古典100選(92)芭蕉翁頭陀物語

今日も芭蕉の弟子が登場する作品を紹介しよう。

建部綾足(たけべ・あやたり)という江戸時代の国学者だった人が書いた『芭蕉翁頭陀(ばしょうおうずだ)物語』である。

Aは志太野坡(しだ・やば)が登場し、Bは各務支考(かがみ・しこう)が登場するのだが、この2人は、昨日の記事で登場した向井去来と同じく、蕉門十哲(しょうもんじってつ)に入る人であった。

蕉門十哲とは、十本指に入る芭蕉の優秀な弟子のことをいう。

では、原文を読んでみよう。

【A】
①ある夜、雪いたう降りて、表(おもて)の人音更けゆくままに、衾(ふすま)引きかづきて臥したり。
②暁近うなって、障子ひそまり開け、盗人の入り来る。
③娘驚いて、「助けよや人々。よやよや」とうち泣く。
④野坡(やば)起き上がりて、盗人に向かひ、「我が庵は青氈(せいせん)だもなし。されど、飯一釜、よき茶一斤は持ち得たり。柴折りくべ、暖まりて、人の知らざるを宝にかヘ、明け方を待たで往なば、我にも罪なかるべし」と、談話常のごとくなれば、盗人もうちやはらいで、「まことに表より見つるとは、貧福、金と瓦のごとし。さらば、もてなしにあづからん」と、覆面のまま並びゐて、数々の物語す。
⑤中に年老いたる盗人、机の上を掻き探し、句の書けるものをうち広げたるに、 

草庵の急火をのがれ出でて
わが庵の    桜もわびし    煙り先        野坡

といふ句を見つけ、「この火いつのことぞや」。⑥野坡がいはく、「しかしかの頃なり」。
⑦盗人手を打ちて、「御坊にこの発句させたる曲者(くせもの)は、近きころ刑せられし。火につけ水につけ、発句して遊び給はば、今宵のあらましも句にならん。願はくは今聞かん」。
⑧野坡がいはく、「苦楽をなぐさむを風人といふ。今宵のこと、ことにをかし。されど、ありのままに句に作らば、我は盗人の中宿なり。ただ何ごとも知らぬなんめり」と、かくいふことを書きて与ふ。 

垣くぐる    雀ならなく    雪のあと

【B】
①支考、美濃の草庵に籠もり、雪になりゆく梢をながめて、初雪の句を案じ続け、吉野山の一句を得たり。 

歌書よりも    軍書に悲し    吉野山 

②支考、時に思へらく、「この吟、雑にして名所の法を違へず。我に一生の句なければ、これを以て名句とせんに、天下誰か舌をくださむ。されど、その場にあらざればの信を起すこと難し」と、童平(どうへい)へ申し遣はしけるは、「今年の雪のおもしろき、しきりに吉野山を思ひ出でぬ。春立てば、相伴ひ大和路に行脚せん。吾子(ごし)行かんやいなや」と言ふに、童平もこれに同じ。
③春も如月(きさらぎ)の末つ方、吉野の麓に盛りを待ちえて杖をひいて、千本(ちもと)にかかる隠れ松は雲間のごとく、一目千本(ひとめせんぼん)の雲居を分けて、吉水院(よしみずいん)に登り見れば、南帝(なんてい)の昔、今さらにして、古戦の跡に涙をそそぐ。
④日も心細く木の間に隠れ、谷の水音むせぶがごとし。
⑤支考童平立ち並んで、石上に尻かたげすれば、同者(どうしゃ)の声々、人家を求め、花のいづこに臥すらんと見ゆ。
⑥支考時に頭をあげて、「我、天下の絶唱を得たり。聞くべしや聞くべしや」と、かの句を高らかに吟ず。
⑦童平眉をはつて曰く、「いみじき盗人かな。よくもよくもたぶらかして、我を行脚の奴(やっこ)とはなせり。この吟、全く孕(はらみ)句なり。早く知らば来(きた)らじものを」。
⑧支考うち笑みて、童平が背中をたたき、「あなかしこ、洩らすべからず」と口を掩(おお)ひて山を下る。

以上である。

吉野といえば、南北朝時代の戦乱の跡地でもあり、南帝(=後醍醐天皇をはじめとした南朝の天皇)が北帝とともに存在した約50年間が偲ばれる。

また、文中にもあるように、吉野山は一目千本桜の名所である。

俳句には、発句で名所を詠む場合、季語は不要というきまりがある。

雪や桜を愛でる日本らしい四季が、これからも続きますように。

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