『高校生社会人奮闘記』第2話「田舎者に映る都会の姿と戦いの場」
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長引くリーマンショックの影響で、俺が採用試験を受けた会社も含む、多くの会社の採用倍率は軒並み高い傾向にあった。それでも、俺のクラスの就職率が90%を超えることができたのは、工業高校というブランドも影響しているであろう。
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俺は佐賀の工業高校に通っていた。数ある工業高校の中ではそこそこ歴史と名のある学校だったため、就職に関しては多少有利に働く部分があった。
俺が採用試験を受けた会社は、家電などでは知らない人はいないほど有名なブランド名がついたビルメンテナンス会社である。学校の資料によれば、今まで採用試験先輩たちの就職率は100%。つまり、今のところ、この学校の生徒で採用試験を受けた全員が内定をもらっていたのである。
今年の採用予定人数は2人らしい。普通に受ければ問題ない。俺が突然大声で会社の悪口を叫び始めたり、緊張で頭がおかしくなって全裸になったりしない限り、問題ないのだ。普通に受ければ、内定を貰えるだろう。そう、普通に……。
「うゔん、あれ……? なんか体がだるいな……」
採用試験の当日。特に緊張することもなく、したがってよく眠れたはずの身体には、明らかに異変が生じていた。身体が熱く、喉がいがらっぽい。
ピピピッ、ピピピッ。
「37.7℃……。嘘だろ、熱あるのかよ……」
基礎体温が35℃台と低い俺にとって、37℃は明らかに熱がある。幸い、咳や頭痛などはなかったが、採用試験は大丈夫だろうか……。
「そろそろ家出ないと間に合わないから、のど飴舐めながら出発するか」
採用試験が行われる場所は、当該ビルメンテナンス会社の九州支店が置かれている福岡市。博多駅から徒歩10分くらいの場所にあるらしいため、マップを頼れば迷うことはないだろう。
しかし、俺が住んでる実家は佐賀の片田舎。そもそも最寄りの駅まで自転車で40分くらいかかる。何が最寄りだ。
さらに、自転車が主な移動手段であった俺の人生において、一人で電車に乗ることは数えるほどしかなかった。これが佐賀県内の移動ならともかく、これから向かう場所は九州屈指の都会、福岡の博多に行くのだ。ネットやテレビでしか見たことがない、都会の姿。田舎者にはハードルが高すぎた。
「博多までの切符って、これで良い……のかな?」
名ばかりの最寄り駅に着いた俺は、博多駅までの切符を買おうとしていた。普段から電車は滅多に利用しないため、当然ICカードの類などは所有していない。路線図を見るが、見慣れないためかよく分からない。
「おや? 君どうしたの? どの切符を買うのか迷っているのかい?」
困っている最中、小さな窓口らしきところから駅員が顔を出し、こちらへ話しかけてきた。
「あ、はい。実は今日、採用試験で博多に行かなくてはいけなくて。それで、その……、どれを買えばよいでしょうか?」
「おぉ、そうだったんだね。じゃあ窓口で発行してあげよう。また戻ってくるなら、往復がいいよね?」
「助かります、ありがとうございます!」
「それじゃ、頑張ってね!」
熱っぽい感覚とはまた違った、駅員の優しさの暖かさが身体中を巡るようだった。
電車の中では、前日まで担任と打ち合わせした面接の問答集のようなものを開き、最終確認を行った。
「はい、私が御社を志望した理由は……」
世間では一般的に「なんの役にも立たない」とも揶揄される志望動機は、お坊さんがルーティンでお経を唱えるかのごとく、スラスラと言えるまで繰り返し繰り返し練習してきた。
一度乗り換えの場面で慌てる場面はあったものの、無事に博多駅へ降り立つ。人生3回目くらいの博多駅。人が多すぎる。
「なんだここは……。平日の日中なのに人がうようよいるぞ。強い意志を持って歩かないと流されてしまいそうだ……!」
文字通り強い意志を持ち、流れに乗るでも逆らうでもなく、出口を目指して歩く。どこから出ればよいかは事前に調べてある。まずは東口から出る必要があるので、そこを目指した。
「あ、あそこだな出口は。あそこから出れば、あとはマップを頼りにして歩くだけだな」
人によっては何ともないことかもしれない。しかし、田舎者にとっては人の出入りの激しい駅から外へ出るだけでも命がけなのである。
駅から外に出られただけでも、最大級に自分を褒めてあげたかったが、今日は駅から脱臭することが目的ではない。今から就職試験を受けなければならないのだ。褒めるのにはまだ早い。
外へ出た。ビルやら店やらが立ち並び、その辺を歩くスーツ姿のサラリーマンや制服を着た学生が目の前を颯爽と駆け抜ける。その風景が俺には眩しすぎた。実家の周りの、延々と田んぼが広がる風景がとたんに懐かしくなる。さっきまで見ていたはずなのだが……。
「あ、圧倒されている場合じゃなかった! 早いとこ試験会場に向かわないと。社会人の中には、時間を守らないと殴り付けてくる人もいるって聞いてるからな。おっかなすぎるだろ!」
試験会場へ急ぐ。時間的にはまだ余裕があったのだが、とりわけ高校3年生になってからというもの、社会人は時間厳守だということを口酸っぱく言われるようになった。なるほど、これが学生から社会人になることなのかと、一気に現実感が増したことを覚えている。
「たしか、ここだよな……?」
試験会場らしきビルの目の前に着いた。すると、先程までさほど緊張していなかったのが、急に心臓の鼓動が早くなるのを感じた。
「一人じゃ入りづらいな。うーん……、よし、誰かを待とう! 今の時間だったら他の就活生も来るだろうし、学生服でこのビルに入ったら間違いないだろうからな。向かいのコンビニで待つか」
緊張に加えて、いまだに少し熱っぽいのもあったため、ビルの向いにあるコンビニで他の就活生を待つことにした。
俺は入ったコンビニで、黒い瓶に入った黄色く着色された炭酸飲料を購入し、それを飲みながらビルの入り口の様子を見ていた。すると、近くから学生服を着た人物が、スマホらしきものとビルを交互に確認していた。これは確実に、ここの試験を受けに来た就活生であろう。俺は急いでその人物に近付いた。
「ここ……かなぁ?」
俺はあたかも、たった今到着したかのように装い、その人物に近付いた。
「あ……? もしかして、試験を受けに来られた方ですか?」
狙い通り、向こうが話し掛けてきた。
「え? あ、はい。13時からここで採用試験がありまして」
「一緒ですね! 僕もこれからこのビルに入るところなんです」
「そうなんですか? いやぁちょうど良かった。俺もこのビルに入ろうと思っていまして。一緒に行きませんか?」
こうして2人でビルの中に入ることになった俺たちは、その会社が入居しているらしい4階へと向かった。その間、緊張しますねとか、どこの高校ですか? とか、当たり障りのない会話で間を繋いだ。
この人物、小久保という男は、宮崎県からやってきたんだそう。ちょっと童顔で、気の弱そうな男。こいつなら、余裕で勝てそう。そう感じた。
4階のオフィスまで歩くと、オフィスの前にスーツ姿の人物が立っていた。おそらく、担当者であろう。
「こんにちは! 君たちも就活生の子だね。一応名前と学校名を確認してもいいかな?」
担当者らしき人物に名前と学校名を伝え、名簿と照らし合わせてもらった結果、入室を許可された。君たち「も」ということは、既に何名か待機しているのだろう。2〜3人か……?
「失礼しま……す……? え?」
入室した俺は目を疑った。部屋の中には既に多くの人が待機していたのだ。ざっと見て、10人くらいはいるだろうか……?
俺と小久保を含めて12人。ここから2人ということは、倍率は、えーと……、6倍……? え? 受かるの? これ。
俺の高校では、この会社の今までの就職率は100%だったよね?
俺が初めての不合格者になっちゃうの?
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