古典100選(39)風姿花伝
今日は、室町時代の古典作品である『風姿花伝』(ふうしかでん)を紹介しよう。
成立は1400年頃、3代将軍の足利義満の時代であった。
タイトルを聞いたことがある人も多いと思うが、これは、世阿弥という人が書いた能楽の論説書である。
観阿弥(かんあみ)と世阿弥(ぜあみ)という親子(=父子)が、室町時代に能を大成したことは有名であるが、芸で人をアッと驚かせることは、勝負事に関して弱者が強者に勝つ方法論にも通ずる。
では、原文を読んでみよう。
秘する花を知ること。
秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず、となり。
この分け目を知ること、肝要の花なり。
そもそも、一切の事(じ)、諸道芸において、その家々に秘事(ひじ)と申すは、秘するによりて大用(たいよう)あるが故(ゆえ)なり。
しかれば、秘事といふことをあらはせば、させることにてもなきものなり。
これを、 「させることにてもなし。」 と言ふ人は、いまだ秘事といふことの大用を知らぬが故なり。
まづ、この花の口伝(くでん)におきても、 「ただめづらしきが花ぞ。」 とみな人知るならば、 「さてはめづらしきことあるべし。」 と思ひまうけたらむ見物衆の前にては、たとひめづらしきことをするとも、見手(みて)の心にめづらしき感はあるべからず。
見る人のため花ぞとも知らでこそ、為手(して)の花にはなるべけれ。
されば、見る人は、ただ思ひのほかにおもしろき上手とばかり見て、これは花ぞとも知らぬが、為手の花なり。
さるほどに、人の心に思ひも寄らぬ感を催す手だて、これ花なり。
例へば、弓矢の道の手立てにも、名将の案・計らひにて、思ひのほかなる手立にて、強敵(ごうてき)にも勝つことあり。
これ、負くる方のためには、めづらしき理(ことわり)に化かされて、破らるるにてはあらずや。これ、一切の事、諸道芸において、勝負に勝つ理なり。
かやうの手立ても、事落居(らっきょ)して、かかるはかりごとよと知りぬれば、その後はたやすけれども、いまだ知らざりつる故に負くるなり。さるほどに、秘事とて、一つをばわが家に残すなり。
ここを以て知るべし。
たとへあらはさずとも、かかる秘事を知れる人よとも、人には知られまじきなり。
人に心を知られぬれば、敵人油断せずして用心を持てば、かへつて敵(かたき)に心をつくる相なり。
敵方(てきほう)用心をせぬときは、こなたの勝つこと、なほたやすかるべし。
人に油断させて勝つことを得るは、めづらしき理の大用なるにてはあらずや。
さるほどに、わが家の秘事とて、人に知らせぬを以て、生涯の主になる花とす。
秘すれば花、秘せねば花なるべからず。
以上である。
ここでいう「花」というのは、要は「手の内」であり、手の内を明かさないから、思いがけない演出に人は感動するのである。
そして、秘策というのはいわゆる武器のようなものだが、秘策を持っていることを相手が知っていれば用心されるが、そもそも秘策があるかどうかも明らかにしないことで、戦いにおいて相手より優位に立てる。
これは、私たちが日々の人間関係の中での駆け引きにも通じる。
人を出し抜くと言ったら聞こえは悪いが、相手が意図しないことをやってのける(もちろん悪事を働くのはダメである)ことで、周りを感動させたり、自分自身を有利な状況に導いたりできる。
世阿弥が書いた上記の文章は、非常に読みやすいし、ためになる。