、まだまだあるので、興味がある人は、文庫本を買うなどして最後まで読んでみてほしい。
や雲立つ 出雲八重垣 妻ごめに
八重垣作る その八重垣を
この歌は、有名な『古事記』にも記載があるが、スサノオノミコトによる日本最古の和歌とされている。
八重垣作るというのは、結婚を意味し、すなわちこの歌は、結婚を祝う歌だとされているのである。